twenty-two

 広場から逃げるようにして大通りを歩いていた私たちが目的のひとつを果たすのには、そこからそこまで時間がかからなかった。


 傾斜のある坂道を、何往復も荷車引いて登ってを繰り返していた老婆の手伝いをしてからが早かったのである。仕事を終えた後、本当に礼はいらないのかと訝る老婆に私たちが提示した唯一の条件は「どうやら無償で手伝いをしてくれる魔法使いがいるらしいということを、周囲に言い触らしてくれませんか」だった。「これから同年代との集まりがあるから、そこでがんばるわね!」となぜだか興奮した彼女が行ってしまうと、一時的に拠点にすることにした宿のラウンジには、次から次へと依頼を願う書類が、受注ギルド用の書式で届いた。お爺ちゃんお婆ちゃんというのは孫世代のお願いごとに全力を尽くしがちなものではあるけれど、これに関してはやり過ぎなくらいだ。


 依頼には良いようにこき使われるんじゃないかという懸念が無いでは無かったが、依頼内容は実に礼儀正しく真に困ったものばかりで、エイミーと感心するばかりだった。


「『息子に魔法を教えて欲しい』、『植林を薙ぎ倒すのを手伝って欲しい』、ちゃんと魔法使いらしい依頼ばかりですね」


 エイミーが言うことには、肩を竦めて頷くしかなかった。


「ネズミ退治とかやらされたらどうしようと思ってたけど……。とにかく、極力切羽詰まった依頼から見ていこう」

「そうですね」


 そう言ってエイミーとぺらぺら紙を捲っていくが、とりわけて緊急性の高い依頼というのは無い。普通に考えれば、何処の馬の骨ともしれない人間に、緊張の依頼を頼む物好きな人はいなはずだった。お婆ちゃんの健闘で噂は広まったけど、信頼を勝ち取るのは私たちの仕事だ。


「よし、じゃあ植林を薙ぎ倒しに行くか」というわけで初日らしい初日が始まり、その日はそれも含めて三つ程の依頼をこなし、エイミーと宿に帰ってきたのは、夕焼けは消えたがまだ空に青さの残る夜の入りだった。


 宿の主人は小切手持ちの私に気前よく良質な部屋と食事を提供してくれ、ラウンジの一部の貸切まで許可してくれた。チップ的な何かを期待しての厚意ではあるだろうけれど、当面の行先がなく拠点を必要としていた私たちにとって、ありがたいことに変わりはない。


 宿のラウンジはかなり居心地が良かった。アンティークな喫茶店で……いや、この世界でこれが「アンティーク」に分類されるのかは分からないけど、私の感覚で言えばそれ以外に言い様がない。大通りにある割には静かで、そこは竜宿と似ている。置いてある小物、恐らくは飾りとしてではなく実際に家具として意味を持っているであろうそれも、小洒落ていて過ごすのに飽きない。あちらの世界では、こういうのは「コンセプト」でしかなかったけれど、その「コンセプト」にすら足を踏み入れたことのない私にとっては新鮮で、意外にも落ち着くような感覚を抱いたのだった。


「お疲れ様です、菜月さん」


 果実酒の入ったグラスを傾けて、エイミーが言う。そのグラスに乾杯して、ビーフシチューの掛けられた何らかの肉を頬張った。実際にはどの舌触りを指すのか分からないが、「コクがある」と私が気取って言うと、エイミーもまた「確かに」と微妙な相槌を打った。


「しかし、続々と、といった感じですね」


 端に置かれた紙の束が視線に止まったのか、エイミーが言う。テーブルの上の蝋燭が、ゆらゆらとその表面で影を揺らしていた。


「これだけ届いても、今日できた仕事は三つ。お昼以降なのもあっただろうけど、あんまりたくさんはできなかったね」


 何かを後で請求されるんじゃないか、とこちらを伺うような依頼人は、意外なことに一人もおらず、むしろ何か礼をさせてくれと言う始末だった。私たちはそれに対してまた宣伝をお願いし、いまや噂を広めてくれるのはあの老婆だけではない。そのおかげか、定期的に届く郵便の数もひっきりなしに増え続けていた。


 上手くいっている。こんなに上手くいくと、いつかコケそうで怖い。若いうちに転ぶのはいいが、骨が弱くなってきたあたりで転びたくはないものだ。


「順調な走り出しです。まずはその事を喜びましょう。幸せは、見付けてあげねば逃げて行きますから」


 そう言いながら、なんでも美味しそうに頬張るエイミーを見つめていて、なんとなく、この子は食べ物の好き嫌いとかをしないんだろうな、と思った。私はどうしてもキノコの類がだめ。理由は色々あるけど、笠の裏側を子供の時に見て以来ダメになった。同じような理由で海老が食べられない。カブトムシの幼虫と区別が付かないから。それもたぶん、私たちの大きな違いだ。幸せは見付けてあげなきゃ逃げて行くか。逃げて行くなら、最初からそこには幸せなど無かったのと同じでは? そう反論したかったけれど、いや、無くても見付け出すのだ、と言い返されて、堂々巡りになると思ったから、黙った。エイミーはけして、ただ心地いいだけの存在じゃない。飲み込むのに勇気がいる。時間がかかる。私とは考え方が、根本的に大きく違っていた。


「エイミーは、幸せを見付けるのが上手そう。私はどうしても、うまくいかないんだ」

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