fifty-three

「王国ギルドとか、共和国ギルドとか、そういうのがいまいち、まだ分かってないんだけど」


 私の声が空に小さく吸い込まれると、横で本を読んでいたエイミーが顔を上げる。汽笛が一度上がって、いやに涼しい風が船の甲板を撫でていった。私たちは姫に紹介されたギルドに向かう途中で、またいつぞやの船に乗せてもらって、久しぶりに二人だった。エイミーはぎこちなく姿勢を正すと、本に語りかけるみたいに説明を始める。


「……ギルドには派閥争いがあって」

「それは聞いたことある」

「じゃあどこからが分からないんですか」


 私の返事にエイミーの反応が棘を帯びた。彼女もすぐに思わずといった感じで口を閉じたけれど、私は口の中が苦くなって仕方がなかった。表情を我慢すると、味覚が変になる。傷ついた空気が、血の量を地に曝して教えてくるみたいに、私たちは尖った声のやり取りになってしまう。別にこんなふうにしたいわけじゃないのに、もうエイミーとはきっとずっとこうなのだと思った。


「口挟んでごめん、一から話してくれたら嬉しい」

「……いえ、……ギルドには派閥争いがあります。大ギルドはこの世に二つしか存在しなくて、中ギルドとか小ギルドは、基本的にその下に枝分かれするみたいに各地に点在しています。大ギルドの魔法使いは国籍を捨てますが、それでも出身に偏りは起きてしまうのです。一方のギルドは王国出身の魔法使いが多く在籍していて、もう一つのギルドもまた共和国出身の魔法使いが多く所属しているので、王国ギルドとか共和国ギルドとかの、俗称の由来はそこにあります。もちろん、依頼の内容に大きな差があるのも事実で、それもまた派閥争いの一つの要因ではありますが」

「共和国ってどこにある?」

「王国のど真ん中をくり抜くみたいにして、存在しています」

「ど真ん中を? どうなったらそうなるわけ」


 元の世界を想像してみても、一つの国家の真ん中をくり抜いて存在しているような国は全く思いつかなかった。都市国家とかならあるかもしれないけれど。


「それほど歴史のある国ではありませんが、強大な国家です。二百年ほど前、王国の内部で大きな反乱が起きて、山岳地帯を完全に占領し尽くしました。王国は度々兵を送りましたが、結局戦争に疲弊して、それでできた国が共和国です。当時結ばれた和平がいまも続いていて、見かけは平和だけれど――という状態ですが、……実際のせめぎあいは、ギルドを通じて行われていると見るのが自然かもしれません」

「じゃ、もともとは同じ国だったわけね、王国と共和国は」

「はい。そういう意味では、現在でも開かれた交流があります。民族主義的な紛争ではなく、単に政治的な問題ですから。王国が王国の外から侵害を受ければ、共和国と共同して戦争をすることもあるでしょう。……姫様は、みんなで綱渡りをしているのが国家の関係だと申していたように思いますが、それはやはり事実なのです。ああだからこう、という答えはなく、何か綻ぶこともあれば、固くなることもあるでしょう。大ギルドの派閥関係は、そういう意味で複雑です」

「王国出身の人が――たとえばシモーネが共和国ギルドに行くこともあるわけでしょ」


 そうだ。姫君は気になることを言っていた。『人を恨んでいるのに人を救おうとしている人が行く先は、世間の言う共和国ギルドと決まってる』。エイミーは頷いて、細い眉が難しい顔を浮かべた。


「依頼内容が違うんです。王国ギルドは以前に私たちがやったみたいな、獣退治や大きな竜の退治、あるいは何か大きな事業の手伝いが多いですが――共和国ギルドは、人を対象にした依頼を扱うんです」

「人を? どういう?」

「……あの悪党を懲らしめてくれ、みたいな」


「あー」とうめいた。状況は思った以上に最悪だ。道理で、あんな記事が流行るわけだった。成敗みたいなことを生業にしている人がいるんじゃ、魔法使いが悪事を暴く、みたいなのがこの世界では普通に受け入れられているはずだ。私がハンス辺境伯の屋敷に行って、奴隷を救ったのはまさにそういうことを体現してしまったに他ならない。シモーネが私のあとを追おうとするのも、当然のことだった。けれど、私は別に悪事を暴いて正義感に浸りたいわけではなく、世を正して自分が住みやすい世界を作りたいわけでもない。ただただ運命が恨めしく、金がないけれど困っている人の手助けができたらと思っていただけなのに、シモーネはそこを、やっぱり私への迷盲で捉え損ねているに違いなかった。


 私が黙ると、エイミーもそれ以上説明を続けようとはしなかった。代わりに声を掛けてきたのは、船員の男性だった。彼は私たちを見つけるなり煙草の火を消して、日光をよく吸収した船乗りらしい気さくな態度で手をひらひらとさせる。


「よう、御機嫌よう」

「ごきげんよう、船はいまどこですか」


 エイミーが答える。こういう時、対応してくれるのはいつもエイミーだ。私が他人とあまり喋りたくないのを覚えていた。


「順調に南下してるんだが――さてしかし船長が気まぐれを起こしてな。納期が伸びたんで、船員らの慰安も兼ねて二日間くらいバカンスをどうかねって話が上がった。だがもちろん、君らを先に目的地に送り届けるのもそう難しいことではないんだ。船団は後で追いかけたらいい。もし先を急ぐって言うならそうするし、お付き合い頂けるっていうなら、君たち淑女も旅行は好きだろう、乗ってっちゃどうかと思ってね、そのお誘いだ」


 私はエイミーと顔を見合わせた。これはどうにも難しい問題が転がり込んできた。もちろん先を急いでいないわけではない。けれど期日が決まっているわけでもない。そしてその先を急ぐ私たち二人だけのために、船一つを本来の仕事から逸れて利用するのも居心地のいいことではなかった。


「どちらへ?」

「王国ギルドへの支流を逸れてさらに南下する。海に浮いた綺麗な港町だよ。住民は小舟に乗って往来を行き来する。教会やらうまいもんやらがあるんで、楽しいとこには変わりないさ」


 エイミーがこちらを向き直る。その表情が今日にしては珍しく、小さな女の子みたいな心臓の弾みを浮かべていて、私は少し呆然とした。しばらくぶりに彼女の弾けた笑顔を見たからだったし、好きなキャラについて語る愛と同じ顔だったからでもあった。


「な、菜月さん、目的地は共和国に近いので、もしかすれば国民性が、学べるかもしれません。……み、港街は一度、訪れてみたかったのですが」


 どうやら港街がエイミーの興味を惹いたみたいだった。こうねだられたら断るわけにもいかない。


「じゃあ行こうか」

「は、はい……!」

「あの、よかったら私たちも連れてってください」


 相談が済むと、そう告げた。


 船員の男性は私たちにウインクをすると、船内へと戻っていく。多少リフレッシュしたって罰は当たらないだろう。エイミーも行きたがっているし、「海に浮かぶ港街」は私にだって興味がある。せっかくこういう世界に飛び込んだなら、景色は享受してもいい。そういえば、そういう街はあっちの世界にもあった。テーマパークでさえその場所を再現するような素敵な場所が。


「行くか、水の都、ヴェネツィア」


 私が自分の中で完結するための冗談を述べると、不意にエイミーが反応して振り返った。


「あれ、ご存知だったのですか」

「なにが?」

「えっと、街の名前を……」

「え、ヴェネツィアはヴェネツィア?」

「ああいえ、あんまりそう呼びはしませんが、王国ではヴェニスと呼びますよ」


 うそ、と声が出て、困惑した。困惑することが多い、この新世界の不思議なところだった。知らない動物とか、知らない風景とか、魔法とか魔術とかたくさんあるくせに、知っている音楽が流れたり、知っている地名があったりする。世界はどうも、不思議に親切な形で私を迎え入れていると、ふと思った。

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