thirty-two
あの食卓に集められたのは、私とエイミーだけではなかった。黒づくめの魔法使いクライネもいるし、姫の後ろにいつも控えていた女の騎士ローゼもいる。姫はエイミーが席について落ち着くと、私の目を見つめ直した。
「あなたたちは賊です」
「え、ひどい」
「違うの、菜月、聞いて、そういう意味じゃないの。貴方たちは賊なの」
「なにも変わってない……」
エイミーが腰を浮かす。彼女はツッコミをせずにはいられないたちだった。だが相手は姫君なので、ここはゆっくりと座り込むしかない。菜月さんが一日帰ってこないと思ったら、一夜のうちに賊扱いになってるんですけど! エイミーの言いたいことは、きっとこうだ。
姫は、そんなエイミーのことを物珍しそうにまじまじと見つめていた。やがて小首を傾げ、窓から差し込む陽で肩に影を作った。
「エイミー、あなた寝癖がすごいわね。滝を昇る竜の様よ」
「あっ、呼ばれて、直す時間がなくて、すみません……」
「騎士たちが女子の身だしなみも待てないとなると、これは皇女の名折れね。剣術ばかり教えず、女心も教えるべきだわ。今度言っておくわね。――トゥキーラ!」
姫が扉の方に向かって呼び掛けると、慌ただしく開かれた焦げ茶の扉からは、メイド服に身を包んだ女の子が出てきた。歳は相当幼く、明るい茶髪をおだんご二つにまとめた可愛らしい少女だった。
「はいっ、姫さま!」
「この子の髪を繕ってあげなさい」
「はい!」
トゥキーラと呼ばれたメイドの少女は再度慌ただしく部屋に入っていくと、ヘアセットを担いできてエイミーの後ろに持っていった。
エイミーは恥ずかしがって、声を高くする。
「あ、あのっ、ここまでしていただかなくても」
「なに、いいのよ。うちの騎士たちにもう少し女心が分かればよかったのだけど、そのお詫びね。あなたは座って話を聞いていて。その間に髪は直るし、トゥキーラは人の髪をいじるのが好きなんだから」
「はい、おまかせくださいね」
こう言われては言い返す言葉もないし、これ以上の遠慮はむしろ失礼だった。エイミーは頭に霧を吹きかけられながら、照れくさそうに肩を縮めて座る。エイミーの髪をいじる、このトゥキーラという少女も可愛らしかった。エイミーに似て丸い瞳は、蜂蜜を注いだみたいな綺麗な琥珀色だった。
身悶えするような可愛い空間がいまここにできあがっている。私立の女学校。ブレマジのシーズン3。猫とフクロウの、イチャつき。
「それで――姫さま」
小っ恥ずかしさに身を包まれながら、エイミーは話を促した。姫はこくんと頷く。
「そう、それで、私が言いたいのは、奴隷を救うために、貴方たちは賊として、ハンス辺境伯の屋敷に乗り込む、ということよ」
「盗人として入るってこと?」
私が聞き返すと、姫は頷く。その瞬間、なにかきっと色々が騒々しくなると直感した。何がと言える程度でもなかったけれど、それは私の予想を遥かに超える意味で、そういうふうになるはずだった。少なくとも、一人の奴隷を助けるために、盗人として押し入るという話は、私の覚悟にさえ唐突なものだった。
「襲撃の混乱に乗じて、違法な扱いを受けた奴隷を逃がす。ハンス辺境伯は憲兵に出兵を願うだろうけれど、その機会で奴隷法違反の証拠を掴むわ。そして私が貴方たちを、辺境伯の陰謀を暴いた功労者としてまつりあげ、賞賛を与える。襲撃は無かったことになる。最初に泥棒を偽るのは、国の息が掛かってるとハンスに知れたら面倒だからよ。貴方たちは依頼をこなせる、わたしは貴方を手に入れられる。利害は一致する」
利害は一致する。姫の声が頭で繰り返された。たしかに、それはそうかもしれない。けれど、これでは姫の負担があまりに大きいこともはっきりしていた。私たちのやることは最初から変わらない。少年の依頼をどのような方法によってか叶える。その為の思索をする。それは最終的に、姫が出した計画のような形になる可能性だってあったし、それはそれで実行しただろう。だから、私たちよやることは何も変わっていない。姫は違う。私を手に入れるために何重もの嘘を積み重ねることになる。条件は対等でなければと言ったのはこの人だったのに、彼女は本来ならば必要のなかったことをそれらしく理由にして、私を手伝おうとしている。愚かにも、そう――いや、私の撒いた種だ。
このヘルメスという人は、気高い皇女なんかではなく、あどけない少女でしかなかった。だから、たった一夜を千夜のように思い、私に恋をして、私に愛されるために、その身の犠牲を厭わない人になってしまった。けど、その身の犠牲が国の犠牲であることを、失念している。恋は人の目を盲る白い液の毒。一度乗ったら抑えの利かない暴れ馬。姫君は、幼い高潔は、そういうものに触れてしまった。
「それと、クライネ、ローゼ、貴方たちも手伝いなさい」
姫が一方的に告げて、クライネはすぐに頷いた。だが、ローゼの方はそうではなかった。私が姫の部屋から出てくるなり彼女は不機嫌な顔を浮かべていたが、ここに至ってその苦い感情が頂点に達したように、目元を顰め姫の顔を見返した。
「……なんですか?」
「あなたも手伝いなさいと言ったの。菜月たちの目的を果たしてあげて」
「いえ、それは承服できません、姫様。私の剣は貴方のためにあるのです」
「ええ、だから私が剣を振るえない代わりに、貴方が菜月のために振るって。ハンス辺境伯が悪事を働いているのは事実なのよ」
姫は頑なだ。私から見ても分かるほど、頑固だった。別にこの不機嫌な女騎士が好きなわけではないが、彼女にとってはあんまりな展開だと思った。
「ねえ、私たち二人だけでもできるよ」
「無理よ」
だが、姫はきっぱりと言い切った。
「何人もの警備がいる。鎧から剣まできっちり揃えた護衛が。あの家は魔法使いも雇っているし、菜月、あなたに失敗されては困るのよ。クライネは……文字通り敵は無いし、剣を相手にしたらローゼの右に出るものはいない。あとは、王族のように物事を考えられる菜月と、十分に達観したエイミーがいれば、何も問題はない。魔法も使えるでしょう。誰一人欠けても成果は得られない。十分な成果では許されないわ。十二分の成果を抱えて来て。やるならばとことん。そうじゃなきゃダメ」
誰も返事はしない。広い部屋は灰色の沈黙を詰め込まれ、窮屈になっていた。エイミーの髪を直していたトゥキーラも、その役目を終えて静かに私たちの後ろに控えている。姫は言葉を続けた。
「城壁を抜けた先に、アパートメントの集合地帯がある。その一棟の一室に、密偵用に持っている部屋があるわ」
「姫様! そんなことまでこの魔法使いに教える必要があるのですか」
「ある。遠いけれどハンスの屋敷が望めるわ。そこを拠点にしなさい」
ローゼはいまにもそこら辺の椅子を蹴り飛ばさんばかりだったが、姫の手前重い溜息が出るだけだった。
「準備ができ次第出なさい。室内には十分な部屋があるから、何かと困ることはないと思うけれど、必要とあらば、菜月、この城に手紙を寄越すのよ」
「……はい」
「菜月」
姫が私を見据える。正面から見れば、深く見れば見るほど、羨ましい青い目をしていた。宝石を散りばめて、最適な形に並べたような輝かしい瞳。その彼女の目元が少女のようにおずおずと私に向けられている。
「うん」
「無事でね。ここで願っている」
人を救うための手段として、救われるべき人を、創る。
まっさらな、生まれた時のまま、そういう風に世界は佇むべきなのかもしれないけれど、窓硝子越しで遠目に見た現実感がなく他人事な世界が、どうしようもなく、それはそれで美しいと思うのに、硝子は人の作ったものだし、それを隔てなければ暑いし、寒いし、我慢ならない苦痛が私を死角で待ち伏せしている、なら、割る力を、あるいは、もっと硬くする力を、どちらかを求めるべきではあるけれど、どちらがよいのかは、私には到底分からないし、それに、誰がどのようにすれば現実は都合よく、あまねくあまねきが平らになってくれるのか、それも私には分からない。
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