パピーウォーカー【PW①】

久浩香

幸運な子供

 私が里親の家に引き取られたのは6歳の時。

 それまで暮らしていた養護院の院長先生から貰った地図を頼りに、公共交通機関を乗り継いで、副都心にある屋敷の前に辿り着いたのは、約束の時間の30分前。

 正門にいる守衛さんにゲートを開けてもらい、モザイク模様の石畳を歩いて行けば、両開きドアの玄関は開いていて彼等は私を出迎えてくれた。

 私が玄関ポーチへと続く階段を登りきると、ママは

「お帰りなさい」

 と、まるで私がずっとここで暮らしていたかのように、いい匂いのする両腕で私を抱きしめてくれた。

 対してパパは、袖口をめくって腕時計を見て、眉間に皺を寄せながら

「10分前か…まあ、及第点だな」

 と、ボソリと呟いた。

 私は、時間内にこの家に辿りつけたので、養女になる事を認められた。

 館の中央棟の中に足を踏み入れた私はそのまま、私の『おうち』になる西翼棟のお風呂場へ直行し、メイドさん達の手で体中を磨かれてピカピカになり、それはそれは肌触りの良い綺麗なドレスを着せて貰って、養護院で配給されたゴワゴワの薄茶色の服なんて、もう着る事は無かった。

 私が娘になった事を祝う晩餐の席で、私はパパと約束をした。絶対に西翼棟からは出ない事。中央棟はパパとママの仕事場なので、沢山のお客様がやって来てお仕事をしてるから、その邪魔をしちゃいけなかった。

 それからの生活は一変した。

 グラノーラだけの食事を沢山の子供達や先生達と一緒に無言で食べていた食卓は、幾つかの料理が、料理毎に別々のお皿に乗って並べられ、パパとママと一緒にマナーに則ってお喋りしながら食べ、毎日違う服を着て、沢山の玩具で遊んだ。

 朝食の後、ママはママのお仕事をしなくてはならなかったので、パパと二人でお勉強をした。その日に学ぶべき事を私が理解するまで、昼食の時間にはならなかったけど、そもそも私が養女になれたのは、私の知能が、養護院の他の子供達の誰より優秀だったからなので、それを怠る事は許されなかった。

 でも、月に一度、それまで学んできた事を、ちゃんと理解して覚えているかのテストをして、ちゃんと100点を取れると、パパは「偉いぞ。良くやった」と褒めてくれて、その顔は本当に誇らし気で、そう言ってくれる時のパパの顔が一番好きだった。パパのそんな顔を見ていい気分になった私は、これからももっと頑張ろうって思った。

 昼食の後はママと遊んだ。その間にパパはパパのお仕事をするので、そのお手伝いにメイドさんの誰かを一人連れて行った。いつも笑顔の優しいママは、私がこの家に来てから、3回大きな病気になった。細くて緩やかなカーブを描く柔らかな身体の、お腹が大きく膨らむ病だ。その病気にかかったママは、病院に入院しなければならなくて、その間は寂しかったけど、元の身体に戻って帰って来たママは、私を痛いぐらい抱きしめてくれた。泣きじゃくって私の名前を呼ぶママに、私と会えなかった時間が、ママもとっても寂しかったのだと感じられて、とても嬉しかった。

 この病気は大人の女性が罹る病気で、この病気を患ったメイドさん達は、ママとは違って屋敷から出て行った後は、もう帰って来る事は無くて、入れ替わりに若く可愛らしいメイドさんがやって来た。

 パパとの約束を破るつもりは微塵もなかったけど、私の傍にはいつも大人がついていて、西翼棟と中央棟を分かつ扉には鍵がかかっていた。

 15歳になった私は、これまでパパから教わってきた沢山の事の試験を受けて、最後の半年は、この国の仕組みを学んだ。

 それは、『パピーウォーカー制度』の事だ。

 この国では、自分達の子供を自分達の子供として育てる事ができるのは、国王陛下と上級貴族、それから血統による才能を国に認められた一部の下級貴族しかいない。産まれた子供は、結婚を許された夫婦の子供でさえ養護院パピーミルへと集められ、そこで国への忠誠心だけを徹底的に教えこまれて、子供にもできる労働をさせながら育てられる。大人になり、一般国民となった彼等を、それぞれの適正に合わせた仕事場へと割り振る為に。だけど、養護院の中にも、突出した才能や知能を持つ子供達がいる。そういう子供達を育てるのが里親パピーウォーカーだ。

 パパは上級貴族の出身だけど、三男だったので貴族にはなれなかった。でも、上流階級の上級国民であるパパは、パパのママからの愛情を受けて育ち、きちんとした教育を受けていたから、パピーウォーカーになる資格試験に合格した。

 ママは、私と同じく里親に育てられた子供だった。でもママは試験で合格しなかった。高額な国費をかけて育てられた私達は、それ以上の成果を国にもたらし続けなければならない。それなのにママは、自分にかけられたお金をドブに捨てた。だからママは、一般国民以上に養護院に送る子供を作る仕事を頑張らなくてはならなくなった。

 あの、お腹が大きくなる病は、子供を作る仕事をしていると患いやすい病気で、一般国民の大人の女性達は、大抵、恋人と呼ばれるパートナーと一緒にこの副業をしていて、病気に罹ると本業も退職しなければらない。でも、ママは、里親に愛された子供だったので、パピーウォーカーとしてのパパのパートナーに選ばれ、完治すれば私のママの仕事に復職する事ができていたのだそうだ。

 ママがママであったのがお仕事であったのだと聞いた時は、なんだかとても哀しい気持ちになったけれど、ママは本当に私を愛してくれていた。私の名前を呼びながら、抱きしめてくれたママに偽りはなかった。

 私は、自分がいかに幸運な子供であったかを知った。

 10年はあっという間。全ての試験に合格した私は、明日には外に出て王都へと出発する。用意された寮に入って、愛を知らない可哀想な一般国民を導く中枢の仕事の実地訓練が始まる。上級国民になった後も、国益にかなわなければ失敗作とみなされ、子供を作る仕事に就かされる。そうなれば、ママやメイドさん達みたいにお腹が大きくなる病気にかかっちゃうと思うから、そうならないように頑張らなくっちゃ。

 『おうち時間』は今日でおしまい。



─ 完 ─

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