この広い世界の、狭い世間で

柚城佳歩

この広い世界の、狭い世間で

〈おうち時間をもっと充実!新感覚の世界旅行へ!〉


をキャッチコピーに、今までにないバーチャル体験ソフトが現在巷で流行っている。

流石の謳い文句なだけあって確かに革命的だった。


必要なものは携帯端末のみ。端末経由で料金を支払うと、液晶画面から鍵が飛び出してくる。

その鍵をどこの扉でもいい、実際の鍵穴は必要なく、鍵穴がある辺りの位置に翳して回せばあら不思議。

あっという間にバーチャル空間への入り口へと変貌するのだ。


扉の向こうの行き先は様々。実在する都市でも、普通では到底行けない宇宙でも海の底でも、果ては漫画やアニメの世界まで、本物と見紛うほど精巧に再現された世界を自由に旅が出来る。


自分の見た目だってそうだ。

ありのままの姿を投影する事も出来るし、髪色から体格まで自由自在に変えられる。


地味な自覚が十二分にある俺は、せめて夢の世界ではと、某RPGにて美形で有名なエルフを大いに参照した姿を取っている。だが口調はそのままなので我ながら残念感は否めない。


発表と同時にこのソフトに飛び付いた俺は、今じゃ立派なヘビーユーザーとなった。

その結果、引きこもりに拍車が掛かったわけだが、まぁこれもおうち時間が充実していると言えなくもない。


さてこのシステム、その気になれば世界中の誰とも繋がれるのだが、俺は気儘な一人旅を満喫していた。


見た目も行き先も無限の選択肢から選び放題。

初めのうちは毎回違う場所を選んで旅行気分を味わっていたが、ここしばらく通い詰めているのは学校の美術室だった。


なんでわざわざ、こんな空間に来てまで学校に通うんだと思うかもしれない。

たぶんそういう考えのやつが大半だからだろう。

教育機関の類いは総じて人気にんきがなかった。

それに建物自体は再現されていても、授業まで再現されているわけじゃない。

だから余計に人が寄り付かない。


でも俺は学校ってものが嫌いじゃなかった。

だから今日もまた、無音の廊下を歩く。

静寂が淋しいとは思わない。

むしろこの空間を独り占めしたような気分だ。

絵を描くのにどれだけ教室を汚そうが、普段じゃ到底手の届かないようなたっかい画材を使おうが何も言われない。

今までいろんな世界を回ってきた。描きたいものはいくらでもある。


「よし、今日も始めるか」


鉛筆片手に横幅三メートル程もあるキャンバスの前に立った時、控え目に扉が開く音が聞こえた。

反射的に振り向いた目線の先にいたのは小学生くらいの男子。

長い前髪が目元を覆っているため、顔はよく見えない。

そいつもまさかこんな過疎地域に人がいるとは思わなかったのか、一瞬驚いた素振りを見せたが、扉を開けた時同様控え目な声を出した。


「……絵を描いているの?」

「見りゃわかんだろ。これから描くところだ」

「見学していてもいい?」

「……邪魔しなければな」


正直なところ、俺はあまり制作過程を人に見られるのが好きじゃない。

それなのになぜかこの少年を受け入れてしてしまったのは、いつかの自分を重ねたからかもしれない。

大人しく、クラスにも馴染めずよく一人でいた。

遠くから人の流れや景色を眺めているのが好きだったあの頃の少年おれに。




ソラと名乗ったそいつは、それから毎日来るようになった。

特別何を話すでもないが、時々思い出したように話をしては、また静かに絵が描き込まれていくのを見ている。


ソラは誰かが絵を描いているところを見るのが好きだと言った。

さらだったキャンバスが、新しい景色に生まれ変わっていくのが面白いのだと。

それは俺もよくわかる。だからずっと絵を描いてきたんだ。

他にも好きな漫画や今までプレイしてきたゲーム、学校でのあれこれ。

真逆の姿の俺たちだけど、似ている部分がわりとあって、わかりあえるのは妙な気分だったが、不思議と落ち着いて居心地がいい。


時々はソラも絵を描く。

ソラの絵は良く言えば独創的、正直に言えばお世辞にも上手いとは言えないもので、完成した絵を見て何を描いたか当てるクイズなんてものもした。


ソラと過ごす時間は楽しかった。

ソラは何を描いても褒めてくれる。本心からの言葉だとわかるから、ドが付くほどネガティブな俺でも、少しずつ絵に自信が付いていった。


「ダイチさんはコンクールとか出した事ないの?」


ある日何気なく聞かれた言葉にドキリとした。


「……ないわけじゃないけど。何にも引っ掛かった事はないよ。いやー、世の中上手いやつなんてごろごろいるもんな!美大にも落ちる俺の画力じゃ高が知れてるってやつ?」

「そっかぁ。僕は好きだけどな、ダイチさんの絵」


わざと明るく振る舞った。

ソラもきっと気付いてる。

でも優しいやつだから何も言わないんだ。




ソラと初めて会った日からしばらく経った。

真っ新だったキャンパスも、今や完成間近だ。

残す作業もあと僅か。今日で仕上がるだろう。


「あのさ、この絵を完成させたら……、しばらく来れなくなる」


ここ数日、ずっと言おうとして言えずにいた言葉。ぎりぎりになってようやく伝えられた。

理由は単純明快。金が尽きた。

ソラと出会ってから、一緒にいるのが楽しくて、それまで以上にログインするようになった。

引きこもりで働いてもいない俺が、何かあった時用にと取っておいたお金まで使ってしまった。

いい加減そろそろ働かないといろいろまずい。


「……そっか。そういう理由じゃしょうがないね」


案の定、ソラの顔が哀しげに歪む。

あぁ、だから言いたくなかったんだ。

バーチャル空間で繋がった俺たちは、現実では何の接点もない。

連絡先の交換はシステムの規約に反するため、お互いの素性はほとんど知らない。

今からすぐにバイト先を見付けて働けたとしても、戻ってこられるのはきっと数週間先になる。

けれどこればかりはどうしようもなかった。


「じゃあお願いがあるんだけど。ダイチさんが今描いてる絵をちょうだい?」

「これか?もちろんいいけど、どうするんだ」

「スマホの待受にしたいから」


すぐに了承し、その場で端末を操作してデータを送る。


「なら俺も、この絵の代わりってわけじゃないけど、ソラが前に描いた絵をくれない?」


初めは渋っていたソラだったが、俺が拝み倒したらデータを送ってくれた。

それぞれの絵を再会の約束の目印にして、俺たちは暫しの別れを告げた。




大地だいちくん、おつかれー」

「はい、おつかれ様でーす」


あれからすぐ運良く“急募!”の貼り紙をしていた居酒屋にてバイトの採用が決まった。

あんな貼り紙をしていただけあって毎日が忙しく、日は飛ぶように過ぎていった。

今日は急な宴会が入った為に対応に追われ、すっかり遅くなってしまった。


人通りも疎らな道を歩いていると、近くで何か言い合っている声がした。

両側を古いビルに挟まれた狭い路地裏。声はそこから聞こえてくる。


取りあえず様子を見るだけ、やばかったら人を呼ぼう。そう決めてそっと窺うと、柄の悪そうな男二人と、ものすごい美人がいた。


白に近い金髪、しなやかな手足、人を惹き付ける深い碧色の瞳。

それはまるで俺がバーチャルで使っていたエルフのようだった。


今までの俺なら絶対に関わったりしない。即刻回れ右だ。

“今までの俺なら”な。


ソラがやたらと褒めてくれるおかげで、最近妙な自信が付いてしまった。

その影響は絵だけじゃなく、日常生活にも良い変化を齎してくれていた。

だからといって、流石に全てを変えられるはずもなく。

助けたい気持ちはあるものの、厚さも重さも自分の倍はありそうな相手二人に動くタイミングを掴みかねていた。


「いい加減しつこい!」

「ならスマホの番号だけでも教えてよ。今日のところはそれで帰るからさ」

「だから嫌だって言ってんでしょ!」


女性の手からスマホが奪い取られそうになる。

あ、やばい。

そう思ったと同時、自分でも驚くほどの声量で叫んでいた。


「お巡りさん、こっちです!」


瞬時に振り返る二人。目が合う。

嘘だと悟られないよう必死で手を振り「早く早く!」と叫び続ける。


「や、やばくね?」

「チッ、行くぞ」


二人は路地の向こうへ走り去っていく。その背中がすっかり見えなくなってから、ようやく緊張が解けた。心臓の音がすごい。


強そうな男二人に気丈に対抗していたが、やはり相当怖かったのだろう。

女性は地面に座り込んでいた。


ついさっきあんな事があった後だ。

例え俺みたいな弱っちい野郎でも、今は怖がらせてしまうかもしれない。

だから一声掛けて、落ちているスマホを手渡したらすぐに退散するつもりだった。


「あの、大丈夫ですか?すみません、さっきの警察呼んだってのは嘘だったんですけど、もし必要なら今からでも……」


途中で言葉が止まった。

信じられないものを見てしまったから。


それは世界で一人しか持っていないはずのもの。

あの日ダイチおれが描き上げた絵。


「ソラ……」


俺の呟きに彼女がはっと反応した。

大きな瞳をさらに見開き震える声で問い掛ける。


「……もしかして、ダイチさん?」


嘘みたいだ、こんな事。

こんな奇跡みたいな巡り合わせ。

しばらく無言のまま見詰めあっていたが、気付けばどちらからともなく話し出していた。

いつもの美術室みたいに。


彼女ことソラがなんであんな小学生男子の姿を選んだのかも聞いた。

その昔、目立つ容姿で敬遠されたり、嫉妬から来る完全に言い掛かりの難癖を付けられたりしたらしい。だから比較的平凡な姿になって、その頃をやり直したかったんだと。

俺は俺で地味さと消極的加減からクラスに馴染めずにいたけど、こんな綺麗な子も万事上手く行くわけではないらしい。当然か。


「あの、私次に会ったら言おうと思っていた事があるんです」

「奇遇だな。実は俺もなんだ」

「また絵のコンクールに挑戦してみませんか」

「また絵のコンクールに挑戦しようと思ってる」


声が重なる。俺たちは同時に吹き出した。

この広い世界の、案外狭い世間での出会い。

こういうものを、運命って呼んでも悪くないよな。


「また、絵を描くところを見ていてもいいですか?」

「……邪魔しなければな」



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