twenty-six

「私は別に、反対ではないんですよ」


 昨日から歩いてみて分かったことだけど、この街は坂道と階段の街だった。城下とお城の高低差は計り知れず、さっき通ったところがずっと下に見える有様だった。宿を出てから、ずっと斜め前に傾き続けている感覚がある。


「でも、よく思ってないくせに」


 お城の屋根が視界の先に望めた。紺碧の三角屋根がいくつも高く聳えているのが、小さく見えている。真っ白な壁もここからだと見える。お城は見たいけど入れるかどうかという懸念は、まさかの理由で払拭されることになってしまった。


「事情が何も掴めてないのが、私には心配です。ほんとに陰謀があったかどうかも分からないのに、人がお金で買ったものをどうにか取り戻そうとするのはなにかおかしな気がします」

「そういうの無視するわけじゃないって。信じてよ、それは」


 数段の階段を登ると踊り場みたいな広場があり、その周囲に家がある。それも、地面によって床が斜めに切り取られているように見えるし、小路はどれも傾斜でできている。そういう光景がどこでも見られた。ふくらはぎが重みを帯びて来る頃には城の形もくっきりと見えてくるようになっていた。


「菜月さんのこと、信じてないわけじゃないですけど」


 膨らんだ頬を指先で押してからかうと、エイミーは拗ねたみたいに私を丸い瞳で睨んで、ちょこちょこと少しだけ離れて歩いてみせる。でも数秒後には寂しくなって肩を寄せてくるのだった。


 エイミーは、口ではそう言うけれど、実際はそんなに機嫌を損ねているわけではない。それは、その大地主の噂が竜巣にさえも及んでいて、そもそも悪名高かったことをエイミーが知っていたのもあるし、なにより、彼女の感覚的なところが、それを良しとしないということも、私には伝わっていた。


 同世代の少女が目の前で売られていくのを見て、何も思わない人ではない。仮にそれが生まれたときからの光景だったとしてもだ。交通事故はいつでも起こるが、じゃあ起こっていいかというとそうではない。『人権』という言葉が存在する以上、それが仮に金持ちインテリのための言葉だったとしても、勉強家のエイミーがその概念を1ミリも知らなかったとは思えない。「何も思わない」は私を引き止めるための方便だ。どうしても私を引き止めたかったその理由は分からないけれど、何度も少女を振り返っていたのは、エイミーもだった。


 カルロス少年の依頼を受けたのは、何も私のエゴというだけでもない。少なくとも金のありそうな人に借りを作っておくことが、何らか利益がありそうだということもある。それは、エイミーのためにもなるはずだった。


 とはいえ、特定の奴隷を、特に買われた後の、高額が付いた少女を救う手立てが思い付いているわけではなかった。奴隷の制度についてよく分かっているわけでもない。当面はほかの依頼をこなしながらということになりそう、というのが私の頭にある考えだった。


・・・・・


 城の前に辿り着くと、すぐに首が痛くなった。城は高い所にあったというそれ以上に、そのものの背が高かったのだ。


 首は確かに痛んだけれど、見上げるのを止めることはできなかった。こんな光景、滅多に見られない。広々と両手を広げるみたいにした城の正面が目の前に聳え立ち、規則正しく並べられた長方形の外窓が、日射しを照り返す白亜の外壁に宛てがわれている。尖った屋根の装飾が至る所に施されていて、それらはすべて綺麗な碧に覆われていた。


 どこからどう見てもお城、ではあるけれど、雰囲気としてはとても大きなお屋敷に見えなくもない。が、お城のスケール感というのを、私はろくに知らないので、自分のその認識が信頼できるかどうかは分からなかった。少なくとも、豪華絢爛な宮殿というよりは、整然と構えられた几帳面なシンメトリーに、ちょっとしたロマンを加えたみたいな建物だ。いずれにしても、小市民的には滅多に見ない光景だった。


「見てください! ドールが住むみたいなお城ですよ! わ~、なんて可愛らしい!」


 少女エイミー、めっちゃご満悦。かわいい。そうだね、お人形さんが住むみたいだね。じゃあここに住むのはあなたが一番お似合いだね。


「エイミー、私とお城、どっちが好き?」

「ええ!?」


 エイミーが素っ頓狂な声を上げると、城の正面から、例の黒鎧の男が姿を現した。


「お二方、いらしておいでか。正午になっても姿が見えないので、招待をお受けくださらなかったのかと思いましたよ」

「すみません、遅れて」


 カルロス少年との話で、指定されたよりも20分ほど遅れての到着だった。トビラドア氏はゆるゆると首を振る。


「皇女は寛大なお方だ。しかし、くれぐれも御前では非礼の無いよう。滅多に声を荒らげないような方にこそ、そういう態度であるべきかと」


 もちろん失礼をする気は無かったけれど、遅刻した手前言い訳もできず、ただ頷くしかなかった。


「ではこちらへ」


 男は歩く度にやかましい金属音を鳴らしながら、私たちの数歩前にいた。


「なんか緊張してきた」

「ほんとですね……」


 私たちのぼやきが聞こえたのか、トビラドアさんは大きな声で笑う。


「いや、貴女方ほど年端もいかぬのを招くことはなかなかありませんので、こちらも同じ気持ちですよ。黒い腹づもりで訪れるくらいがちょうど良いのです。私たちにとっても」

「そういうものですか?」

「ええ、貴女方が何か気をおかしくして暴れた時、斬って良いのか悩んでしまいますからね」


 トビラドアはまた大きな声で笑った。なにそれ、騎士ジョーク? 怖いだけなんですけど。


 彼を先陣に、ごく普通の大きさの、しかし繊細に彫刻された両開きの扉を開くと、そこは小部屋のような場所だった。小部屋、とはいっても全体の大きさから想像する中では比較的小さいだろうというだけであり、正方形の空間は広々としていて、また私たちの何倍も高い天井を有していた。


「見てください、天井が綺麗な色で……」


 エイミーが細い指をさす。彼女の言う通り、天井板は可愛らしい水色を、満天の星空の模様で覆う装飾がされていた。その天井には、部屋を囲うみたいな立派な柱が何本も突き立っている。


「菜月さん、知ってますか、このお城はお姫様が生まれたその日に着工され、15歳の誕生日に、なんと贈り物として捧げられたものなんですよ! 天井の水色は皇女の瞳の色だと言います。なんて素敵な……こんなお城が贈られてくるなんて、きっと胸が痺れるほどです……!」


 こんなにはしゃいでいるエイミーを見るのは初めてかもしれない。青い瞳が天井の装飾みたいにきらきらと輝いている。空いた口が無防備で、幼子のようだった。


「このお城、いくらで買えます? この子に贈りたいんですけど」

「ご冗談を。しかし、ケイシー女史はよくご存知なことで。ヘルメス領は国の中の小さな国だ。ヘルメス領に対し、そのように知識を深めた愛国心溢れる少女がいることは、国家の未来の安泰を約束する、実に素晴らしいことではありませんか」


 エイミーのは愛国とかじゃないのではと思ったが、こういう手合いは反論すると面倒になるので、肯定とも反対とも取れない微妙な相槌を打つことで受け流した。トビラドアはその空間をさらに抜けて、奥にあった扉を開く。どうやら、今の部屋は玄関口的な場所だったようで、その先の部屋の方がよっぽど立派だった。


 印象的だったのは壁に飾られた大量の人物画だ。恐らくは歴代の君主とかを並べているのだろうけど、胸元には両手に余るほどの勲章を付けている人ばかりだった。


「私が案内するのはここまでです。この先は、クライネという名の魔法使いが殿下の部屋まで貴女方をお連れする」

「あ、そうなんですね」

「男子禁制なのでな。それでは、失礼」


 必要以上に勇ましい態度で踵を返し、私たちの礼も待たぬまま、トビラドアさんは行ってしまった。なぜか、この人とはもう二度と会うことはないだろうな、と思ったが、別段悲しくもならなかった。


「ごきげんよう」

「わっ」


 騎士の方を見送っていたので、背中側に人がいることに気が付かなかった。幼い女性の声に驚いて振り返ると、そこにはエイミーよりもさらに背の低いように見える……そう、そのように見える女の子が立っていた。身長に関して確実なことが言えないのは、彼女が背の高い魔女帽子を被っているからだった。帽子の鍔のせいで、見上げるその顔は影になっていてよく望めなかったが、その奥に光る黄色の瞳が印象的だった。黒いローブを身に付け、ほとんど地面に引きずるようにマントを背負っていた。黒と紫の色合いが、どうにも魔女感を醸し出しているが、容貌それ自体は、かなり未成熟というか、愛嬌のあるというか、という感じだった。


「では、付いてきてください。姫君が待ってます」


 連れ立って歩き始める。幼いけど、すごく大人びた声。冷静さを通り越して冷徹ささえ感じるようではあったけれど、物腰はそんなに固くない。


 クライネさんは、さっきの黒騎士に反して至極物静かで、付いていくだけになった私たちは手持ち無沙汰になってしまった。エイミーが気まずさと緊張に耐えかねて、口を開く。


「しかし、トビラドアさんにお礼を言い損ねてしまいましたね」

「どうしてもお礼が言われたい人は、言われたそうにするよ。またいつか会えたら言おうか」

「でも、あの方が登場するの、この話が最後なのに……」

「…………」

「おふたりは、」

「あ、はい」

「というか、菜月さん? の方は、ずいぶんお洒落な格好をしてますね」


 先を歩いていたクライネさんが振り返って話しかけてくる。さっき見た時は、瞳が黄色に見えたけど、そんなことはなかった。綺麗な赤い瞳をしている。光の悪戯で見間違えたよだろう。


「やっぱ、変ですかね」


 クライネさんはまた前を向く。


「ああ、いえ、失礼。そういう風に取られるとは思っていませんでした。わたしの言葉は、文字通りに聞いてください。世辞はできんのです」

「……ごめんなさい。あんまりここら辺で見る格好じゃないのを自覚していたので……ありがとうございます。過ごしやすいんです」


 思えば、私をかつての世界と繋げているのは、もうこの制服くらいだ。これがあるから、いまだにこの世界には非現実感がある。私までみなのような服装に身を包めば、途端に私はこの世界の住人になるような気がした。特に、それに抵抗があるわけではないけれど、制服は、魔法を使えば洗濯が10分で済むし、使い慣れているのでどうしても脱ぎ捨てられない。そこら辺の服屋で売ってる衣装が、どうも趣味に合わないのも、着続けている理由の一つではあった。


 廊下は長く、何度か角を曲がった。クライネさんは長い魔女帽を被ってやっと私と同じくらいの身長で、見た感じ、やっぱりエイミーより身長が低そうだった。何歳くらいだろう。幼くも見えるけど、私たちよりずっと大人びた雰囲気を感じもする。


「さあ、この部屋です。入ったら、数歩行って、そこで立って待ってください」

 彼女が扉の正面からどくので、私が自分で開けなきゃいけないのだと分かる。待て、と言われたからには、たぶんまだヘルメスさんはいないのだろう。指示の通りにすればよい。私はぐっと力を入れて扉を押すが、引き戸だった。

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