twenty-nine

 エイミーを宿まで送り届けると、私が出ていく時間になる夕方まで、ほとんど会話なく過ごした。一人だけ置いて行かれることに拗ねてしまったのか分からないけれど、エイミーはずっとぼんやりしたままで、私の問いかけにも生返事だった。


 お城で開かれるパーティー。なぜ誘われたのかは分からないけれど、姫はあの場で私を言いくるめることを、はっきりと中断した。間を置いて、それでどう変わることを期待したのかは分からないが、私の気持ちは変わらない。「悩ましい」という点で、一貫している。


 皇女の名を背負うことで、おそらく、この国では相当やり易くなるに違いない。私たちがまだ得られていない信頼も、それだけで得られる。最低限の生活の補償もされるとなれば、金があってさえ明日のことも分からない旅には大きな安心感となって、その安心感自体が助けになってくれるに違いない。


 けれど、やはり、魔法使いが国に囲われるというのはそれ相応のデメリットもあった。「支配が広大になり、奴隷の獲得が難しい」ほどの大国。目に見えた敵は少ないだろうけれど、内部にも外部にも潜在的な敵がいるのはおそらく間違いない。いざとなった時、私たちの振る舞いがなにか大きな物事を動かしてしまうかもしれないのだということを、考えなければならなかった。


 だが、国側にも同様に損得はある。結局は、その折り合いの付け方の問題だ。そうである以上、これは私と、あの綺麗なドールとの凌ぎ合いで、そこでどれだけ有利に動けるかということにすぎない。


 日が暮れてきたのを見て、私は立ち上がった。部屋でぼんやりと座っていたエイミーがそれに気が付いて、私を見上げる。


「エイミー、行ってくるね」

「あ……はい。どうか、お気を付けて」


 萎れた花のようになっている。その眉が下がりきっていて、俯く睫毛が瞳を覆っていた。


「なんかあったらさ、お城大爆破してくるから」

「ええっ」

「そしたら助けに来てよ。で、瓦礫の城で一緒に暮らそう」


 彼女は小さく笑った。


「菜月さんはジョーク屋さんですね。帰ってくるの、待ってますから」


・・・・・


 二度もあの坂道を登りたくないな、と思っていたところに、馬車が迎えに来た。


「菜月様ですね、お迎えに上がりました。どうぞ後ろへ」


 トビラドアとか、ローゼと同じような鎧を着た男だった。ここの兵隊は、みんな黒鎧なのだろう。


 馬車に乗る、というのも初めての経験だった。木組みの……そう、観覧車のゴンドラに似た座席に座り込むと、意外にも狭さが心地いい。馬が嘶き発車すると、車内は想像以上に安定していて、そんなに揺れることはなかった。階段はどうするのだろう、と思っていたら、大通りを逸れて坂道だけを行った。


 日の暮れた城下町は、昼とはかなり様相を異にしている。夕陽色の輝石が眩き、人々はほんの少しだけ大人びて見えた。酒屋らしい店から賑わいが聞こえると、これから行くパーティーはそんなに騒がしくなければいいな、と思う。城壁より高い位置にいる。その先に草原が見える。あれを見慣れていた時とは、随分と変わった場所に来た。竜巣の砂っぽさも、つい昨日までのことではあるけれど、懐かしく感じられる。


 大きな街に来てしまったな。何か大きな事が始まりもした。野ざらしで寝ていたあの日には、城の宴に参加するなんて想像もしてなかった。魔法が使えることも、その魔法で人助けをしようとすることも。野ざらしで寝ていたあの日。いや、それどころか、教室で暇を持て余して、ペンを指先で回していた時にさえ、思いはしなかった。


 日は暮れる。藍色の闇が東からやってくる。夕と闇の境目に、一際輝く星が見えた。一番星。でも夜には、それがどれだったか忘れてしまう。


・・・・・


 昼よりも早く着いたし、脚も使わなかったわけだけれど、疲労感はなんだかそんなに変わらなかった。


「疲れが顔に出ていますよ、粗末な運転でご苦労をお掛けしました。素敵なドレスですね、菜月様」

「ああいえ、とんでもないです。服装、これで大丈夫ですかね?」


 私は例に倣って、学校の制服で参加しようとしていた。二度と使わないドレスを仕立てるのも面倒だったし、エイミーがいつか「ドレスのよう」と評してくれたこともある。制服に人気のある学校を、母親が見付けてきてくれてよかった。


「ええ、素敵です。貴女をお招きした姫も、喜ばれることでしょう」


 馬車を出してくれた騎士は見目麗しい20代そこらの青年だった。鼻が高く、薄い口元が健康な色に染まっている。滑らかな金髪を無造作にまとめていて、穏やかな表情の通り、物腰が柔らかく、馬車から降りる時にも手を貸してくれるような紳士的な人だった。背が高いので、私は見上げなければならない。


「いや、そんな……。こんなちんちくりんで、申し訳なくなります」

「はは、ご謙遜を。いや、謙遜というつもりでもないのか。あまりご自分に自信がないようですね。まあ、町で生活していて容姿を褒められることなど、しょっちゅうある事でもありませんか」


 彼は私の横に並び、仕草で行く先を示してくれる。昼に通った玄関口を抜けて、広間も抜け、廊下を行く。透き通った白い肌を持つ男性。ここまでの美形は、あまり見れたものではない。


「今日、皇女にはお会いになったのでしょう。どう感じましたか?」

「どう、でしょう。なんだか……」


 色々思うところはあったけれど、どれもいま口にするには適切でない気がした。彼女は、雨の日の、アスファルトのような人。静謐を携え、陽の光さえ吸い込んでいる、灰色。けれど、雨の日には光が反射して、初めてその表情に色を浮かべる。だが、それも結局は、照らされているにすぎない。


「優しい人でした。私たちのこと、国民が心配だからって呼んだそうですから」

「ああ、そうでしょう。……あの御方は、慈悲深い人です。何を食べたらあのように、優れた人格を抱けるのでしょうか。私はですね、菜月様、」

「はい」

「奴隷区の出身なのですよ」


 思わず身体が強ばる。すぐ取り繕おうとしたけれど、騎士の男性は目敏くそれに気が付いて、薄く笑った。


「そう身構えないでください。なにも、私が十の犯罪者だったわけではないのですよ。……曽祖父の代にですね、どうも良くない主義というのが、世間で流行っていたそうで」

「主義ですか」

「ええ、なんて言いましたっけね……私は、あまり学問は分からないのですが、無政府主義とかなんとか。まあとにかく、そういう、王政に反旗を翻すようなのが流行ったのですよ。その主義への一斉の対策で、曽祖父も捕まったといいます」


 無政府主義。歴史の授業でも聞いたことがある。読んで字のごとく、そういう思想ではなかっただろうか。大ギルドの魔法使いには国籍がなかったりするわけだし、そういう主義が流行る土台はあちらの世界以上にありそうな印象を受ける。


「なので、私は奴隷区の出身というわけです。いまは22ですが、14の時に競りに掛けられ、娼館に買われました。本当は買った奴隷に売春をさせてはいけないのですが、まあ、国もいちいち確認しませんからね。客は欲を満たせれば、男娼の出身がなんだって気にしはしません」


 男娼という言葉自体は聞いたことがないではなかったけれど、男性が売春をするイメージが、これまで頭の中には無かった。なんだかくらくらとする。男の冷静な声だけが響いていた。


「あの、なんと言ったらいいか」


 私が言うと、彼は首を振った。佇まいには高貴ささえ溢れるけれど、奴隷出身で、娼館にいたのか、この人が。


「慰めて欲しいなら、もう少し色を付けて話しますよ。私は、皇女の話をしたいのです。……趣味にしてはよくあるものですが、私は昔から、王室というのに惹かれる性分でしてね。醜聞であれ、武勇伝であれ、王家の話を聞くことや、遠くから城を眺めることが好きでした。私が17歳の頃、14になった姫様が、ここの領土を治めることになりました」

「14歳?」

「ええ、想像も付かないでしょう。自分がその歳だった時のことを考えれば、とても国民のことまで考えられたとは思いません。しかし、あの御方は才気に溢れた方だった。私はよく、手紙を城に宛てて書いた。他意は無かったのですよ。……実際、娼館での暮らしは、悪いばかりではありませんでした。女を愛せぬ性分の人もいる。それは変えられないが、どうしても浮世から離れた気がしてならない。そういう自分を慰めてくれる私に、食べ物や金を多く与えてくれる人も多かった」

「……客は、男の人なのですか」

「ああ、そこを問われるとは思いませんでした。なるほど。いや、女性の客もいらしたけれど、大概は男だった」

「そうなんですね……」


 私は何も世間のことを知りはしないのだと、身の寒い気になった。窓の外が突然凍ったみたいに、真っ黒で、そこに反射する自分の顔が、みすぼらしく見えた。騎士の男性が微笑む。思い知らされたのは、何も知りはしないのに、見えた人だけを救おうとする自らの浅さ。そして、その笑顔を見て思ったのは、何が良くて何が良くないのか、その人以外には分かるはずもないのだという、至極当然の事実だった。


「城に宛てていた手紙はですね、本当に他意なく、ただただ、ファンレターだったのです。皇女への。私が奴隷区の出身であること、娼館で働いていること、それで、皇女、貴女が街に降りてきて、顔を出してくれることが、自分にとっては何より救いなりますと。しかし皇女はある日、街どころか、私のいる娼館に顔を出しました。私が買われた時の値の何倍も出して、この城の兵隊にしてくれたのです。この城には、皇女に恩義のある方は多い。恩義を得ることがどれだけ難儀なことか。感謝は簡単に得られても、恩義を得ることは、普通に生きていれば無理だ。そう思いませんか。私がいまこうして貴女を案内していることは、感謝こそされ、恩は得られまい」


 感謝と恩義は隔たっている。確かに、有り難いことはいくらでも思い浮かぶけれど、恩人がいるかと言われたら、真っ先に人の顔を浮かべられない。しかし、この青年はすぐにでも皇女を恩人として挙げられるだろう。その存在の重要さは、想像に難くなかった。


「きっと皇女は、そういう人だから、貴女方に協力を申し出たのでしょう」

「……でも、国が魔法使いを扱うことには、難しい事情があるのではないですか」


 青年は難しい顔をした。


「なるほど、それで悩んでおられるのか。……先程も言いましたが、私には学がない。難しいことは分かりませんゆえ、それは皇女に直接聞いたらよろしい」


 その言葉を最後には彼は何も言わず、一際大きな扉の前に立つと、それを開いて、私を招き入れた。

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