six

 硬い地面の上を歩く音が二人分と他人分、騒々しく鳴っていた。どこにいっても砂っぽくて、何度かくしゃみが出そうになるけれど、私は女子のやる小さく可愛いくしゃみができないので我慢していたら、エイミーが女子のやる小さく可愛いくしゃみをしたのでひっぱたきたくなった。痛いと言って涙目になっているのを想像すると、可愛い。可愛いものを虐めたくなるのって、なんでなんだろう。


「受注ギルドはですね、派閥争いがあって少し厄介なんですが、今から行くところでは、そんなに影響はないので安心してください」


 そんな小動物が、私に指南をしていた。


「派閥争いがあるんだ」

「はい。受注ギルドには大中小とギルドがあって、三角型の上下関係があるのですが、そのうちの大ギルドが二つの派閥に分かれてしのぎを削り合っていて、こわいよ、と聞いたことがあります」

「その上下関係自体はどうやって働くの?」

「依頼は、基本的に大ギルドに届けが出されます。その時に報奨金を決めて、事前にギルドに預けておくのですが、大ギルドにいるのはなんと歴戦の戦士ばかりで、彼らに頼むまでもない小さな依頼は中ギルドに回され、中ギルドでさえ行う必要がなければ、小ギルドに回されるんです。支店は小ギルドが一番多いので、私のような弱い人間でも自由に出入りできますが、中ギルド以降は面接やら試験やらがあったりして、報奨金や依頼の質に大きな差が出るのです。なので、これから行くのは――」

「小ギルド」




 実際にそこに到着すると、私はその規模にまず驚いた。小ギルドというのでこじんまりとしたカフェのような場所を想像していたが、小さく見積もりすぎたようだ。学校の教室を四つ集めてようやく同じくらいの広さだろうか。照明の少ない薄暗い室内にはボロい木製のテーブルが所狭しと並べられており、そこを囲むみたいに椅子が必要以上にごろごろと置かれている。


 何より面食らったのはその熱気だった。ほとんど酒場では、と思うのも無理はない。実際に酒場だったのだから。酒を提供するウェイターもいれば、酔っ払って蛮声を上げる大男が多数いる。ギルドにはこうして何らかの飲食店がくっ付いてることが多いらしいけど、私は途端にエイミーのことが心配になった。


「ねえ、裾をもっと下げれないの、エイミーは」

「え、短いですか」


 エイミーは薄いワンピース一枚をただ羽織りました、みたいなどうにも頼りない服装をしていて、裾は膝元まで伸びてはいるけれど、そこから伸びる白い脚はそのふとももを想像させるのに十分な役割を果たしていた。


 私の制服をドレスと言ったけれど、安い生地のワンピースも、可憐な花に着せたらそれはそれでドレスだ。


「そんな格好でいつもこんなところ来てるの? もっと厚着してよ。胸元もなんかゆるくない?」

「な、なにをそんなに心配してるんですか」


 と言いつつもエイミーは急に自分の格好が恥ずかしくなったみたいに、私の制服の裾を引っ張った。顔を赤らめて胸元に手を握って、男たちの目線を気にし始めたエイミーはたぶんキスもしたことがない。誰がこの子にキスを教えるのか。私か? ギルドのこと、教えてくれてありがとう、これがお礼の代わりだよ、私も教えてあげるからね。や、やめてください! やめてください!?


 酒と肉をその両手で振り回す男たち、女たちの熱気。無秩序と下手くそな音楽。こういう熱気を、私はいつも嫌いなのだと勘違いされるけれど、そんなことはなかった。熱気は大好きだった。自分が個としての意味を大きく失うことになるから。


 集団。ある程度の一体感を持った集団の中で必要とされるのは、個性ではなく集団性なのだ。それが私にはひどく気楽だった。ただその集団の一員になってしまえばいい。それで世は事もなし。では、一人では。


 そうとも、私は何より一人が嫌いだった。誰かと二人でいたり、三人でいたりして自分を装い、それによって限界を迎えるほどの疲労を抱えたとしても、一人でいるよりはマシ。


 一人の場所では、自分が嫌いになるから。唾棄してしまいたくなるから。吐き出して、血溜まりに落ちて、汚いと嘲笑われたほうがマシな絶望が身を襲うから。捨てる神も拾う神ももはや憎いから。あらゆる悪趣味、悪事、中指を立てて滅びろと叫んで金属バッドで地面を叩きつけたくなるような衝動が体内をぐるぐると駆け巡る。自分に、他人に吐き続けている嘘が、ナイフのような形になって、その切っ先を喉元に突きつけてくる。じわりと焦らすように、殺すならいっそ殺せと思えるほどの速度で皮膚に触れ、血が滴り、それが床に落ちると同時に非難の声となって私を蔑む。寝る前に布団に入るときには、いつもとにかく口内から銃弾を浴びたいと、そう思っている。なんでそうなっちゃったの、菜月ちゃん。愛の声が愛らしく響くと、何も言い訳することなんかできないと気付いて、ほとんど飛び降りたような感覚に満たされる。


「菜月さん」


 私の表情の変化に気がついたエイミーが、私の耳元で囁いて、裾を握る力を強くした。その手が離れた瞬間にひどく心細くなったけれど、また近付いて来て私の手のひらに触れると、優しい言葉だけで紡がれた、手紙の表面みたいに滑らかな彼女のその柔肌が、おさなげで愛おしくて、私は不意に甘言を発するみたいに、息を吐いた。


「ごめん、ありがとう。案内して」


 頷いたエイミーは努めて明るい歩調で、私の先をゆく。手を引いたまま。


・・・・・


 奥ばったところに入ると、長身で細身の男性がそこで暇そうに立っていた。眼鏡をかけてタキシードを着て、知的な雰囲気のある人だった。どことなく女性的な佇まいなのが印象を持っていて、私たちに気付くと、小さな音で咳払いをする。


「どうも、こんにちは。依頼の確認に来たの?」

「はい。前回の依頼の報告もついでにさせてください」


 エイミーは手に持っていた細かい輝石の集まりと、A4サイズの紙切れを彼に手渡す。眼鏡はうんうんと微笑んで頷きながら、OKサインを右手で出した。


「ノブドルゴルドル~」

「え!?」

「ん?」


 え、いまのなに? 眼鏡の人が細い線の背中を見せつけるみたいに後ろを向いてノブゴルド公国(?)と言うと、奥から高い声の返事が返ってくる。


「はーい」

「一昨日の004番の報酬をお願い」


 後ろでごたごたしている間に、エイミーが口を寄せてくる雰囲気を感じたので、少し屈んで耳を寄せる。


「眼鏡の方はコエバスさんといって、この小ギルドの支配人かつ受付さんです。ノブドルゴルドルさんはコエバスさんの妹の方で、ギルド運営のお手伝いをしているんです」

「あ、そうなんだ」


 いや、あ、人の名前? 人の名前か。


 やがてなにやら小さな金属がぶつかる音とともに、奥の部屋から仕切りをくぐってブロンドの女性がゆっくりと出てくる。それがご令嬢かなにかか、と思うほどの気品を携えた女性で、顔の彫りが深くて目に携える翠色の瞳が美しいビー玉のようで、素敵だった。それゆえ、名前のイメージから抱くギャップとの差で風邪を引きかける。そりゃ名前なんてなんだっていいけど、名が体を表さないことがあるんだ、という新しい知見ね、これは。


「エイミーちゃん、いつもお疲れ様。これが報酬ね」


 エイミーに麻袋が渡ると、確認もせずにエイミーは懐にそれをしまい込む。金属の音はどうやらお金のようだった。そしてノブドルゴルドルに、私は不思議そうな目で舐めまわすように見つめられる。


「お知り合い?」


 問われたエイミーが、向日葵かと思うほどのにっこり笑顔で答える。


「はい、これから一緒にお世話になることが増えると思いますので、よろしくお願いします」

「菜月といいます。お世話になります」


 追いかけるみたいに自己紹介をすると、コエバスさんとノブドルゴルドルさんの兄妹は人懐こい笑みを浮かべて、お互いに改めて自己紹介をしてくれた。


 それが終わると、さて、ということで通路の先へと案内される。エイミーと二人で連れ立つと、四方の壁が紙切れで埋まった部屋に辿り着いた。どうやらここが、依頼を選択する場所のようだ。雰囲気ががらりと変わり、熱気もここまでは届いていなかった。床の軋む音が響くほど静かな、薄暗い室内。他にも何人かの人が壁の紙を物色している。


「どうしますか」


 エイミーが耳打ちをする。

 どうしますかと言われてもね……。


 入口に近い壁から、順繰りその内容を見ていく。ざっと目を通しただけでも、その内容は多種多様だった。『崖の上に自生する木の実を……』『畑を荒らす獣の群れを……』と、見ていくけれど、これらの依頼を自分がこなしているビジョンが全く見えない。


「なんか、どれも難易度高くない?」

「そうですね。依頼する方は、ここに書いてある報奨金の金額よりも、実際にはずっと多く依頼金を払っています。なので、自分でできるようなことは、自分でやる方がずっと安上がりなんですよ」

「あー、それもそうか。そんなに値段が張るんだ、依頼は」

「はい。それほいと依頼できる金額ではないそうです。大ギルドから中ギルド、中ギルドから小ギルドに回される時、報奨金の利ざやを上級のギルドが取っていきますから、小ギルドに降ろされる時にはほとんど大した金額にはなっていません。なのでここではどのくらいの依頼金がかかったのかは分かりませんが、恐らくはかなり引かれています。それでもやっぱり簡単なことは依頼しなくていいので、より高い報酬を求めて、みんな中ギルドとか大ギルドに所属しようと、頑張っています」

「本当は困ってるけど、お金がなくて依頼できないって人もいるんだ」

「そうなりますね。大ギルドは結構なお金を持っていきますから」


「なるほどねー」私はエイミーの話を聞きながら、何周もぐるぐると室内を回って、手頃な依頼を探し出そうとしていた。しかし、やっぱり何がちょうどいいのかは分からない。「分かんない。もうエイミーが選んじゃってよ。なんでもいいから」


「ふむ、そうですね。……これとか、いかがですか?」


 エイミーが細い指で差したそこには、討伐依頼、と大きく見出しがついた紙で、その下にはただ『スライム討伐』とだけ書かれている。他の依頼は詳細な状況などが載っているものもあったけれど、これはもう勝手知ったる、と言わんばかりの空白だらけだ。


「うん、じゃあそれで」


 私の承諾を得ると、エイミーは壁から紙を剥ぎ取って、また部屋を出て、コエバスさんにその紙を手渡す。コエバスさんはちょっと待ってね、と言うと、依頼の現場の住所が書かれた紙を代わりに手渡してくれて、諸々簡単な手続きを済ませると、ギルドも後にした。


「スライム討伐って、何するの。服とか溶けるの」

「え、服ですか? 服は溶けませんが、野菜は溶けます」


 そりゃまた胡乱な。

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