nine
「菜月さんはほとんど六十歳と一緒です」
「え、ひどい」
浴場に三人で入り、身体を流して湯船に浸かると、エイミーの第一声はそうだった。今日はじめて裸の付き合いをするのに、その一歩目にこんな事言われたらもう二度と人前で服を脱げない。そんなよぼよぼですかね、わたくし。
「あ、いえ! 魔法のことですよ! お肌はぴちぴちで真っ白です。……大ギルドに所属するのが歴戦の戦士ばかりとお話したかと思いますが、そのほとんどが魔法使いで、ほとんどが相応に歳の取った方たちです。魔法はどうしてか年齢とともに内在する魔力が増えていくものらしく、菜月さんのように若くして才能を持った人以外は、珍しいのです」
びっくりした、そういうことか。ほっとする。一糸纏わぬエイミーの白い素肌が、橙色の輝石の光に照らされ、木組みの風呂でぼんやりと照っていた。膨らみの少ない胸はエイミーが身振り手振りを使って必死に説明をしてもびくともせず、ほんの小さな動きで揺れる水面がやっと揺らすのみだった。さ、触りたい……触ったら怒られるのかな……。
「だめだよ、菜月ちゃん」
後ろのイルさんが浴槽の奥のほうで小さく座って、銀髪を湯に垂らしながら言った。私の邪な思惑をやはり敏感に察して丸裸にするのに、自分は身体を見られるのが嫌とかで、布を撒いて風呂に入っている。心を読まないでくれと思って無視し、エイミーの方を向く。
「あの一回で、なんでそこまで分かるの?」
「初めてなのに、あの水準の発現をして、まったく疲労が見えませんので。あと数十回は撃てますよ」
「それで六十歳くらいかあ」
「そうですね」
エイミーが手でお湯をすくって、ぱしゃりと肩に被せる。水面が音を立てて揺れる。足伸ばせる浴槽が快適だった。
「私はからきしないんだよね、魔力」
イルさんが言うと、エイミーが頷いた。
「魔法が使えれば、ギルドに所属しない手はありませんからね。魔法使いかと思うほど人の頭を読むので、怖いですが」
それを聞いて浮かぶ疑問は一つだった。
「人の心を読む魔法とかはないの?」
青毛がふるふると揺れる。その先からぽとんと落ちる水滴が可愛く見えてしまう自分が、どうしても卑しく思えた。
「人の精神に介入することのできる魔法はありません。魔法はこの世に存在する何らかの現象を、脳内に作る想像とそのこじつけの形、詠唱とそのこじつけの音が、ほとんど仮象として発現しているにすぎないのです」
「じゃあ、フィ――」
『フィレ』と口にしようとすると、慌てたエイミーが両手で私の口を塞いだ。その勢いに押され変な声を出した私を、エイミーが首を振りながら見る。
「ダメですよ、危ない」
「危ないの? エイミー、さっき言ってなかった?」
「意識的に全く別のことを考えながらでないと、危険です。さっきの経験が活きている内に口にしてしまうと、事故になります。初体験だから、鮮明にその時の感覚が身に残っていて、ひょんなことで発動してしまうという、初心者の方のそういう話はよく聞きます」
そう言われると、私はいまさっきの経験を思い出しながら魔法名を詠唱しようとしていた。発動の条件は複雑だけれど、一連の感覚を一つの感覚として身につけてしまえばすぐにでも発動することは不可能ではなさそう、というのは、脳内に抱く感覚で分かる。
「ごめん、気をつける」
それを聞いたエイミーが、ほっとした顔になって、その瞳に愁いを帯びる。彼女のこういう顔を見ると、腹にずしんと思いものが来る。
エイミーと愛は、似ても似つかない。少なくとも、その性格においては。愛は明瞭で、快活で、向日葵のような子だった。エイミーが彼女と違うと分かっていても、その顔で萎れた表情をされれば、その向日葵が、スズランのように頭をもたげているふうに見えてしまう。愛に心配をかけたという、私の罪悪感が、胸を上ってくるのだった。どんなに違うと信じていたとしても、だからといって目の前にあるものは、目の前にあるものでしかない。
「私こそ、急にお顔を触って、すみません」
「いや、そんなのいいよ。――さっきの話! 火の魔法は、実際には火ではないってこと?」
エイミーは視線を揺らしていたけれど、落ち着くと、やがてこくりと頷いた。
「火そのものでは無いという意味では、火ではありません。が、火という現象との違いを厳密に調べるのは難しいと思います。現象があって、理屈があるのが科学ですが、理屈をまず持ってきて、現象があるのが魔法です」
なにもないフィールドに、まず理屈を持ち込み、それが起こる状況を作る。そういう理解でいいなら、私にもなんとなく分かった。
「人の脳内を探るという現象そのものがないから、理屈もなにもなくて、魔法にはならないってこと?」
「まさに、ご明察です。ただ、そこには議論がないでもないですが。理屈さえ作ってしまえばなんでもできるのではないかと研究する理論派の魔術師がいます。私はそういう研究職に就くのが夢なんです。魔法を作るのは、全部魔術師なんですよ。それを、菜月さんのような感覚派の魔法使いが実際に利用するんです」
魔法に関わる職業に就きたいって、さっき言ってたっけ。つまり、現象に対して、それが無のフィールドでも使えるように、理屈を与える。そういうことを研究したいんだ。この子は。
「エイミーは、どんな魔法が作りたいの」
私が聞くと、エイミーは私から目を逸らした。その顔が、扉を隔てた脱衣場の方へ向く。顎の骨が浮き出ている首元のラインが、幼い表情のせいで忘れてしまう年相応の体付きを思い出させる。鎖骨に伸びる首の線が大人びて、そこに張り付く湿った青い色の髪が、色気づいている。先を見るその瞳が縁取る睫毛も長く、そして細くて、綺麗だった。
「私の作りたい魔法は、実はもうすでに存在するんです。でもそれが、禁呪と呼ばれていて……平たくいえば、使っちゃダメなんです。それを、どうにか使えるようにするというのが、私の夢です」
「禁呪を、使えるようにしたいの?」
「はい。……使えないのには、理由があるかと思いますが、私はどうしても、諦められなくて。まあ、魔法使いも魔術師も、みんな子供の憧れで、大人の目標で、競争も激しければ才能のある人ばかりですから、私なんかがなれるわけ、ないんですけどね、えへへ」
エイミーが黙り込むと、私も掛ける言葉を失った。事情はたぶん、とても大きい。ちらりと見ただけだけれど、エイミーが部屋に持ち運んだ荷物は、本とか、ペンとか、そういうものばかりだった。右手には、消えないペンの跡が付いている。それだけの勉強を、この子は普段からしている。
そんな彼女の横顔は、やはりやたら大人びている。なのに、ふと目に写った自分の手はぎゅっと空気を握りつぶしていた。それがたまりに子供のようだった。
水滴が床に落ちる音がすると、後ろで座っていたイルさんが立ち上がって、一足先に脱衣場の扉を開ける。
「のぼせるから、もう出よっか」
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