第8話
その検査の結果はまだ不確かだった。
否、確かな方法はある。体細胞を培養してそれに因子の刺激をしてやればいいだけだ――それが出来るのは研究所で数日間かけて十数件が限界だろう。
確かな方の検査は、身内でこっそりやるのが限界だった。
研究の支援という形だ。
だが、それでも研究の方優先となるから、そんなにやれる事もないだろう。
涼と栞が陰性だったと分かった時の、あの安堵の表情が忘れられない。
不確かな検査方法は、偽陽性または偽陰性が、それぞれ半分近くなるような有様だ。これは実際に厳密な検査で追試した場合もそうであるし、統計的にも確実なことであった。
だが、ドラゴンたちははそれでも検査を求めた。
その結果がどうであったところで、何をすることも変わらないと言うのに。
最終的に政府は、世論に押されて国民全員の検査を始めた。
尤も、検査の予約はすぐにいっぱいになり、このままのペースでは十年もかかりそうだった。
その理由の一つは、不正な方法での予約と、その順番の転売行為が発生したからだ。
これを潰すような方法を導入しなければならないが、政府の動きは鈍い。
また、民間でこの検査を行うような所も出てきた。
栞が言うには、「素人の雑な検査で上手くいけるわけないでしょう」と笑う。
結局、(研究者にツテのある)金持ちだけが厳密な検査を受けられて、そして馬鹿な庶民はいい加減な検査で一喜一憂するだけなのだ。
そして、陽性と診断されたドラゴンが、思い悩んだ末に首を吊ったなんて話も、まことしやかに語られるようになった。
この傾向は、他の国でも同じだったようだ。
一般的に、ドラゴンは人間よりも優秀で賢い種と言う事になっている。あくまでも伝説上の話ではないが……そんな幻想に付き合っている種が、どれほど賢いのだろうか?
劣っているとされる人間になって分かるのは、ドラゴンの高慢さだろう。
しかし、こればかりは口に出せない。"力ない生き物に対して心を砕ける私は素晴らしい"と言う価値観を持っているドラゴンもいるからだ。むしろ、多かれ少なかれ、我々小動物に対する意識はそんなものなのだ。
実際、公園の鳩や野良猫に餌をやるドラゴンは、"餌をやれる優しいドラゴン"と言う意識でやっているのだ。そして、その背後にある様々な問題――結局、鳩や猫を害することになると言う事実も、あっさり目を背けてよい理由になるのだ。
"ああはなりたくない"と思っている対象に、「頑張って」と掛ける声も、その笑顔も怖いのだ。
そうした警戒は、直哉と私だけの秘密だ。
人間生活が長引くと、人間同士での秘密も増える。
人間はしっぽがない分、心情を悟られないようにするのは難しくない――だが、人間の表情はドラゴンよりも絶妙で器用だ。ドラゴン向けにはドラゴンの水準の大袈裟な表情を作っていたが、人間同士ならその機微が分かる。分かってしまう。
二人になった時、「嫌な事があった?」とか「あれは腹が立つよね」と言う話ができる。
ヒトナーにデリケートなところを触られることもあるし、こちらが強く断れない事を承知でハグを強要したりする。
"杏子"は相変わらずヒトナーだと自称している。しかし、リアルで接するヒトナーの態度を見て、心底軽蔑しているのは間違いない。その引き攣った笑顔から察する事が出来るからだ。
そういう辛い日常は、二人で抱き合って体温と体温を交換し合うことで乗り越えている。
直哉は私にとって、なくてはならない存在なのだ。
「ドラゴンに戻るときは一緒だよ」
そんな約束をして眠りに就く。
近頃は、どちらかが、どちらかの部屋に行って一緒に眠る事が多い。
栞も涼もその事には触れない。
そう言えば、風呂でのスキンシップは最近淡泊になりつつある。
「もう飽きた?」
涼に意地悪な質問をしてみた事がある。
「うーん。何て言うか、怖い。
何気なく触れているけど、人間なんだよね」
「ドラゴンでいるつもりだけどね」
戸惑う彼女を見て、私は次々に追い込もうとした。
「可愛いのは可愛いんだよ!
……なんていうかな。架空の存在だったのが、現実の存在なんだって生々しい体験になりつつあるんだよね」
戸惑いつつ語るけれど、私はここで誤魔化されたくなかった。
「この身体、気持悪い?」
「そんなことはないよ!
そんなことはないんだけどさ……絵本の犬と、現実の犬って違うじゃない? 多分、私は、人間を理想化しすぎてたんだよ。
あ、残念だったとかそういうのじゃなくて……鏡花がどこからともなく現われた人間なら、もっとずっとさっぱりとして向き合えたかも知れない。けど、鏡花はやっぱり、ドラゴンだったし、ドラゴンに戻りたいって思っているでしょ?
だから、可哀想って簡単に言えないじゃない」
私は自分の浅はかさに驚いた。そして反省した。
「涼、ごめんね。最近、自分と直哉のことばかり考えている……」
そう伝えると、涼はおっかなびっくりに私を包み込んでくれた。
ドラゴンの肌触り。人間になってから、こんなにゴツゴツしていたのかと驚いたものだ。その皮膚の感触がある。
涼は私の皮膚をどういう感触で抱きしめているのだろう。
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