sixty-nine
「じゃあそんな菜月ちゃんに信頼されてるなら、エイミーさんからお願いしてよ。私も旅に加えるって。エイミーさんのお願いなら聞いてくれるんでしょう?」
クライネさんも加わり改めて座り直すと、リタさんはスプーンをくるくるとカップの中で回しながら言った。私はどうだろうと思ってなにも言えなかった。
……それに、菜月さんとの旅で二人きりだった時間は、よく考えたら少ない。今回の場合どんな旅路になるか不安ではあるけれど、菜月さんとしっかり話し合って、それで二人で見る景色はきっと美しいだろうと想像していた。だから旅がまた三人とか四人となると、その楽しい想像も露と消えてしまう。
けど、そんなの私の勝手だ。菜月さんの旅なのだから、菜月さんが決めることだ。
「分かりました。私から相談してみます」
「そ。なら、私ここで待ってます。エイミーさん行ってきて」
「え、一緒においでにならないんですか。人質の意味は?」
「来るまでここで五千年でも待ってる。――って言われたら、放っておけるほど薄情じゃないでしょ」
リタさんは手をひらひらとさせる。その指先に窓から白い光が当たるのが見えて、夜が明けたことが分かった。間の抜けた感じはあったけれど、そう言い当てられると少し笑える。私は立ち上がって、小さく会釈をした。クライネさんはずっと黙っていたけど、リタさんを一瞥してから私の手を引いて、それで私は数時間越しに外の空気を吸ったのだ。
朝の城下町には人がおらず、閑散とした静けさに、淡い陽光が降り注いでいた。青い窓辺は私たちが進む度に太陽を照り返して白く染まる。ほんのり頬を冷ますつめたい空気が時折風に運ばれてきた。静寂は夜のように突いたら割れそうなほど固くはなくて、耳に綿を詰められたかのような柔らかい静けさだった。二人分のブーツの底が煉瓦の道に触れて音を立てる。
「エイミー、喫茶には戻らなくていいと思う」
「まあ、菜月さんに話すだけ話しますよ。それで放っておけって言うなら、そうします」
私が冗談めいてそう言うのに、クライネさんは少しも笑わず、ぱたりと歩みを止めた。黒い服装が朝陽で反射して白く見える。魔女帽のつばの下で、何色か判然としない瞳が、じっと私を見つめていた。
「ねえ、エイミー」
「……はい」
「お城に来ない?」
私は首を傾げる。わざとらしいかもと思ったけれど、素直には反応できなかった。
「いまから行きますよ」
「いえ、そうではなくて」
クライネさんはじっと黙る。口元は拗ねた子供のように一文字に結ばれていた。私は口から息を吸い込む。夜の深さで濾過されて、透き通った朝の空気が、血に混ざっていく気がした。
「私とお城に住まないかと、そう言ってるんです」クライネさんは言う。「悪く言う気はありませんが……、エイミー、あなたが拐われたのに、すぐに助けに行こうともしないんですよ」
「……もう、悪く言ってます」
「私は悪いと思っているからです。でもあなたがそう思っていないのも尊重してます、けど、どうですか、魔術師を目指すなら、危ない旅を続けるより、――さっきだって、私が間に合ってなければどうなってたか分からないし、きっとお城で私と過ごすほうが、安全で、安心で、拐われたのに見向きもして貰えないなんてことも、ないんですよ」
「クライネさん、」
「どう? エイミー、お城で一緒に。あなたのための素敵な部屋も用意してもらって――」
「私は、」
「毎日お茶菓子も出してもらえるし、気に入らないなら好きな物出してもらえる」
「……クライネさん!」
声が路地に入って反響する。クライネさんは驚いて、口を小さく開けたままにした。
「……お誘いは、とてもありがたいです。お城で勉強できたら、どんなに恵まれてるかも分かります。でも、私はもう菜月さんと最後まで旅をすると決めているのです」
「最後ってなんなの? 目的もない旅でしょう」
「最後は最後ですよ。菜月さんがいなくなるまで」
「……死ぬまでということ?」
クライネさんの湖の水面さえ揺らさない小さな声が問う。私は炉端に生える黄色い花に目をやった。
「死ぬまで一緒にいられたらどんなにいいでしょう。でもきっとそうはなりません。菜月さんは現れた時のようにふわりと消える気がしてならないのです。だから、それまでは一緒にいたい。目に焼き付けておかねばなりません。私が死ぬまでの思い出に」
「いつか消えると知っていて、あなたが残されると知っていて、それで付いていくの?」
「ええ」
「そんな……そんなにすべて、捧ぐべき人? 今日だって迎えに来てくれなかったんですよ、ほんとに?」
「そんなにすべて捧ぐべき人です。今日だって、私の見ていない間にいなくなってしまったらと思っていました」
「どうして、私ではいけないのですか」
「クライネさんじゃダメだなんて言ってません」
「でも菜月さんと比べたら、菜月さんなんでしょう」
「比べてもいません」
「比べる対象にもならないということ?」
「はい、比べる対象にもなりません」
クライネさんは俯いて首を振って、歩いて私を横切ろうとした。その手が通り過ぎる前に、ぐっと掴む。ひどく細い腕だった。頼り甲斐もなく、まるで魔法を扱えるとは思えないほど華奢だった。
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