nineteen
「おら、一個ずつ上げな」
魔法は便利だけれど、痒いところに手が届かないということがよくある。現象ありきなので、例えば物を浮かす、みたいな、フィクションの魔法によくあるようなことができない。物がふわふわと浮くという現象が存在しないからだ。風の魔法を起こして無理やり物理的に浮上させることはできるだろうけれど、荷積み荷降ろしには使えなかった。
一方で、船がどうやって動くかというと、燃料の役割を果たす、魔法で作られた物質を使っているらしい。魔法は魔法典に載っているのが全てではない。たとえば医療を施すような魔法はエイミーの持っている魔法典には載っていないが、医術師は知っている。燃料を作るのに必要な魔法とその過程は、とある一族が牛耳っているという。石油王みたいなのがいるらしい。
しかし、この世界ではたとえば電気の技術が発展しておらず、また竜巣の発展を見ても大した科学的進歩があるようにも見えなかった。街ゆく人の服装も、なんとも現代的とは言い難い。色褪せた有り合わせの布を縫い合わせたみたいなドレスを着る女性とか、逆にコルセットを巻いた絢爛な人を見ることもあり、それはやはり日本とも、あるいは今の欧米とも違っているように見えた。
というあべこべな技術的差異があり、時代の背景というものが全くといっていい程掴めていない。どうやら石油の代わりになる燃料があり、その燃料で動く船があり、だとしたら都会に行けば車両が動いてても不思議ではなく、魔法による十分な医学の進歩があり、現代でいう冷蔵庫や冷凍庫の代わりになるものもある……など、混乱する理由を挙げればキリはない。
想像でしかないが、魔法でできそうなことはなんでもやっていて、それがこの世界の異質さを作っているのではないか。私の知る世界でも、もし石油ではなく魔法が見つかっていれば、こういう進化を遂げていたのかもしれない。技術は需要と共に進化する。あるいは古い知識は需要と共に掘り返され利用される。魔法は理論の複雑な組み合わせを用い仮象として発現させられ、それは文字や形で伝えられる分、ピラミッドの建て方よりは確かな技術のはずだった。
「エイミーはそういうことをしたいんでしょ?」
「え、そういうこととは!?」
頭の中で考えていたことをそのまま聞いてしまったから、エイミーがすべすべの肌に皺を寄せて困惑してしまった。
「ほら、魔法作る人になりたいんでしょ」
「ああ、はい、そうですね」
荷物を無事に上げて甲板に引き上げてもらった私たちは、邪魔にならないところに陣取ろうとしたが、思ったより船上は乱雑で休まりそうなところがなかった。なんとか比較的落ち着いたところを見付け、二人で座り込んでいる。
けたたましい汽笛がなると、船団の先頭の船が動き出た。しばらくするとこの船でもエンジンのような音が響く。
「それって、なんか、」
エイミーの目的が推測できる分、はっきり言うことは敬遠された。私が言い淀むのを感じて、エイミーは小さく笑う。
「これから二人で旅をするんですから、遠慮があればつまらない旅になりますよ、菜月さん。私はですね、みんなを生き返らせたいのです」
隣で作業をしていた船員が、こちらを一瞥したのを感じる。
「私に両親がいないのは、ご存知でしたよね。実は、両親の死の原因は、厳密には、分かっていないんです」
「分かってない?」
「はい」
エイミーが頷く。それは、病とか、あるいは未解決のなにかに巻き込まれたということなのか。私の想像が広がる前に、エイミーが話を繋いだ。
「いつもの通りの日でしたよ。私が狩りに出ていた日でした。朝に仕事に出た父も、私を見送った母も、いつも通りだったんです、本当に。村の活気も変わりなく、安心して出ていったのです。その日は結局数時間の狩りで野鳥数羽くらいの成果しかなく、なんと言い訳しようかと笑いながら村に帰ったら、村の人全員が亡くなっていました」
「えっ、なに?」
私の反応は予想通りだったのだろう。エイミーは首を傾げてぎこちなく微笑むと、自分の手を重ね合わせた。
「狩りに出ていた私たち以外、全員が亡くなっていたのです。父も母も、例外は無く。本当に小さな村でして、百数人程度の人口しかありませんでしたが、それでも、生き残ったのは私含めて五人です。祟りだなんだと騒いだ人もいましたが、王国の兵士が派遣されてきても、なんら原因らしい原因は分かりませんでした。ただ、数時間のうちに全員が命を失ったこと、村を出ていた五人が無事だったことだけが事実です。そのことを考えれば、伝染病の類はありませんし、食あたりも有り得ません。外傷が見られなかったので賊の襲撃があったわけでもなさそう、ではなぜ? 辺境の村でしたが、憲兵の方々は真相の究明を諦めるようなことはしないでくれました」
エイミーがすらすらと話すことそれ自体が、何度も何度もこのことについて考えたのだということを想像させた。私が愛の事故現場のことをつぶさに説明できるのも、同じ理由だった。
「状況的には、みんな一斉に逝ったことが伺える状況でした。というのも……というか、これは推測の域を出はしなかったわけですが、村全体で慌てた様子はどこにもなく、なにか悪いことが順々に起こっていたなら起こりうるはずの、当然の反応みたいなものが、人々からは見られなかったのです。父に至っては、座ったまま死んでいました。対面して座って、おそらくは何かを話し込んでいた男性も、項垂れるようにして背もたれに、それも表情は笑みを浮かべた状態で」
頭の中でその光景と、それを見るエイミーの背中が想像された。どれほどの恐怖だっただろう。エイミーの話は考えながら聞いてはいたけれど、全員が一斉に死ぬ、その理由が思い付きはしなかった。
「最終的に辿り着いた結論はですね――禁呪が使われた、というものでした。それ以外には考えられなかったからです」
「禁呪……」
「禁呪についてはまだ何も言っていなかったと思いますが、基本的には生死に関わる魔法、時間を動かす魔法など、……つまり、神の領域に関わる魔法を禁呪と呼びます。使えないわけじゃないんです。むしろ、それらの禁呪は詠唱を覚えさえすれば、どんな人でも使うことができてしまう」
「魔力や才能がなくても?」
エイミーが頷く。
「はい。ですがそれらは、すべて神の仕事です。神の仕事を奪えば……つまり、神の領分に踏み込めば、人は大きな罰を食らいます。だから禁呪と呼ばれるのです。それは惨い罰だと聞きます。少なくとも、禁呪を使用した人はそう言うそうです」
「使っても、使った人が死ぬわけじゃないの?」
「死ぬ事それ自体は、罰としては最大級ではないと思いませんか」
エイミーは悪戯っぽく私を見て笑った。私の投げやりな雰囲気を理解しているような問い掛けだった。そう言われたらそうだ。死にたいという私に死を与えても、それはある種の救済でしかない。
「むしろ、殺してくれと懇願したくなると言います。だから、誰も禁呪は使いたがりません」
「でも、村のことは禁呪の可能性があるの?」
瓶の水を飲み込みながら、エイミーは頷いた。
「急に人が一斉に命を失うという現象に理由を付けようとしたら、もはやそれしか残らないと、憲兵の方が言っていました。ただやはりこれも可能性を消していった上での推測なので、ほんとのところは分からないのです」
とんでもない大悪党がいるということなんだろうか。辺境の村に押し入って、突如として人々を殺した悪魔のような魔法使いが。
「みんなを生き返らせたいって、言うけど」
「はい」
「でも、その、生き返らせること自体も、禁呪なんだよね」
「そうです。でも、どうにかして、禁呪としての扱いを受けないようにできないかと。自らの身を犠牲にしてでもみんなを生き返らせようと考えなくは、なかったですが」
「それを、押しとどめられたのはどうして?」
「どうしてでしょう。なにか違う気がしたのです。それは。まして、禁呪の罰が自分以外の誰かに及ばないとも限りませんから」
私は「そっか」と呟いて、川に目を落とした。
考えずにはいられなかった。仮にエイミーがみんなを生き返らせたいと言ったって、死体は綺麗な状態で残っているのだろうか。仮に何らかの方法で埋葬されてるとして、できるのだろうか、そこからまた生き返らせることが。魔法のことはまだよく分かっているわけではないけれど、無い現象は魔法でも起こせないということを知っている。少なくともいま現在の魔法では無理だ。死んだ直後の人が息を吹き返すということは現象として有り得るとは思うけれど、骨にされた人がその身を復活させることはまた別の話に違いない。それが神かなにかの超常的な力なのだとしたら、分からないけれど。
もし、愛を生き返らせる方法があったとしたら、私はどうするだろう。
エイミーの顔を見る。エイミーの顔を見るのは、愛のことを思う時、水のようにすんなりと腑に落ちる行為だった。
事故現場には、ただ過失と悲しみと騒乱しかなかった。悪意がないことそれ自体が醜悪な現場が。愛にいて欲しいと、きっといまでも思っている。死んで欲しくなかったということを突き詰めていけば、そういうことになる。でも死んでしまったあなたを生き返らせてしまったら、それはもう「愛」ではなく、それ以上に「一度は死んで、生き返った愛」になってしまうのではないか。接する度そう思ってしまうのではないか。それはさしずめ、強迫観念的に無意識で。
イルさんが手渡してくれた紙包みをリュックから取り出す。包みを慎重に剥がしていくと、ハンバーガーが入っていた。時間が経って冷たくなっていて、もう少し早く食べるんだったと思った。私が一口かじって、エイミーにもかじらせる。すっかり静かになった二人は、一口ずつ交互にハンバーガーを食べながら、船が目的地に着くのを待っていた。
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