第二部
六章 黒い光
forty-nine
『記事:黒き魔女の誕生
闇を黒の油彩絵の具で塗り潰したら、どれ程の人がその着色にはっとするであろう。果たして認識すらしないのではなかろうか。彼女はそのようにしてひっそりと黒百合のように現れたが、今や部屋に篭もり切りで世俗の事を一つも知らぬ賢者ですら、その名を存じ上げなければ腹を抱えて笑われる様になった。黒き魔女の小さな、そして重苦しい産声は、それ程見事に世間を翻したわけである。我々この新聞機関が今何を決死の覚悟で示そうとしているのかを申し上げよう。斎藤菜月というまだ麗らかに若い少女のことである。
常軌を逸した魔法の才を何処に隠していたのか、彼女はこれまでその名を世に知らしめたことは無かった。その頭角が現されたのは、つい一月程前の事である。湧き水のように溢れ出る魔力は、人々へ差し伸べられる手として表現された。これが敵意であったならこの王国は既に存亡の危機に瀕していたかもしれないが――とにかく、彼女は地を揺らす様な魔法の発露を、人々の優美な暮らしへの一助としたのである。
さて、国家を恐れぬ、そして国家に恐れられし我々新聞機関がその姿勢を破り、それでも手放しに褒めちぎるのは、斎藤菜月がただの人救いだからではない。あえて言おう、そんなことは誰にだってできる。特筆しなければならないのは、そのような小虫に蜜をやる仕草とは訳が違うのである。その魔女は、金一切を朝露ほども受け取らないのだ。そしてその代わりに彼女が要求するのはどうやらただ一つ、「名声」であった。我々が遡り知った限りでは、斎藤菜月はただそれだけを求めているようだった。何故彼女は欲も無いのに名声ばかりは欲したのか。思うにこうである。名声とはとある物を運んでくるからだ。それは何か。役割だ。巨大な役割が手に入る。やがて彼女はどこから拾ってきた依頼か――ご存知、あのハンス旧辺境伯の暗殺を行ったのだ。
さて、本号ではこの小さな記事欄しか与えられなかったのが残念である。しかし、事の仔細は三日後の次号に示すとしよう。』
・・・・・
『ハンス旧辺境伯を知らぬ者は、今や斎藤菜月を知らぬ者がいないのと同じで、この国には存在しないだろう。しかし彼女がその地位に登り詰めたのは、この旧世代の辺境伯の暗い没落なくしては有り得なかった。
辺境伯には悪い噂が絶えなかったが、それでも人々は彼の事を支持していたように思える。善と悪は天秤で吊り合うように、お互いに同じ大きさを要求するものである。多少の事は目を瞑って耳を塞げばよい。だが果たして辺境伯の悪事は善行と吊り合っていただろうか。
我々はハンスという男の水面から浮き出る氷山の一角しか知らなかったのではないか。事実、彼は月に300万ゴルデール分の物資の寄附を王国各地の孤児院に送っていたし、右派新聞の寄稿には国家の威信と存続と正義を願う立派な思想を示していた。そしてその土地のヘルメス領への編入を渋らず実直に従ったことも、ある程度その献身的な姿勢を表していた。が、実際はどうだったのだろう。
――十人の奴隷。彼は実に卑劣な手で、十人もの女奴隷を慰みものにしていた。それどころか、孤児院に寄附していた300万ゴルデールの出処は、俗に言われる共和国ギルドからの厚意であったというではないか(富を独占しつつある魔法使いが有力者を通して国を支援するのはありがちな事ではあるが……)。共和国ギルドの善良な魔法使いは世界に溢れる孤児を憂慮していた。しかし国籍を持たぬ魔法使いがどちらかの国家に肩入れし、孤児院とはいえ手を差し伸べることは国際的な倫理が許さない。そこでハンスを介し寄附していたのだが――ハンスは魔法使いが渡した500万ゴルデール分の小切手から300万ゴルデールの物資を寄附した後、価値のある芸術品を売り買いし実際の金にすることで、金現物でしか手に入れることのできない奴隷を売春婦に仕立て上げていたわけだ。
さて、その詳細を次号に示そう。前号の反響により、次号からの私の記事欄は倍の紙面を占めることが機関より許されたところである。斎藤菜月は如何にして世紀の大悪漢を成敗したのか、読者諸兄は知ることとなるだろう。』
・・・・・
『機関より 前前号より掲載していた記事の掲載を取り止める。遺憾な事だが、これ以上該当する記事の内容を世間に届けることが不可能だと判断されたからである。以上』
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