twenty-eight

 私のすぐ横の椅子にエイミーが座り、エイミーの正面、私の左前に姫が座る。クライネさんは姫から離れた私たちの視界の端に座り、あの女騎士は姫の後ろの壁にもたれて、興味無さそうに俯いていた。


 目の前には紅茶と茶菓子が置かれている。薄赤色の液体がしんと佇み、カラフルなお菓子がその横にあった。マカロンにも見えたけれど、生地の間には何も挟んでいない。そういえば、マカロンの間に何かを入れるようになったのは、割と後世だったかもしれない。


「ローゼ、ついにあなたの分は用意されなくなったわね」


 おかしそうに、姫が女騎士を振り向いて言う。彼女は肩を竦めるだけだった。


「どうせ食べませんから」

「そうね。しかし、提供しないということを提供されているのだと心得なさい」

「……はい」


 言われたローゼはそっぽを向く。客人の前で叱られたくはないだろうけれど、そのやり取りにはどこか小慣れた雰囲気があった。


 姫がこちらに向き直る。私の瞳を一瞬盗み見たが、それを通り過ぎて、エイミーを見た。


「城下に、無償で依頼を受ける物好きが現れたというのは、昨日のうちに、わたしの耳に入りました。しかし、無条件ほど警戒すべき条件もありません。どのような人となりなのか知るのが私の役目だと思ったのが、今日ここに呼んだ理由です」

「姫様自らがご判断なさる様なことではないと思ってました。一介の市民の、ちょっとした活動です」


 私が話しかけると、姫は目をこちらには向けるけれど、視線はただ私の口元に向けられている。


「……私はここの領主ですが、政治的な判断はどうしても大局的になってしまう。街に降りれば騒ぎになりますし、みな苦労はしていないと言い繕うことでしょう。文句を面と向かって言われるほどの悪政を敷いた覚えも、ありません。ごく、ごく小さなことを見る目が足りていない、それが私の悩みの種なのですよ、菜月」

「分かります」


 彼女は頷く。


「街の人の、国の人の胸に秘めた願い事を叶えてやれるのは、残念ながら君主ではありません。君主は、胸に秘められない大きな悩みしか見られない。そして、それすら、色んな事情から解決してやれないのが常なのです。人助けのできる人たちを集め、悩みを解決して当たらせようものなら、結果として少なくない税金となって、市民に降りかかる。他でもなく、あなたたちの活動に感銘を受けたのが、自ら判断しようと考えた理由の一つです」


 私が頷いてみせると、姫は満足そうに微笑んだ。


「もう少し噛み砕いて話さねば、理解してくれない人の方が多いものです。菜月、賢いですね。――私は、あなたがヘルメスの名を背負ってくれるのなら、あなたがたが生活に困らない、最低限の支援をするのも損ではないと、考えています」


 それ来た。私はテーブルの下でエイミーを小突く。スポンサーってのはこういうことですよ! 内心躍っていたが、しかし、表情は平静を装わなければならなかった。また、問題も同時に生じる。スポンサーがただの金持ちなのと、国家権力そのものとでは、話が大きく変わってくる。


「願ってもいません。けど、」

「けど?」

「私はこの国のことどころか、この世界のことをろくに知りません。殿下、この国に大きな敵がいれば、私がそれを背負うことが、望ましくない結果を引き起こす場合があるのではないですか」


 後ろの女騎士が私を見る。姫の表情も翳った。


 魔法使いと国の関係は、この世界では思う以上にシビアだ。大ギルドに所属するような大魔法使いは、国など一晩で葬ってしまえる。事実、自分の力を見てさえ、それは容易いことだと思う。なので、彼らは国籍を捨てることを強いられるという。国家間の争いに大ギルド所属の魔法使いが関与していることが分かれば、その戦争の勝敗は戦いに敗れた方に付く。その時に至って、敗れた国家は事実上の占領を回避するため、大ギルドに戦争処理の協力を申し出ることができるのだ。しかし、能力のある魔法使いが辿り着く先は、なにも大ギルドだけではない。エイミーの目指す理論派の魔術師もその一つだし、クライネさんのように、国家や領主のお抱えになったり、金持ちに雇われたりする。


 魔法使いは、核弾頭だ。その扱いを誤れば、核戦争並の惨事が起き、たった一日で勝敗が決まる。ヘルメスの名を背負うというのは、そういう責任を負うということだ。


「ここでしか言えないことです、菜月、一度しか言いませんから、よく聞きなさい。……敵でない国などないのです。敵でないふりをし続けて、そういう壊れた橋の上で、みなダンスをし続けているのが、昨今の世界というもの、そうではありませんか? ごく微細な人間関係ですらそうなのに、国家間のことに、絶対があるでしょうか」


 反論のしようがないような強力な事実だ。言わないだけで存在している事実を、この人はただ言っただけだ。が、それを実際に言ってしまうことがどういうことなのか、私には分からないわけではない。


「菜月、それにエイミーも。あなたたちは強力な魔法使いですね? 獣退治も、植林の薙ぎ倒しも、道に転がっている魔法使いにはできないことです」

「知っているのですか」

「……竜巣に居たことまでは掴めているのですけどね。どうもそれ以上のことが分かりません」


 エイミーがテーブルの下で私を小突く。それについては何も言うな、ということなのだろうか。私は黙ってドールのような姫を見つめる。


「ですから、ここに呼ぶことさえ、本来有り得ないことなのです。クライネがいなければ、呼びません」


 ああ、そうか。脳内で合点がいく。


「つまり、なんですか」


 冷たく言い放ちながら、私は窓の方に目をやった。白いものすら混じらない、美しく青き昼の空。これは、姫が我々の活動に感銘を受けたこと以上に、自国領に魔法使いを抱え込もうとするための茶番だ。それに気が付いた。けれど、この姫君は、可哀想に、そのことに私が気が付いたと分かったと同時に、脅し文句を飲み込んでしまった。退屈そうな私の横顔を見て、おくびにも出さない動揺を抱えてしまった。ここにいるのは、もはやただの箱入り娘だ。後ろの女騎士が私を睨みつける。


「あなた、皇女に対してどういうつもり――」


「ローゼ、黙っていて!」しかし、姫はそれを許さなかった。「……菜月、今夜、パーティーがこの城で開かれるわ。お菓子をたくさん出せなかったのはそのせいなの。あなたもいらしてくれない?」


 自分のために、自分を取り繕うような、そういう雰囲気をこの人から感じる。失態は取り戻す。けど、誰のために? それを、この人は理解していない。そこにいる際限なく得体の知れない魔法使いや、いつでも私を殺してやろうとしている後ろの女騎士、そして、恐らくは後ろに控えている騎士や魔法使いを、本来なら威力として私に向けるべきだったけれど、至極冷静な姫君はそれをしなかった。


「招待は受けますけど、」

「判断はその後でもいい。とにかく、いらして。エイミー、ごめんなさい。人数が限られているから、招くことができるのは一人になってしまうんだけど」

「エイミー、宿で待てる?」

「え、あ、はい……。菜月さん……」


 唐突に言われたエイミーが表情を暗くする。おずおずと私の顔が上目遣いに見上げられた。


「大丈夫だから」

「……はい、けど、どうか、自分を見下げないでください」

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