fifty


「読んでもらった通りだけど、菜月、貴女はいま本来の功績をずっと離れて、こういう評価をされてしまっているのよ」


 姫に城へ呼び出され、新聞記事を見せられたと思ったらこれだった。私からエイミー、エイミーからクライネ、クライネからローゼにその新聞は回されたが、全員が一様に苦い顔をした。苦虫を食うとこういう顔になるらしいが、苦虫がなんなのか分からないし、実際にこういう顔になるかどうかもはっきりしないけれど、これは少なくとも無糖の紅茶くらいは渋かった。


「新聞は差し止めたけれど、まあ、こういう対処はかえって悪い方向へ転がるのが常よね。これまで新聞屋には好きにやらせるようにしていたから特に。他に仕方のなかったことも事実だけれど」

「これ、もう私を祭り上げる感じで書こうとしてて、書かなきゃダメなこと全部無視してるよね?」


 私の不平にローゼが肩をすくめる。


「そういう商売なんですよ、記者って」

「嫌すぎ……」


 文句は皇女御用達の白い広間に吸われていく。女子四人はある種の祝勝会を予定して集まっていたわけだが、そうもいかなくなってしまった。ご機嫌ムードは一転して通夜だ。……実際にご機嫌だったかと言うと、それはそうでもないけれど。エイミーとの関わり合いはあれ以来へこんだ缶のようにぎくしゃくして仕方がないし、それを察するローゼやクライネも、エイミーではなく私に呆れた感じを見せている。姫君がいまだに私に微笑んでくれることだけが救いだったが、その姫も私を一瞬見ると、伸びやかな睫毛を下に伏せた。次に上げられた瞳は水晶玉のようにきらきらと真っ直ぐに私を向く。


「菜月を最初にここへ呼んだ理由、覚えている?」

「うん。あなたの名前を掲げて欲しいって」

「約束が守れそうにないわ」

「え、どうして」


 不意に示された破談に心臓が麻縄で締め付けられそうだった。姫君だけは最後まで、と思っていたのに、私はこの人にまで見棄てられるのだ。もはや周囲の人は私の酷さを知って、離れようとしてしまっている。私の揺れた視線の波に気が付いたのか、姫は首を振った。


「状況がよくないの。相手がハンスだったというのが、やはり良くなかった。父上がお怒りだわ」

「国王がですか」


 聞いたのはローゼだった。姫は小首で頷く。彼女は私を見捨てたいわけではなかった。状況はもっと実質的に深刻らしい。国や政治のことなんかなにも分からない。だからそれをどれくらい真剣に捉えたらいいのかも分からなかった。それは、本当に私たちを引き裂くほどのことなのだろうか。


「あとは、シモーネ・ベルのことね。私たちはとんだ天使を世に放ってしまった。それも父上の怒りを買った要因だし――新聞屋の菜月に対する異様な好意の理由でもあるわ」


 空気がひりと張り付いた。シモーネの名はほんの数日で私たちに強い不和を生んでいた。原因は私に他ならないけれど、彼女の放つ灼熱の色をした衝動の雰囲気は、そうでなくても人を真夏の外に引きずり出すようなものだった。一度照られたら二度はもういい、しかしその前に姿を晒さなければ身体が腐って死んでしまう。


「シモーネがどうして新聞社と関係あるの」

「菜月、新聞の役割はなに?」

「報道すること」


 それらしい答えを言った。他に何も思い付かなかったから、一度目に思い付いたことを別に考えもせず発しただけだった。姫は違うと首を振る。


「いい、菜月、よく聞いて、あなたが何故こんなふうに書かれなければならなかったのか。新聞屋の役割、それは権力に楯突くことよ。自分たちが唯一権力に仇なす人々の扇動者だと思い込むこと。それは常に私たち国家の不利益であるけれども、ナイフと同じで、使いようだわ。新聞屋と政府は、常にそれらしい小競り合いをして、国民の目の前に問題化された問題を突き付ける。それが役割。そして今回、向こうがやり過ぎた。なぜたった一人の魔法使いを槍玉に上げる必要があるの? 理由は一つ、それが国家による作用の一つで、また国家に何かしらの変化を寄与するものだと思われたから。……人々は変化の態様ではなく変化それ自体を常に胸中に抱いて欲している。新聞屋はその先陣を切った。切っ掛けは、シモーネが十罪犯である父親を殺害し、それを菜月に捧ぐと表現したからよ」

「ちょっと待ってよ」


 思索は急に止まった。せき止められた激流が扉を叩く。


「シモーネが、なに?」

「父親を殺したわ。城下の端の、寂れた教会の中心で」


 私が呼んだからだ。


 動揺は隠し切れなかった。目を覆い隠そうとした手は宙をさまよい、結局胸元で握り潰された。瞳を隠したって意味がない。私があそこで二人を引き合わせたから起きた事故だった。


 ――二人。二人じゃない、私が呼んだのは、三人だ。


「彼は……、あの、金持ちの……」

「……菜月さん、カルロスさんです」

「彼はシモーネに何もされなかった――というか、新聞にシモーネのことを話したのが、そのカルロスという少年よ。シモーネ・ベルの殺害現場に居合わせて、そこでシモーネが言ったのを聞いた。『菜月に捧ぐ』。それがなんのことか、その場でははっきりしなかったけれど、死体そのものを捧ぐのでなければ、捧ぐのはシモーネのその行為でしょう。新聞が次号で書こうとしてたのはこの辺りの内容らしいけれど――彼がそういう証言をしたから、新聞屋は真っ先に菜月のことを調べ回ったのよ」


 私が変に書かれたのが彼のせいだったとしても、カルロス少年を責める気は一つも起きなかった。軽口で新聞屋に全て話したわけではなかっただろう。彼も目の前で殺人を見た。しかも、それが自らが救おうとしていた奴隷の行った犯罪であり、そればかりか、その彼女が菜月と名指しして、凶行の刃をまるで私の鞘に戻すかのように言ったのだから、混乱するのも仕方が無かった。


 問題は、どうしてこんなふうに、重苦しく灰色の不穏な風が、彼女に吹き荒れなければならなかったのだろうということだった。私の頭の中には、教会と、そこに立つシモーネと、頭から血を流し倒れるあの恰幅のいい父親の姿が浮かぶ。シモーネは、殺してしまったと嘆いたかもしれないし、それ以上にずっと冷静だったかもしれない。その日の前日の夜、彼女は自暴自棄になって私に抱かれたんじゃない。もはや自分で決める意志を失っていたわけじゃない。どうにかしてあげるという私の言葉を、優しく飲み込んでいた。この子なら、明日からきっと勇気に満ちた足取りで、新しい生活を始めるのだと、信じられた。それがなんだ。彼女は父親を殺してしまった。私がそこに、それを呼んだから。


 脳裡に、いつかの数学教師の叱責が飛んだ。どうしてそこで間違えるんだ、なんで間違えるんだ。大きな声で、要領の悪い生徒を叱っていた。どうやったら間違うんだ、こんなこともできないのか。生徒がそう言われて肩を縮めていくしかないのを、私は後ろで無関心にぼおっと見ていた。だが今度は、眼鏡の向こうの鋭い瞳が、急にこっちを向いて、私を睨み付ける。お前は、どうして人を救おうとして、こうなるんだ。

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