タトゥー

 刺青いれずみと言われて何を思い浮かべるだろう。――いや考えなくていい。これからの話には差し障りない――残念ながら、この国の現在において、刺青の地位は著しく低い。理由は様々。曰く、一度入れた墨を消すのは難しい。曰く、人体に不可逆な変化を与えることは倫理観に反する。曰く、健康を損ねる。etc.and so on

 だが恐らく最も一般的な理由は、反社会的勢力の象徴とされるからだ。


「じゃあ、どのあたりに彫ります? ……イメージしやすいのは、肩とか肘の先とかですかね。あっ、失敗した、とか思っても消せないんで、お試しでやるならぁ、肩の当たりにちょっと入れるくらいをオススメしますよ。……彼女とか彼氏とかの名前を入れたりする人多いんですけど、まあ、上手くやらないといけないんで。お互いね。へっへっ。……下絵はこんな感じで? 大きさとかはまあ、お客さまの身体に当ててみて、調整していくんで。ま、参考程度にね。……ちょっと大きいな。……いや、大丈夫です。直しますんで。……よし。じゃ、こんな感じになります――」


 ――数時間後。今日の施術を終え、客が帰っていく。

「ふぅ……」

 体の内側に押し留められていた空気を一気に吐き出す。今日はこれで店仕舞いだ。

「……」

 なんとはなしに今後の予約が書き込まれたカレンダーの方を見やる。疲労のせいか、焦点を合わせる気力も湧かず、ただぼんやりと見つめる。見なくても分かる。客入りは上々。再来月まで予約があり、週に一・二回施術する。抱えてる客は二人、否、さっきの客を入れて三人。……つまりは、そういうことだ。

「はぁ……」

 ため息に任せて受像機を点灯させる。

 カコッ、キィィィ……。

 画面の中で、初老を疾うに過ぎたと思しき男の姿が浮かび上がり――画面下に『堀田ほった清雄すみお』と書かれたプレートが映っている――次いで彼の論説が聞こえ始めた。


「……いうわけでね、刺青なんか入れてる人っちゅうのはね、みんなアレ、ンのー、ヤクザですから。反社。反社ですよ。だからね、違法化したらいいんです。そもそもぁね。ボクん若い頃はね、違法だったんです。それがいつの間にか、ドサクサにぃ紛れて合法っちゅうことになった。ワカル? きみ。ですから、改めて違法化。彫り師なんかもアレ、みんな反社ですから、もう逮捕したらよろしい。ボクん言うてること、間違ってますか?――」

 バヅッ……。

 画面が切り替わり若い女性キャスターが映るあたりで受像機を消灯した。

「……はぁ」


 ――――


 堀田ほった清雄すみおは暗闇の中で目を覚ました。目の周りにゴワゴワしたものを感じる。それが目隠しで、自分が手足を縛られていることを認識するまでには幾分か時間を要した。

「何だこれは!――」

 ――そう叫ぼうとしたが、全身に綿でも詰められたかのような感触が押し寄せ、ふがふがとまるで呂律が回らなかった。


「お目覚めですかい」

 どこからか低い男の声がした。

「らえらいうぃあ(誰だキミは)?」

「いや、無理して喋らんでいいですよ。加減はしましたが、全身麻酔しましたから。……あー、もう一回言ってもらってもいいですか?」

「うぅぅ……。だえあ(誰だ)! だえあんあ(誰なんだ)!」

「あ、はい。もういいです。分かりました。私は、いや私達は、全国刺青普及組合の者です。私はホッタ。ああ! あなたと同じ苗字でしたね。下の名前は、タクミ、です。ま、名前なんかどうでもいいですがね」

「らうぃあうぉふけ(何がもくて)、ガハッ、ゴボッ、ゴホッ……るるらうぃがうぉくけきぇわ(何が目的だ)!」

「はい。……はい。モクテキ? あ、目的ですね。私らぁ、全国刺青普及組合の者でして、さっきも言いましたが、ええ。それで、是非とも堀田先生。……なんかこう言うと私がセンセみたいでこそばゆいですね、へっへ。……まあ先生に是非とも刺青の、こう、良さっていうものを知って、世に広めて戴きたいなと、ね」

 何だこの男は。まるで話しにならない! ……清雄は全身に力を込めて起き上がろうと――未だ上下の区別も曖昧だったが――藻掻いた。

「ああ! 動かないでください。手許が狂いますから」

 男――堀田タクミとか言ったか――が清雄の身体を押さえる。無骨な、固い手の感触。


 手許……? 刺青普及……? にわかには信じ難い考えが頭をよぎる。この男は、この男らは、自分に刺青を入れようとしている……? 何故? 自分を拉致して。何故? 刺青普及のために……?

 そこまで考えが及んだとき、火傷のような痛みが、身体の中から突如として湧き立つのを清雄は感じた。

「アアアーーッ!」

「どうしました!? ……ワブチさん! 麻酔、麻酔! センセ、大丈夫ですかー! 痛いですか? 麻酔が切れてきたみたいなので! ちょっと足しますけど。起きたら完成してますから! 私ら四交代制でやってますんで。もうちょっと我慢してください! ……ワブチさん、お願い。……そう。ありがとう……」

「アアアアアーーーッ!!」

「大丈夫ですよっ!」

 大丈夫なものか!――心の中でそう毒づきながら、清雄の意識はまた暗闇へと落ちていった。耳元に「大丈夫」の音が木霊するのを感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る