裕一郎の恋の予感 三話
第30話 春休み
自慢じゃないが、裕一郎は恋をしたことがない。
勿論いままで可愛いなと思う娘がいなかったわけじゃない。
だけど、みんなでいるときはニコニコ可愛い子ぶっているのに、裏では悪口言っていたり嫌がらせをしていたりする女子達の様子を見て心底うんざりした。
そもそも裕一郎には歳の離れた姉がいて小さい頃は姉に非常になついていた。だが裕一郎が大きくなるにつれて、ただただ溺愛してくれていた姉が、溺愛と横暴を繰り返すようになる。
気分でめちゃめちゃ可愛がったり、理不尽な命令をしてきたり。姉という強者に振り回されるのはいつだって弟なのだと幼心に知ったのだ。
それはちょうど裕一郎が思春期に入った頃、姉は今の旦那様である彼氏を家に連れてきた。
彼氏の前でキラキラする姉の、普段の家での様子との違いに驚いたし、心底うんざりした。甘ったるい声と媚を売るような視線。これが女なのかと鳥肌が立った。
世の中にはもちろんそうではない女性もいることはわかってる。姉のその様子もそれだけ見ていれば仕方のないことだと思えたことだろう。だが、タイミングが悪かった。
小さな頃から仲が良かった夏樹が、茉莉花をかばってキモオタの称号を得たのだ。
茉莉花は、さばさばした性格とゲームが大好きなことから悠一や夏樹と仲が良かった。イケメン昂輝の硬派な態度とは違って、性格も柔らかく運動も勉強もできるイケメンな悠一は、人当たりも良く女子ともフレンドリーだった。その悠一と距離の近い茉莉花は、女子からの妬みつらみを受けて嫌がらせを受けたのだった。
それを一言でぶった切った夏樹は、格好が良かった。
だが一方で、俺は茉莉花が許せなかった。
夏樹がかばった後、悠一も茉莉花とほどほどに距離を取ったおかげで、ずっとクラスの中心で笑う茉莉花。夏樹を踏みにじってまでもその立場がそんなに良いものだなんて思わなかったし、優しくて明るくてみんなから好かれる茉莉花が俺には好ましいものだと全く思えなくなった。
学校で全く口をきかないくせにSNS上で一方的ではあるけど、こっそりとつながっている茉莉花が腹立たしかった。
女子って存在を勝手に見限った。
******
いつものように放課後は店の手伝いをする。親父が経営しているカフェのバイトだ。
気づいたらいつの間にか家の手伝いがわりにやっていて、高校に入る前には小遣いがわりにバイトとして皿洗いだけじゃなくウェイターもこなすようになっていた。
自営業だから当たり前だが、休みはほとんどない。年に一度、家族揃って一泊二日ほどの旅行に連れてってくれることが親父の精一杯の家族サービスだった。
食事は、厨房でまかない食を食べる。これも日常だ。母さんは店の手伝いのほかに近くにパートで出ていて、親父の作る料理が我が家の食事だったし、家庭料理だった。常連さんもいたし味もそれなりに美味しいらしく、俺が中学に上がった頃には店内を改装しおしゃれな洋食屋から小洒落たカフェに転向した。家族経営の店は、姉が大学で家を出て一人暮らしを始めてからは、俺がバイトを引き継ぐ形だった。
元々夏樹と同様に人見知りで、家で一人オンラインゲームで遊んでるのが楽しい人種だったから、家の手伝いで放課後や休みを奪われることも不自由なく、却って時間の融通がきく手伝いはありがたかった。店が終わってからの夜、友達とオンラインでつながるのは楽しかった。
周りが彼女ができたりとかそんなのは自分とは無縁と、野郎と馬鹿なおしゃべりをしながら戦闘に明け暮れる日々だった。
******
その日は地域の公立中学の卒業式だからか店は余計に賑わっていて、裕一郎の卒業祝いは厨房でちょっと豪華なまかないを食べて終わり。「おめでと」と皿を父さんが差し出して、食べてる最中に母さんが「おめでとう」とポンと肩をたたきながら横を通り過ぎた。日常だ。
店にやってくる客が家族で「卒業おめでとう!」とグラスを合わせるのを横目にいつも通りバイトに励んでいた。
その中の一組、いつもはたまに一人で昼休みに来てランチを食べるおっさんが、家族を伴ってやってきた。例に漏れず「卒業おめでとう!」と祝っている。
「お父さん、いつもこんなに美味しいお店で食べてるの、ずるいな〜」
「たまに、だ、たまに。頑張った時とか、頑張らなきゃいけない時、ここのスペシャルプレートが堪らなく美味い!」
「お父さん、カロリー大丈夫?心配だよ」
「娘に心配されるなんて嬉しいわね、あなた」
「ぼくもぼくも、お姉ちゃんだけじゃないよ、ぼくもお父さんの心配してる!だからぼくがそれ食べてあげる」
「もう、食いしん坊なんだからー。お姉ちゃんのをあげるよ」
「やったー。さっすがお姉ちゃん、ありがとう!」
「あおいはいつも優しいなぁ」
「本当にそうね。思いやりのあるお姉ちゃんに育って、嬉しいわ」
「ああ、自慢の娘だ」
「もう、おかずひとつでそんなに褒めたら恥ずかしいよ。子どもじゃないんだから」
「じゃあ、褒美にこれをやろう!」
「きゃー、やめてよっ、お父さん!プチトマト嫌いなの知ってるでしょ〜」
楽しそうな家族の会話が聞こえてくる。仲がいい家族なんだな、とほほえましく聞いていたけれどもお姉ちゃんと呼ばれた女の子の姿を見てその考えはきれいに飛んでいった。
芯の強そうな瞳にすっきりとした顔立ち、控えめな服装に柔らかな微笑。
見入ってしまった自分に、自分自身驚いた。だけど、と自分で打ち消す。
どうせこんなおとなしそうな顔をしてたって性格悪いんだろ、思いやりのあるお姉ちゃんを演じているだけなんだろうと。
俺は最低な性格のひねくれた思春期の男だった。
その後もその家庭の雰囲気は暖かく終始なごやかで、漏れ聞こえてくる声も柔らかく笑い声が絶えない。だけどそれですらどうせ作られたものなんだと勝手に思い込んだ。
会計の際、父親である常連のおっさんがいつも通り「今日もおいしかったよ、また来るね」そう言って笑顔で支払いを済ませる。
その後、父親の影に隠れるようにいた彼女は控えめに笑って「おいしかったです。ごちそうさまでした」そう言って夜の闇に吸い込まれるように消えていった。朗らかに「ごちそうさまでした!」と言って姉ちゃんの後を追いかける弟が微笑ましかった。
そして春休みのある日、その女の子はこれからランチに差し掛かると言う時間に一人、ふらりと店に現れた。
この前の晩と同じようにアイスティーを頼んだ彼女は、それから三十分ほど本を読み時間を過ごした。十二時を過ぎたあたりで彼女の父親がやってきて彼女の前に座るとランチメニューを二人分頼んだ。この間の夜の状況と何ら変わることなく、父親と二人きりであっても楽しそうに笑いおしゃべりをし、おいしそうに食事をとる。
ついつい盗み見て、盗み聞きもしている自分にはっとする。
(いやいや、いま店、そこまで大忙しってわけじゃないからな、余裕があるからつい様子を見ちゃってるだけだし、っつか、この間の晩と同じアイスティーを頼んでいることに気付く俺、キモいわ)
一人毒づくが、それすらもキモい。
食事が終わるとおっさんはレシートを握り締め、一人だけ席を立った。レジでいつものごとく「うまかったよ、ごちそうさま」と言って支払いをすます。俺が彼女のいるテーブルに視線を動かすとおっさんは、ああ、と「娘はもう少しいさせてやってくれ」とにこやかに言った。食後のデザートとアイスティーを前に、彼女はまた一人で静かに本を読み始めた。
それから一時間ほど店内で過ごし
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
控えめな笑顔でそう言って彼女は店を後にした。
それから春休みの間にもう二度、彼女はうちの店に訪れた。
一度目は一人でおやつタイムを過ぎた夕方にやってきて、デザートとアイスティーを飲んでのんびりと過ごしていた。
(服装は相変わらず控えめで、好感が持てる、ん?好感ってなんだ!服に騙されるな、見た目じゃ、人はわからないんだからな!)
だけど。
「今日は、一人なんですね」
俺は思わず、そう声をかけていた。
(いや、これはアレだ。彼女の人柄を試すためのものであって、決しておしゃべりしたいからとか、興味があるとかでは断じて無い!)
ん?そもそも、なんで試す必要あるのかな?
俺のうるさい脳内に当たり前だが気付く様子も無く、彼女は本から視線をあげると柔らかく微笑んだ。
「はい。今日はこのままここで夕ご飯まで頂いていこうかと思ってます。あの、長居したら迷惑です、か?」
「まさか、店は空いてるし。お茶してデザート食べて、夕ご飯まで食べて行ってくれるお客様は、神様でしょ」
「でも、夕ご飯もわたし一人きりなんです」
「一人ご飯の客は、珍しくもなんともないよ」
「そっか、そうですね。ありがとうございます。母と弟が出かけてて、父は会食の予定が入っていて。終わったら父と一緒に帰る事になっているんですけど。両親が心配症で」
「優しい親なんだね」
「もう高校生になるのに恥ずかしいです」
「大事にされるのは悪いことじゃない。…邪魔して悪かったね。じゃあ、夕飯頼む時は呼んでください」
「あ、ごめんなさい。いっぱい喋っちゃって」
「全然大丈夫。どうぞ、ごゆっくり」
彼女は微笑んで、また本に視線を移した。
夕方、店に人が入り始めたころ俺は呼ばれて、オーダーを取る。食事を運び届けて二言三言、どうでもいい会話をしてその場を離れる。おしゃれな会話も出来ない気の利かない男だと思われたことだろう。
料理に目を輝かせて美味しそうに食べる彼女を遠くから眺めている自分に気づいて、やるべき仕事を探す。あんな風に嬉しそうに笑うのも作り笑いに決まってるだろと頑なに自分自身に言い聞かせる。
帰りにレジで「美味しかったです」とふわり笑う彼女も、俺みたいに心の中は真っ黒なのかなと思わず小銭を握りしめてしまった。
二度目は春休みも終わりのもうすぐ高校の入学式という時、友人だと思われる女の子を伴って彼女はまた店に訪れた。互いに軽く会釈だけすると後は、無言で接する。
だけど、視線はつい彼女を追ってしまう。
友人と楽しそうに笑う彼女を見てほっとしている自分。服装も今までと変わらない雰囲気で、外見上は使い分けしている感じも無い。
彼女の様子は、先日家族と過ごしている様子とあまり変わらないように思う。笑顔も話す声のトーンも、口調も表情も。
穏やかで柔らかい話し方に時折友人からツッコミを入れられるのか、話のテンポが速くなったり、黙り込んだりしているようだけれど、見ていて微笑ましいと感じさせるものだった。そう、微笑ましいのだ。
その時になって、彼女が表裏のない優しい女の子であることを望んでいる自分がいることに気づいた。
(そう、これはきっと、良いお姉さんってものに憧れているんだな、きっと!良いお姉さんに飢えているんだ)
自分自身を納得させる考えが浮かんで安心する。
二人で楽しそうに食事を済ませしばらくおしゃべりした後、「じゃあね」と友人だけが店を後にした。
一人になった彼女に声を掛けられてオーダーをとる。紅茶のおかわりだ。
「長居しちゃってすみません」
少し申し訳無さそうに目を伏せる。
「満席じゃなかったら、ずっといたって大丈夫ですよ。閑散としているよりは誰かがいた方が店にとっては良いし、それに今日は一人集客してもらっちゃったし」
俺の言葉に彼女は、ふふと笑った。
「まあ冗談だけど、でも混んでなきゃ気にしないで良いよ。ちゃんと注文してくれてるんだし。俺の友達なんて、ハーブティー一杯で粘り続けることもあるよ」
美味しそうにお茶を飲む幼馴染の様子を思い出して俺は、ニヤリと笑った。
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