ninety-one
数日、ボロ屋のような所に放り込まれた。ローゼが用意した隠れ家だった。彼女がイルさんを使ってなにをするかは聞かされておらず、私はローゼがどんな計画で、私を生かそうとしているのか、まるで判断が付かずにいた。
蜘蛛の巣の張る部屋で、角に座って考える。灰色の、埃の舞う部屋。いまだ戦時は続いており、時折地震と紛う揺れが身を襲った。街中で警鈴が鳴らされるが、私はここから動くなと命令されていた。
戦争の状態もまるで分からない。私が突如姿を消したことを、共和国や王国は報じているだろうか。王国は、神の言うように苦戦を強いられているだろうか。私の行動が遅れれば遅れるほど、共和国に有利な状況が拡がっていくかもしれないことが、私を芯から焦らせた。
これから私がどうすればいいか、教えてくれる存在はもういない。時間の神は死んでしまったし、リタもいなくなってしまった。エイミーは遠く離れてしまった。ああ、本当だ。私たちは二人でなきゃ生きていけない。
何度もエイミーを突き放そうとした自分をやっぱり馬鹿だと思った。一人でここまで来るなんて無理だった。孤独になって初めて気が付いた。エイミーの抱き着いてくる重みがなければ寝られないのに、一人で旅をしようなんて浅はかだったんだ。
ささくれ立った木の床を撫でる。埃に覆われて、指先がちくちくと痛んだ。地に足を着いて、現実を直視している時に、夢を見ているような気分になる。風邪を引いて発熱して床に臥している時とか、骨を折って痛みに耐えている時とか、そういう時に認識する現実は、どこか薄ぼやけている。
覇者は言った。志持って、孤軍奮闘せよ。
私は、孤軍奮闘できなかった。結局ローゼやイルさんに頼ることになった。私一人じゃ、なにもできなかった。できたのは途中までだ。
――だけど、考えないでもなかった。私は、運命に翻弄されていたけれど、そうして姫を抱いたからローゼと殴り合ったし、シモーネを抱いたからここまで来た。もし、そういう悪辣な人生が、誰かに頼るための一瞬間にあったとするなら、後悔なんて、ほんとに存在しないかもしれない。
ローゼがそうやって、私と向き合ってくれなかったら、彼女はいま私のために動いてくれなかったかもしれない。私がシモーネを、どんなやり方であれ救わなかったら、王国は私の知るまもなく滅んでいたかもしれない。
連日続いた雨が止んで、すべての湿気を取り払って、いままでの行いを悔やむかのように、急に雲が全然消えて、太陽が姿を現した。ボロ屋の磨りガラスから乱反射して、輝きが地面を照らすと同時に、ボロ屋の扉が蹴飛ばされて開いた。
「――ローゼ」
「斎藤菜月、あなたを十級戦争犯罪者として、確保します。両手を後ろに、跪け」
――――――
―――……
……
手酷い仕打ちを受けた。私に触れる手はぞんざいで、ほとんど殴るみたいに誘導がされる。ローゼが言ったように、彼女からは離れて、まるで知らない騎士の男たちに囲まれていた。馬車に乗せられるのをただ感覚だけで気が付いた。私は目と口を塞がれていた。魔法使いはこうなっては、もうなにもできない。
身体の底を、地面が揺らす。馬車の車輪が転がる間、いまどこへ向かっているのだろうと思った。何時間も何時間もずっと座ったままで、身体の節々が痛んだけれど、それを誤魔化そうとして身を捩れば、警戒した騎士に頭を殴られた。
彼らは、別に悪い人間というわけじゃない。私は、十級の戦争犯罪者なのだから、やりようとしては当然だ。むしろ、犯されないだけマシだと思った。
馬車は休憩を挟みながら、何度が止まる。その度、隣に付く兵士も変わった。四度目に止まって、そしてまた動き始めて、耳鳴りが車輪の転がる音に変わる時、不意に私に話しかける声がした。
「菜月ちゃん、なにもないふりして、聞いてね」
私は思わず声を上げそうになったが、言われるようになにもないことを装った。知っている声がして、本当に安心した。イルさんの声だ。
「菜月ちゃんはいま、王国の中央へ向かってる。姫の領土より内陸の、中央政府があって、王様がいるところね。あなたを迎える準備はもう整ってて、おあつらえ向きの処刑場もある。姫君もそこに呼ばれていて、菜月ちゃんが殺されるのを見なきゃならない。泣いて暴れていたけど、国王は酷な人で、特等席みたいな塔に彼女を置いてる。国民も集まってる。話題をかっさらった魔女が、やっぱり魔女みたいなことして処刑されるんだから、こんなに面白いことはないってね。王国と共和国は停戦の協定に入った。ローゼから聞いたよ。ここまで織り込み済みの、菜月ちゃんの計画だってね。私はあなたに確かに期待してたけど、国家まで動かし始めるとは思わなかった。――変な話だけどさ、」
イルさんは言葉を区切って、しばらくなにも言わなかった。私には先を促すこともできなくて、ただ揺られて待った。
「自分の娘がね、立派になって帰ってきてくれたみたいで、嬉しいんだ」
優しい声がして、首の後ろを掴むふりをした手が、髪の隙間を撫でていった。黒い布の内側で、私は目の上が熱くなるのを感じたけど、目隠しを濡らしてたまるかと思って、耐えた。
「そう、自分の娘。私は憲兵として、教育をする立場にも立ってた。ローゼが先生って呼ぶでしょ。そう呼ぶ人は少なくない。つまりね、だから、『教え子』がね、たくさんいるんだよ。こうして戦争犯罪者の輸送の任務に付くのも、そういう道を使って作った機会だった。みんな国が好きで兵士になるけど、兵士になったあとは上官が好きでたまらなくなる。軍隊の上下関係は、本当の家族とは別の家族を作るための機能なんだ。それは戦時に作用して、士気とかを向上させるための機能のはずだけど、残念ながら、悪いように使う人もいる。――いまの私とかね。これがバレたら私も皆もおしまいだけど、菜月ちゃんやエイミーがたくさん頑張ったのに、宿でぬくぬく寝てる場合じゃないからさ、張り切っちゃった。それに、ほっといたらもっと悪いことが起こるような気もした。ローゼがしっかりね、私の目を見て、斎藤菜月を救うのにご助力くださいと言ったの。あの子に愛情を理解させるのには、私もずいぶん手を焼いたけど、あの子もまた立派になってくれた」
私は、誰にも分からないように、イルさんにだけ分かるように頷いた。
「さて、あなたのための処刑場が用意されてるって言ったね。いまから菜月ちゃんはそこに行く。そして、そのまま、そこにいて欲しい。いるだけでいい。発砲の合図が鳴ったら、すべて決着する」
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