指輪

「……! そう言ったよなァ、お前は」

 2Lはあろうかという鶏卵を片手に、その男――吾田間あだまさとると名乗った――は語りだした。

「いや、ないが」

「ククク、今更怖気づくのも無理はない。自信満々の私の姿を見て、考えたんだろう? 『卵を割る策があるのか?』と!」

「……」

「おおっと、動くなよォ! この卵割りには集中concentrationが要るンだ。ステイ、ステイだ。……そう、それでいい」

 ナトリウムランプの薄明かりの中、卵の表面が赤銅色に輝く。

「見ての通り! この卵に一切の瑕疵はない。『既に割れている』だとか『割りやすいよーに微細な穴を開けている』だとか考えたなら、そいつは見当違いだ。そして……!」

 ズズゥー……、吾田間が右腕で懐から小さな金属ボウルを取り出す。

「これで両手が塞がった。この状態から卵を『割る』!」

 何なんだこいつは……? この卵を割ることへの異常な執着! 異様な圧力!

「前口上は、いい! とっととやってみせろ」

 雰囲気に飲まれ芝居がかった台詞がこぼれるのを、遅れて知覚する。

「フン! いいだろう。やってやる」

 ズォッ! 音が幻聴こえるほどの質量を伴って、吾田間の腕が眼前に伸び、そしてインタレース方式の動画のように一瞬ブレる。聞き慣れた卵の割れる音が響き渡ったのはその直後だった。

 ボウルへ卵白が吸い込まれるように落ち、その向こうに吾田間の尊大な笑み見る。

「バカなっ!」

「フハハハ! 見たか! 聞いたか!」

? 奴は確かに鶏卵を握り込んでいた。握力で割ったなら粉々になってしまい、あのようなキレイな割れ目は生じない。奴が言ったようなイカサマをしていたなら不可能ではないが、見たところ奴は自尊心プライドが高く不正を承知で行うことを嫌うタイプ! 不正はないだろう。ならば……。思考を深めようとして、目の端にキラリと光るもの感じる。吾田間の手元の、指輪……? 瞬間、思考がスパークする。鶏卵、指輪、金属ボウル、長手袋、ブーケ……!

「そうか、分かったぞ。お前のトリック!」

「ト・リ・ッ・ク、だと? 貴様、この私の技術をペテンと愚弄するか!」

「フフフ、焦るなよ。お前の技術、認めよう。確かなものだ。だが果たしてそれは本当に誇れるものなのかな?」

「何が言いたい!」

「だから焦るなと言っている。簡単なこと、お前の技など児戯にも等しいのだというのだ。それを証明してやる」

無言で空の手を差し出す。吾田間から、その怒りに震える手から、鶏卵を受け取る。

「仕掛けはないぞ……!」

怒気を孕んだ眼で吾田間が見る。

「フフ、そんなものは必要ない。見ていろ……!」

ヒュパッ! 鶏卵を吾田間の持つボウルへ差し出し、――ポトォ……――そして卵白だけを落とす。

「バカな! そんな……!」

今度は吾田間が驚愕する番だった。

「お前と同じさ。その左手。この薄明かりで見破るのは難しかったが、結婚指輪だろう?」

「ああ、妻から贈られたものだ……」

「肉で覆われた手で鶏卵を割ることは確かに難しい。だがその手に金属の指輪がついていたなら? 答えがこれさ」

左手の指輪を指し示す。

「貴様、既婚者だったのか……」

「既婚者? アンタと同じにするなよ。これは婚約指輪さ。元カレからのな」

「くっ……」

吾田間が膝から崩折れる。その肩にそっと手を添える。

「こんな技に頼らずとも卵は割れる。指輪がなくともパートナーを気遣うことができるように、ね」

「ううっ、ううう……!」


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