fifty-eight

 私とエイミーが出会った森は、竜巣の中でも比較的高度のあるところに位置し、街を見下ろしている。竜巣に住む金持ちは、その森の一段低い地形の土地にある住宅街に居を構えることが多いらしい。


「竜巣の森の木も、なかなか背が高いよね」

「ああ、そうですね」


 エイミーと出会った時のことを思い出す。自分の目覚めた場所が見知った場所でないことを、私はあの森の高い松の木を見て悟ったのだった。世界樹ほどではもちろんないが、それでも異様な背の高さである。


「竜巣の木はそればっかりか、数が減らないのよ」


 ローゼが言う。私は首を傾げた。


「え、なに? どういうこと?」

「切っても切っても数が減らないの。切り株から、次の日にはまた同じような木が生えてくる。年輪がないんですよ、だから」

「あんなでっかいのがどっから出てくるわけ」

「世界樹の根では、と言われています、菜月さん。世界樹の根っこがここまで伸びてきて、それで地面を突き破って、木のように葉をつけて振る舞っているんです。だから年輪もないし、成長の速度も異常だと。竜巣は中継貿易も栄えていますが、木材の輸出でもある程度稼いでいます。とはいえ、根は根でしかないので、強度は低く耐久性も低いです。使いどころは選ばれますね。雨風のない竜巣が育つ環境として優れているのでしょう」


 エイミーの説明が終わると、前方からため息が聞こえた。


「しかし本当に世間知らずですね、菜月。先生が宿で拾ってくれなければ、いまごろ野良犬の餌になってたんじゃないですか」

「なんてひどいこと言うわけ。イルさん聞きました? いまのローゼの言葉」

「ひどいね~」


 イルさんがおかしそうに言うと、ローゼはおどけて肩をすくめるが、居心地は悪そうだった。これからローゼに腹が立つことがあったら、イルさんをぶつけようと思った。


・・・・・


 近道は悪路だった。ろくに整備されていない黄土色の砂利道を、女子四人の足音が全く浮き足立つことなく通り抜けていく。足元を気にして転ばないようにするのか精一杯だった。崖下に転がり落ちたら情けない。


 イルさんはなにか聞きたいことがあったのか私の隣を離れて、先導するローゼの横に付くと、二人で会話を始めた。小声で内容が分からなかったから、私は聞き取ろうとすることを諦めて、二人の後ろをエイミーと歩く。


 話すことが思い付かなかったので、私はいつもエイミーと寝る前にしていたように、なんとなしに思い出話をし始めた。エイミーは私の故郷の制度によく食い付いてくれる。小中高の学校教育はもとより、子どもたちが集団で預けられる保育園とか幼稚園のシステムは、どうも馴染みがないらしい。「幼児たち数十人と大人一人で、まともに集団が機能するのですか」と尋ねるエイミーに、私は首を傾げ、果たしてあれを機能といってよいのかは分からないなと思った。


 私は保育園には入らず、幼稚園も途中からで社会生活に飛び込んだが、あまり馴染めてはいなかったような気がする。愛の家は飛び抜けて裕福だったから私とは違うところに通っていて、友達と呼べるような友達はいなかった。やたらに泣き虫で、朝に母が去ってしまう時だけならともかく、母が迎えに来てくれるも私は泣いた。母は確かに気難しかったが、だからといって厳格ではなかったし、人情もそれなりにあった。泣く私をなだめる細い指の形を、感覚ではなく映像で覚えている。そのくせ私は大人しく利口だと褒められる子どもでもあった。だがそれもよくある話だ。私はごくありきたりな幼女だったと思う。魔法少女が大好きな点も含めて、別に珍しいタイプではなかった。それなのに、とよく訝しく思うのは、それで、どこで周りと違ってしまったのだろうという事だった。愛がいた時は、私は私の在り方を常に認められていたから、なにも疑問には思わなかったけれど、愛がいなくなって、自分の歪さを認識するようになって、それで、自分の胸中は人とどこもかしこも違うのだと知った。周囲に合わせる努力を怠れば、すぐに変なやつと思われる。しかし心の底では愛以外の人々のことは基本的にどうだっていいので、曖昧な態度を繰り返すことになる。だが人は、そういう私を好いた。明確に好いてくれる誰かより、自分のことをどう思っているのか分からない不可思議な人間に、人は惹かれることが多いのだと知った。慕情とは、奇妙なことに、釣り合わない感情の間で起こる現象だ。


 私とエイミーが昔話をしていると、不意にイルさんとローゼが立ち止まる。いわゆる高級住宅街の一角だった。ローゼたちが見上げているので、目の前にあるのが件の屋敷だと分かる。周囲に比べてどことなく重苦しい雰囲気を纏い、重厚な石造りの煙突が他の家を睥睨しているように見える。広く整備された庭は小綺麗にまとまっていて、赤い薔薇のなる低木が目立った。ローゼは遠慮なく庭に踏み入って、私たちもそれに続く。


 しかしどれだけ屋敷に近づいていっても、人の気配はまるでしなかった。時刻も昼を回る頃だし、他所に出ていても不思議ではない。ローゼが扉を叩くが、何度叩いても応答がない。イルさんは丸い目で鷹のように周囲を見渡していた。


「留守かな」


 私が言うと、ローゼは薄ら笑いを浮かべながら取っ手を捻る。鍵がかかっていた。


「呑気ね。もっと最悪を想定してもいい気はするけれど」


 イルさんは扉から離れて、手の届く窓に手を掛ける。しかしそこも同時に鍵が掛かっていた。イルさんがローゼを振り向く。


「入ろう、ローゼ」

「どこから入りますか」

「そこの窓を割る。菜月ちゃん、杖出しといてね」

「深刻ですか?」


 エイミーが問う。私は言われた通り杖を構えたが、実際なにか飛び出てきたとして、それで躊躇なく魔法を打ち込めるかと言われたらなんとも言えなかった。ましてやそれがシモーネだったら――私はたぶん彼女の身体に電撃を喰らわせてやることができない気がした。


「数日、人の往来がない。溜まった郵便物とか、こんなに整備されているのに乾ききった植木の土を見るにね。なにかに怯えて、夜逃げしたんだったらずっとましだけど」


 イルさんが言っている間に、ローゼが庭先の窓を剣の柄で割った。そして、私たちはすぐに顔を顰めた。不快なにおいが襲ったのだ。それを鼻先で覚えた瞬間に、脳裏はまるで当然かのように内部の惨劇を想起した。初めて覚えたにおいでも、それがあまりに強烈すぎて、それがどういうものであるのか、すぐにはっきりとしたのだ。


 ローゼとイルさんは躊躇せず上がっていく。私も、足が竦んだけれど、鼻先をハンカチで覆い、粉々の硝子を踏んで、二人を追って屋敷に上がった。黴で覆われた、廃墟の重い影を見る心地がした。カーテンで遮られ薄暗い、広々と存在していたダイニングには、項垂れた無残な首吊り死体が二つ、天井からぼんやりとぶら下がっていた。


 異臭の正体は死体の腐敗だった。誰も慌ててそれを下ろそうとはしない。もう死んで数日経っているのが明らかだったからだ。体液が床を汚し、空気は死で充満している。死体は二つとも肌や髪がぼろぼろで生きていたような名残りはもはやなく、苦しんだのか掻きむしった跡が首元を覆っている。意外にも瞳は生者のように輝いていたが、それはもはやその器官が水晶玉のようになにも映さないからだと悟った。じっと見つめて、込み上げてきた涙をすんでで抑えた。目を逸らす、割れた窓から吹いてきた新鮮な空気を浅く吸って、肺の中を支配する死の空気を誤魔化す。死とは、こういうことなのだ。


 エイミーは、顔を顰めながらも目を逸らさなかった。彼女の頭には、数年前彼女が経験したもう一つの惨劇が繰り返されているに違いない。ローゼとイルさんに関しては、まるで動揺していなかった。死体を見るよりも先に室内の状況を見渡してから、イルさんがローゼに声をかける。


「ローゼ、探してほしいものがあるんだけど」

「なんです?」

「女の子と遺書。存在しなければ私の推論が完成する」


 頷いたローゼが体液を避けながら室内を出ていくと、イルさんはふと振り返って、固まる私を気遣った。


「外に出ても大丈夫だよ、たぶん身を潜めてる人はいないし、一度中に入っちゃえば、悪党が出てもローゼがなんとかしてくれる」


 首を横に振る。外に出る気にはならなかった。ここがこんな状態でも、中にいる方がましに思えた。一人で外にいれば、きっとすぐに思い出す。散々なことまで同時に思い出す。気の狂った話にも思えるが、死体を網膜に映している方がずっと現実味が薄れる気がした。


「……いえ、大丈夫です。二人は、自殺ですか?」


 死体は二つ。そして男女だった。現場だけ見れば心中だ。鍵も閉まっていたし、人が侵入する経路は無いように見えた。だが二階のことは分からないし、ローゼに対するイルさんの指示が、おそらくそういったこと全てを浮き彫りにするのだろうという予感があった。


 自殺であればいい、私の脳内をそういう願望が支配していた。他殺であれば、それは私が撒いた種だ。私が救った何かが起こした事故だ。だが私の言葉を、イルさんはすぐに否定する。


「ううん、私は人の意図が絡んでると思ってる。首を括ったのが自分からだとしても、他殺に近いことが起きた」


 黙りこくる。こんな時でもイルさんの瞳の色は瑞々しく薄い青で、幼く見えた。しかしその脳内では同時に様々なことが処理されて、このひどい惨状がどうして起きたかを解決しようとしているのだろう。私は首吊り死体を見て、それで思考が止まってしまったというのに。


「エイミーは大丈夫?」

「はい、問題ありません。なにか手伝えることはありますか」

「……窓を開けよう。私はその間に見るもの見るから、窓際でゆっくりしていて」


 エイミーが頷くと、イルさんは床から数十センチ浮いて佇む、項垂れた死体を観察し始めた。エイミーと二人で、部屋の窓という窓を開け放つ。空気の淀みは多少マシになったが、それでも自分の衣服や髪に腐敗臭が染み付いているような気がした。

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