seventy-four
セミダブルのベッドに三人はやばい。いかにエイミーとリタが華奢で、私の肉付きが良くなかったとしても、二人はほとんどベッドの端から身体をはみ出していたし、私も掃除機で圧縮された布団みたいになっていた。ここまでして三人で寝る必要あるわけ? 二人が寝たら私だけ抜け出して一人になろうか。
だがエイミーは絶対に寝る時に私の裾を掴むし、リタはリタで初めて一緒に布団に入るとは思えないくらいぎゅうと私を抱きしめていた。いつも、昔話や前の世界での話を聞かせてやると、エイミーはいつの間にか眠る。今日は私の高校受験の話をしていたが、リタの質問がところどころで差し込まれるので、普段とは少し違う雰囲気になった。とはいえ、話にひと段落付くところでエイミーはやはり寝付いて、最後には私とリタがひそひそと話すことになった。
私は仰向けで寝そべり、エイミーの寝息を右の耳元で聞きながら、反対ではリタが枕にうつ伏せになって、私の横顔をじっと見つめている。
「菜月ちゃんは寝られない人なんだね」
「そうだよ。リタは寝ないの」
「私は寝なくても平気な人。三時間とかで足りるよ」
羨ましい体質だと思って嘆息した。そういえばさっきも、夜中なのにコーヒーを淹れていた。
「菜月ちゃんはどうして寝られないの?」
「さあ、なんでだろね」
リタとは今後、どれほどの付き合いになるかよく分からない。それに、過ごした時間もまだ短ければ、お互いのことをよく分かっているでもない。込み入った事情を話すのは憚られた。私の寝られないのは明確に前の世界でのことが関係しているけれど、リタに話すには少し長い。だからはぐらかした。
「寝なくても元気ってことは、夜とかずっと起きてるんでしょ。なにしてることが多い?」
「考えごとしてるかな。思い付いたこととか、全部ノートに書くの。菜月ちゃんに会いにいく計画も、そうやって考えた」
「他には?」
「他?」
「なに考えてる? 夜は思考が煮詰まるでしょ」
私が言うとリタは頷いた。確かにそうだと言いたげだった。
「よく考えるのはね――」リタは一度言葉を区切って、腕で上体を起こす。「可哀想な人たちのこと。菜月ちゃん、お金ない人のために、旅を始めたんでしょ?」
「うん、そうかも。でもリタが期待するような大義はないよ。結局は、私にお金があったから始められたことだし、私のしてることが、正しいかどうかも分からない」
リタは首を傾げて、私の目をじっと暗い瞳で見つめながら、黙っていた。なにか考え込んでいる人の顔。部屋は薄暗く、エイミーの寝息だけで静かだ。私たちは慎重に言葉を選んでいる気がした。リタは普通にしていたら軽薄に見える女の子だ。顔立ちが幼くて、快活そうだからそう見える。けれどそうではないことをいくつかの場面で感じてきた。
「可哀想な人が放っておけなかったんでしょう?」
「……それはまあ、事実かもしれない」
この話題のとき語尾がいつも濁ってしまうのは、根底にあるのが私にとって満足のいく動機ではないからだ。金のない人を助けるとか、可哀想な人が放っておけないとか、たしかにそういう理由で物事を始めたけれど、それが高尚ななにかだと思われるのはあまり……なんというか、不可解だった。少なくとも、私は姫が認めてくれたような人間ではなかったし、もちろん情報機関が言うような悪漢成敗屋さんでもない。
突き詰めてみれば、みんな可哀想な人だ。そういうことに気が付きつつある。貧乏人も金持ちも、別な悩みを持っている。私が救ってあげた人間ですら、それで路頭に迷っているかもしれないのだ。シモーネや姫の顔も浮かんでくる。可哀想だから身体を重ねたあの女の子たち。あるいは、私それ自身が惨めな人間であるかもしれない。
「リタはどうして、可哀想な人たちのことを考えるの。私に寄ってきたのだって、それをする人だと思ったからでしょ」
「私はね」
リタが暗い声を落とす。なにか遠い記憶を遡るような雰囲気を感じ取った。
「――お家にも、お金がたくさんあったし、不自由なく生きてきた。魔法の才能にも恵まれてた。でもなんでも持ってると、なんにも持っていない気になることがあるんだよ。ある日ね、なんていうのかな、悪友? に誘われて、貧民街に出かけたんだよ。理由はなんていうのかな、物珍しさ、というか、怖いもの見たさ? ねえ、怖い物語ってあるでしょ。あれってなんで存在すると思う?」
不意に差し出された議題に、私はなんと言えばいいのか分からなかった。怖い話は、怖い話が好きな人のためにあるのだとしか考えたことがない。私は首を振って、なにも言えないと暗に示した。リタはほほえんで頷く。
「ああいうのはね、自分がそうじゃないってことに安心するためにあるんだよ。物語っていうのは、ふつう私たちに寄り添ってくれるでしょ。英雄譚は私たちを英雄にしてくれる。恋愛物語は私たちに恋愛をさせる。悲劇は悲しい気持ちに、喜劇は嬉しく。でも、怖い物語を見ても、私たちは別に死霊になったり、しないでしょう」
「……そうだね」
「だから、つまり私は、たぶん、怖い物語を見に行ったんだ。ボロきれみたいな格好をしてる人たちの間を、それなりにいい服きて歩くことになるの。それがさ、――分かる? めちゃくちゃ居心地が悪かった。なんでこの人たちはこんなに恵まれてないのに、私みたいななんの目標もない人がこんなに恵まれてるんだろうと思って。私は途端に自分のいる位置が分からなくなったの。遠目から心の中で冷やかして、幸せな生活にまた戻ろうと思っていたら、ひどく沈み込んじゃった。話を聞くとね、みんな、なんか夢とか希望とかに溢れてるんだよ。でもそれが物質的な制限でできない。目の前のパンが欲しいとか、ケーキが食べたいとか、そんなことじゃないの。もっと大きなこと。王になりたいってガキまでいた。私よりずっと輝いた目をしながらそういうのを語る人々を見て、私に将来の展望がないなら、こういう人たちのために使うべきじゃないかって思ったんだ。だから共和国ギルドに入りたかったんだけど、私のそういう考えを両親はめちゃくちゃに否定した。理屈はよく分からなかった。聞いても分からなかった。でも言葉は覚えてるよ。お前が恵まれてるのは、俺に稼ぎがあるからだ。お前はそれを利用してきた。いつかお前が子供を産む時、お前はお前のように幸せな子供にしてやることができるのかって」
「安定した仕事に就かせたかったんだろうね、親は」
「たぶんね」
リタは呆れた目で頷く。リタがそのあとに続けた言葉を聞いて、私は目をつむった。
「でも、私にはやりたい仕事なんか無かった」
彼女は続ける。
「たしかに、お勉強をがんばったら役所で事務仕事ができて、たくさん給料もらって、父の言うように幸せな家庭にいられるかもしれないけど、でもその幸せってなんだろうと思ったの。貧民街の彼らの方が、私よりずっと幸せそうだった。目の前の物に欠けるものがあるからこそ、自分たちでひそやかな幸せを探して、懸命に生きてた。結局話は平行線で、飛び出したのが数年前。最初はギルドの小間使いやってたよ。その間に魔法練習して、稼げるようになって、初めての小切手で、最初に話した子たちに簡単な贈り物をしてあげたんだよ。ボードゲームって言うの? みんなで楽しめられるかと思ったんだけど、次の日にはみんな外に出て、ぼろぼろのボール蹴飛ばしながら外駆け回ってた。ルールを覚えるのがなかなかね。字も分かんないし数字も分かんないのに、そういうのが分からなきゃできないやつ買ってっちゃってたんだよ、私。うけるでしょ。でもね、なんか、幸せって人それぞれなんだなってその時に思ったんだ。カードとか、高いご飯とか、服を買いに行くとか、私はそういうのを幸せなんだと思ってた。みんなもそれができたらいいんだと思ってた。でも違った。私たちの世界には、むしろ金を捨てて生きる人までいる。私のそれが違ったって分かった瞬間、私のも別に幸せだったかって考えると急に分かんなくなっちゃったんだ。次に会った時に綺麗な新品のボールをあげて、一緒にその子たちと遊んだら、びっくりするほど楽しかった。高い外套の裾は汚れるし魔女帽は泥水に落ちるし、散々だったけど、馬鹿になってはしゃいだの。私は本当に自分が楽しいと思えることを探すために、色んな人に会いたいのかも」
「そっか」
私の返事は簡素だったが、リタは不服そうにはしなかった。時折の私の相槌で、話が通じていることを、彼女は理解していただろう。
リタは幸福の種類を知り、それを知るために、不幸な人々を救って、同時にまた自分も救いたいのだ。
「だから菜月ちゃんに会いに来たのも、なにか私の知らないことが見つかるかもって思ったんだ」
新聞で私の情報を見て、実態はともかく、リタは自分と同じようなことを、それも国家の政治にさえ関わるようなことをしている人を知った。だから私と旅をすれば、それが見つかるのだと思ったのだろう。
それが見つかるにせよ見つからないにせよ、リタがそう思うのなら一緒にいてあげるくらい苦にはならない。場当たり的な突飛さはあるけど、それ以上に、聡明で活き活きとした女の子だ。
「リタの話、聞けてよかったよ」
「うん、ありがとう。あんまり話したことなかったから、自分でもなにがしたいのか、いま明確になった気がする。菜月ちゃんに会えてよかった」
「……私はきっとリタが思うようなすごい人じゃないけどさ、なんか、超えてってよ、ちゃんと。私よりいい魔法少女になってね」
「魔法少女かあ、いい語呂だね、それ」
リタはくすくす笑っていた。この世界では魔法は老人が使うものだから、そこには少し滑稽な響きが混じるんだろう。
「じゃあもっと名を馳せて、魔法少女って名乗るね」
ブレマジの新シーズンはリタ・ジクシー。それもまあ、ありだな。
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