twelve

 翌日、エイミーがものすごい形相で私を叩き起こした。


「菜月さん! 大変ですよ!」

「えー?」


 まだそんなに寝ていない気がする……。だるい身体に重い頭を無理やり起こすと、エイミーが窓の外を指差しているのが見えた。


「見てください!」

「なにが」


 外を見ても、なにか変わった様子が見られるわけではなかった。いつもの竜巣の茶色の風景が広がっているだけ。とにかく眠いので、もう一度ベッドに倒れ込むと、エイミーが私の身体をゆする。


「もうお昼なんですよ! 私としたことが、こんな時間まで寝てしまいました! お仕事もあるのに、農家のかたきっと困ってます!」

「嘘だよ。こんな眠いのにお昼なわけないでしょ、ほらエイミーもお布団もう一回入りな」

「わ、分かりました。一旦お布団には入ります」


 エイミーは私の言う通り布団にもぞもぞと潜り込んできたが、声を落として私を起こそうとするのはやめなかった。胸の辺りが掴まれる。


「でも、お昼なのは確かなんですよ。私もおかしいと思ったんです。とにかく支度して謝りに行かないと、いまごろ作物がスライムの粘液だらけになっているかもしれません」


 エイミーの声はぼやぼやと反響するみたいに聞こえていて、白んだ部屋が瞼の裏側を明るく照らす。本当にお昼だとするならば、信じられないくらいの時間眠りこけていたことになる。いままでしたことがないくらいに。遅刻と寝坊と欠席をしたことがないというのが私の美徳だった。それなのにこんなに眠いのはやっぱりおかしい。胸にエイミーの体温を感じていると、喉がからからに乾いているのに気が付いて、喘ぐみたいな声が出た。


「……水がほしい!」

「え、いますぐ!」


 勢いよく起き上がったエイミーが、冷たい箱に瓶で保存していた水を取り出すと、病人にするみたいに私の口に瓶を傾けて飲ませた。氷くらいに冷たいそれは砂糖水かと思うほど甘くて、すぐに起き上がってたちまちぜんぶ飲み干すと、もう一本飲みたくなった。瓶を持っていたエイミーはそれを察すると、また持ってきて、最後まで瓶を傾けて持ってくれていた。


「え、ありがと、やさし……」

「いえ、すごい飲みましたね」

「脱水してたかも」

「お酒飲みましたからね。目が覚めましたか」


 なるほど、お酒を飲んだからか。二日酔いってやつなのかな。


「…………お昼過ぎちゃってるんだっけ」

「はい。昼に来る船団が船着き場に。どうしましょうか」


 エイミーも冷静さを取り戻していた。私はベッドに座って、エイミーは床にぺたりと座って、二人して窓の外をぼーっと見ていた。日曜のお昼に暇をしているみたいな、そういう雰囲気がある。


「別に歩合制だし、契約交わしてるわけじゃないし」

「あー、そうとも言えます」

「ねえ、竜巣、案内してよ」


 ここに来て一週間以上は経ったわけだけれども、ろくに周囲のことを知っていない。行き来するのはこの宿と農家とギルドだけで、買い物とかそういうものも通り道で済ませてしまっていたのだ。


 エイミーは私の提案に快く頷くと、すぐに二人で準備を終えて外に出た。


・・・・・


 竜巣の砂臭さにも慣れてきた。砂埃が舞うのはよく見るが、大河があるからか、ここはそれほど乾燥しているというわけでもなく、なにか悩まされることはなかった。高温多湿の日本を思い出すと、かなり住みやすくさえ思える。茶色一面の風景は狭苦しく息苦しいけれど、ちょっと行けば外に出られるし、その解放感もこの窮屈あってこそという感じがする。どことなく鬱蒼な気分の日は、母に隠れて押入れの中で膝を抱えているみたいな、そういう安心感もまれにはあるのがここの風情だと思える。


 エイミーがまず案内してくれようとしたのは、その大河の方だった。竜巣の特徴は山をくり抜いたその独特な地形と、何よりその中を鷹揚と流れる広大な川なのだけれど、私は一度も近付いて見たことがなかった。エイミーはそれを知っていた。洞窟の中を流れる川、というのがどことなく神秘的な雰囲気を纏っているのは、子供の頃に愛と行った鍾乳洞を思い出すからだろうか。


 複雑な形に連なりあった白い岩や柔らかそうにさえ見える不思議な形の石、揺れもしないで佇む水面と、冷たい空気。時が止まったみたいな空間だったのを覚えている。わざとしらくライトアップされた光景にも愛はきらきらと目を輝かせて、事あるごとに通路の手すりから身を乗り出していた。感動しやすい性質の子だったから、私も引っ張られるようにしていろんな物事の美しさを見ようとするようになった。一秒数コマのアニメーションくらいにしか心を動かされない私に、草花とかきらめく石ころとかへの現実的で表面的な愛しさを、彼女は言葉を使わずに教えてくれた。


 私がつっかえるみたいに立ち止まったのを、少し前を歩いていたエイミーが、すぐに気が付いた。ゆらゆらと揺れていた繊細な髪の毛がくると翻って優雅に踊ることに目が奪われる。その振り向き際の横顔の、すでに私の顔を真っ先に捉えている瞳、柔らかそうな長い睫毛、細い鼻先、ちょっとした緊張で薄く開かれた唇、振り返ってその顔が笑顔を作る前に、なにか和らぐ空気が流れて、エイミーは強かに上目で私を見た。


「座りますか」

「ううん、大丈夫」

「手を」


 エイミーの小さなか細い手のひらが差し出される。


「エイミーは、」

「はい」

「……ううん、なんでもない」


 言いかけた言葉を飲み込んで、エイミーの差し出した手の平を指先で撫でると、握らずにそのまま私が前を歩いた。


・・・・・


 堤防から下りてみると、遠くから見るよりも、その場で見る船団には迫力があった。岸に横付けするみたいにそれは停泊しており、そこでは男の人たちが休憩中なのか座って煙草をふかしていて、多少煙たい空間になっていた。私達を見つけた男の一人が、声をかけてくる。


「おう、散歩かい」

「はい、川辺を」


 エイミーが答える。日本で見慣れた川辺の風景とは違っている。人二人分くらいの高さの堤防の下には荷降ろし用の通路が整備されていて、草花一つも生えていない。向こう岸もそのようになっているようだった。貿易用の運河なのだから、様相が異なるのは当然のことだけれど。


「こんな朝からご苦労さんだな」

「はえ、朝ですか? もうお昼ですよね」


 私は後ろで、会話する二人を見つめている。エイミー、意外と社交的だな。私が非社交的なのか。知らない人って、なにも分からないからどう接していいのか分からない。


「俺たちも起きたばっかさ。昼だと思って朝の散歩をしてるのも変な話だな」

「すみません、この船団がお昼以外に停泊しているのを見たことがなかったので」


 エイミーが申し訳無さそうな視線をこっちへ向ける。胸の前で指を踊らせてなんでもないよと合図すると、男性がこちらを見たので、すぐに引っ込めた。


「そういうことなら正しいけどな。困ったことに、この竜巣を出た先の跳ね橋を厄介な獣たちが寝床にしちまってるのさ。どくまでは仕事にならねえ」

「ギルドに依頼などは出せないのですか」

「悲しいことに、占拠してるのがポミュリンの群れでな、あれをどかす依頼を出したら、この荷物を売り払うより金がかかっちまう。停泊して延滞の手数金を払ったほうが幾分マシなのさ」


 ポミュリンでしたか、それは災難でしたね、とエイミーがお悔やみを述べると、話が終わった雰囲気がどことなく漂い、エイミーは私に数歩寄ってきた。


「ポミュリンってなに?」

「巨大な四足歩行の草食動物です。人の三倍くらいの体長があるのですが、獰猛で、さらに五匹くらいでいつも群れているので、手が付けられません」


 思ったよりもずっと厄介。この世界では名前の印象と実物が全然違うということがたまにあるな。


「じゃあ退治しようと思ったら、大ギルドくらい?」

「小ギルドでも見ないことはないですね。適正的には中ギルドとかでしょうか。上級ギルドはドラゴンの巣を暴いたりするので、比較にはなりません。ちなみに言うと、竜巣もそうやってできました」


 エイミーの説明を聞いて、感心して上を見上げる。ここ、実際に竜の巣だったんだ。竜がいるのだ、ということにはなぜかそこまで驚かなかった。この大きさの竜がいたんだろうか。それとも何匹も住んでいたのかな。


「あの」


 船の方へ私が声をかけると、さっきの男性が煙草を吸い込みながら、視線を向けるだけで返事をした。


「それ、私たちが退治してもいいですか」

「あ? 嬢ちゃんたちが?」

「その代わりといってはなんですけど、いつか船に乗せてもらいたくて」


 出した条件に深い意味はなく、船に乗ってみたいという単なる思いつきだった。


「人は見かけによらねえとは言うが、武器もねえし、杖を持ってるじゃねえか」


 言われて、腰に掛けている杖を見る。そうだった。杖は魔法使い初心者くらいしか使わない補助輪のようなものだと、エイミーが言っていたのを思い出す。これを持っていたら舐められるらしかった。


「杖は好きで持ってるんです。どうですか?」

「いや、そんなの、航路上ならいくらでも乗せてやるよ。前金もなんもいらねえんだろ?」

「はい。私たちが成功しても失敗しても、船が損することはありません」

「助かるな。いいのか」

「はい」


 男性は甲板で煙草の火を消すと、空気に溶け込ませるみたいに紫煙を吐いた。


「なんだ、あれだな、危なくなったら意地張らずに戻ってこいよ」


 お辞儀をして、エイミーとそこを離れた。

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