twenty-one
「しかし、困っている人を見つけるというのも、なかなか……」
「難しいね。困ってることを悟られるのって、あんまり嬉しくない気もするし」
街の探索も兼ねて大通りを歩く。私の言葉にエイミーは頷いたが、その指が胸元で遊んでいるのが見えた。
「実は、展望が私には分かっていないのですが――」
「うん」
「お金を取らずに人々を助けるというのは、菜月さんらしい善良な発想と思いますが、こちら側のお金とか、依頼をこなすのに必要な資金とか、そういうのはどうするのですか」
人々を助けるのが私らしいというエイミーの評価については全く理解が及ばなかったが、私は顔の横でエイミーにピースを掲げてみせた。
「え、かわいいですね」
「一人でギルドに行くようになってから、いくら稼いだと思う?」
聞くと、エイミーは私の肩に掛かる鞄をちらと見る。
「どのくらいなんですか?」
二本指を開く。
「5000万」
「5000万!?」
驚愕に立ち止まったエイミーが両手を口に当てて、「はわわ」と声に出して言う。
「はわわって声に出して言う人いるんだ」
「いや、え、そんなに貯まったのですか」
私が歩き始めると、エイミーが慌てて付いてくる。
「うん。闇雲にやってたら、ギルドで金貨じゃなくて小切手で渡されるようになっちゃった。国内なら小切手で買い物したり現金にしたりできるらしいから、たぶんしばらくお金に困ることはないと思う」
これは、エイミーに教わらず自分で覚えた数少ない知識の一つだけれど、この世界……少なくともこの辺りでは、受注ギルドの影響力や権力というのがかなり強い状態にある。そのためもあって、ギルドで発行された偽造対策の施された小切手が、現金の代わりに使用できてしまうのである。小切手を使われたお店はその写しを控え、後日まとめてギルドに持っていく。すると現金で返してもらえるのだという。かなりの手間が掛かるのにも関わらず、あらゆる店が小切手を支払い方法として受け入れてくれているのは、その際、むしろギルドの方が店側に小切手何パーセントかの手数料を支払ってくれるかららしい。
「先行きが分からないから贅沢できるわけじゃないんだけどね。それに、無料で人助けするって言ったって、収入源を考えてないわけじゃないんだ」
「収入源ですか」
「そ。タダで人助けをすることが、結果的にお金になるかもってこと」
「へえ、どうするんですか?」
「スポンサー」
「すぽんさー。日本語……?」
「……ある意味では日本語か。私たちがこうやって人のためになることをしてたら、支援してくれる人が現れるんじゃないかなと思って」
エイミーは要領を得たのか否か分からない顔で相槌を打つ。
「つまり、菜月さんと考えを同じにする人が、お金を出してくれるということですか」
「こういう活動にお金を出すことで、得する人がいたりすると思うんだ。私たちがその人のおかげで活動できてるってことを宣伝すれば、その人はお金を出すだけで慈善家になれる」
「あー、やっと理解が及びました。素晴らしい考えですね」
「受け売りなんだけどね」
「しかし、そういう善良な方が見つかればいいですけど」
エイミーが私たちの足元に視線を落とす。金を出すだけで慈善家になれる、というのは皮肉のつもりだったが、エイミーはあくまでも気付かないようだった。
「見付からなかったら、結局はギルドに出てる依頼でお金を稼ぐことになるかなあ」
私の少し下の位置で歩くエイミーが、ちらとこちらを見上げた。目にかかった前髪をこそばゆそうに分ける。
「それは意味が無いかも、と思いますか」
「まあ、そうね」
タダで人を助ける、というそのために、有償で人を助ける。そこに大きな矛盾がないとは言えなかった。しかしエイミーは首を振る。
「そんなことありませんよ。あるものは常にあります。それは在り方として、そうです」
「どういう意味?」
「んー、説明するのは難しいですけど――」
エイミーが話すのを止める。近付いてきた街の中央から、途端に騒ぎのような音が聞こえてきたからだった。そちらの方に歩いて向かうと、大きな人集りが見える。彼らは広場の奥に設置された木組みの壇に熱を篭もった視線を注いでいた。何となしに嫌な予感がして私もそちらに目を向けると、目に映った光景は想像とそう変わらなかったので、口に出して「うわ」と言った。
何が行われるのか想像すると、目も当てられない。二人の男が壇上に立ち、その間に挟まるようにして、少女が後ろ手に縛られ立っている。この場面で想定し得るよりもずっと身なりは清潔で、短く切り揃えられた黒髪も、風に遊ばれて儚く揺れるくらいだった。洗っている証拠だ。が、何より目が虚ろで、目の前の喧騒をほとんど他人事のように眺めているように見えた。
処刑でも行われるのだろう、と思ったが、周囲にごてごての断頭台も見つからず、男たちが銃を手にしているわけでもない。訝しんでいると、壇上の一人の男が不意に叫んだ。「300!」
数字? 数字を言ったのか。その声が広場に反響仕切らないうちに「350!」が聞こえ、「400!」が聞こえるのもそう遅くはなかった。壇上の男が急かすように数字を繰り返す。「次はいませんか? 400? 400ですよ!」「450!」ここまで来て、よく見れば広場に集まる人々の服装が、周囲に比較するとかなり豪華なものだということに気が付く。
「競りか」
「奴隷の競りですね」
エイミーが何食わぬ顔で言う。
「奴隷がいるの?」
「いないのですか?」
日本には、という問いだった。
「いない」
「労働力はどうしてるんです」
「みんな、働いてるから。……あんなに綺麗な子が」
エイミーは私の言葉を聞いて、まさにいま「600」の値を付けられた少女を見る。その顔が初めて顰められた。
「おそらく、あの方に罪はないんでしょうけど」
彼女はかなり顔の整った方だし、周囲を見れば異民族らしくもなかった。征服なりが為された土地の人? それにしても若くて、私とそう変わりなさそうだった。エイミーは労働力と言ったけれど、あんな少女に何をさせるというのだろう。身なりが清潔なことに安堵を覚えたのは間違いだったのかもしれない。つまり、清潔でなければ、価値がないとしたら?
「あの人はなんで奴隷になったの?」
「十罪をあの方が犯したか、家族が犯したかです」
「重罪?」
「はい。犯罪は一から十に分類されて、十の罪を犯すと奴隷になります。家族全員です」
十罪! 気の利かないジョークに目がくらみそうだった。
「つまり、家族も巻き込まれるってこと?」
「そうですね。王国の支配が広大になり、奴隷の確保が難しくなって、それ以来の制度です。農家などには欠かせませんから。その代わり替えがきかないので、一定の扱いは法で定められてはいますが……基本的に、十罪を犯した人とその家族は、奴隷街というところに送られ、買われるのを待つことになります」
「買われなければ?」
「買われなければ、タダで買われるだけです」
ああ、なるほどね。納得して、それで私の目が翳ったのを、どうやらエイミーは見逃さなかった。不意に私の手を引き「さ、行きましょう」と歩き出す。途轍もなく不快で、それでいて剥ぎようのない、悪い夢のようにさえ思える光景が私を掴んで離さず、恐らくはすぐにでもここを離れたい私に反して、足は石灰で固めたみたいに頑なに動こうとしなかった。あの少女は何処へ行くのか。何処に行きさえすれば救われるのか。エイミー、エイミーに問いたかったけれど、きっと想いは共にできない。600万で買われた少女は、600万で買ったのだということを盾に、好き勝手扱われるに違いない。エイミーが強く手を引く。手元には5000万もの金がある。救える。――救える? きっと大量にいる奴隷全員に、そうするの?
視界が暗くなる。そういう時に限って快晴なのが常だった。どうしてか胸が重く、瞬間的な耳鳴りが耳朶を襲う。息苦しい。どうして? 私は何にショックを受けているのだろう。
「菜月さん……!」
「エイミー……」
「きっとあなたはそういう人だから、恵まれぬ人の為に無償で何かをやろうとしたに違いないんでしょう。でも、聞いてください」
壇上から降ろされる少女が、広場を振り返る。その目が私に合わさった気がして、逃げるようにエイミーの瞳に視線を落とした。
「あるものはあります。それは、在り方としてそうなんです。無償で人助けをするための資金を、有償で人助けをして集めるのが、なにか理からズレている気がするのは、至極当然の事です。でも私たちがどんなにしたって、有償の依頼は存在する。私たちが見ていないところにも少女の奴隷は存在するんですよ」
「でも」
「私はなんとも思いませんが、」エイミーが縋るみたいな声で言う。「生まれた時には彼女たちの存在が普通だったから、私には菜月さんがそのような表情をする理由は分かりませんが、でもそういうことができると思ったから私は――いえ……、救い切れませんよ。いま手を出したら破滅します。手を伸ばせば伸ばすほど何を相手にしているのか分からなくなっていきます」
エイミーがいつになく、いや、あるいはいつもそうだったのかもしれないけれど、涙を堪えるような切実な表情をしている。彼女の言葉は私の何処かを釘で打つみたいだったが、なぜそう感じるのかは分からなかった。なにか言葉以上の物を伝えようとしている気もしたけれど、掴みようのない直感的な霧でしかなかった。
「菜月さん、休みましょうか? 今日の宿を探しましょう。始めるのは明日からだって――」
「私、どれだけ魔法が使えても、全員は救えないか」
「全員救おうとしたら、救うということがなんなのかさえ分からなくなりますよ。きっとそうです」
エイミーは、弱々しい振る舞いで、小鳥のように細やかだけれど、誠実で聡明で、なにより現実的な女の子だった。
「そっか」
私が言うと、エイミーがほっとしたように握った手を緩める。その瞬間に、手指の隙間を風が吹き抜けていく。冷えを感じた素肌が、嫌な緊張で出た汗の存在を教えた。
「ごめん、エイミー、べたべた」
「ううん、構いませんよ。歩きましょう。このまま手を繋いでちゃダメですか?」
「嫌じゃなきゃいいよ」
エイミーは手を握り直すと、小さな吐息で笑った。
「ありがとうございます。あの、菜月さん」
「うん?」
「私を抱き寄せてくれた夜、口ずさんでた曲」
「ああ、うん」
「私、あれをまた聴きたいです」
「そっか、あれね。あれは――」息を吸う。重い呼吸だった。「嫌いな曲なの、実は」
エイミーが横で萎れる雰囲気を感じる。思い出の曲を嫌いだと言われたら、誰でも落ち込む。なんで抱き寄せた時に嫌いな曲を歌ったのだと問い詰められたら、私だって何も言えない。でもあの時は、別に嫌いではなかったのだ。
「エイミーは何か歌を知らないの?」
「少しですが、聴くことはありますよ」
「私の嫌いな曲を教えたんだから、エイミーの好きな曲を教えてよ」
「あはは、なんでですか。いいですけど」
そしてエイミーが歌い出す。私が驚いたのは、エイミーがるんるんと口ずさんだその曲が、私の知るメロディだったからだった。厳密には少し違っていたけど、それが、エイミーのうろ覚えだからなのか、実際に似ているだけの違う曲だったのかは判然としない。その日中、エイミーからは曲名が聞き出せなかったからである。そのピアノ曲も名前に愛が付くので、私はそのテーマの深遠さを思わずにはいられなかった。誰もが知っていて、誰もが語らずにはいられないという意味では、生き死にと同じだ。
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