幕間

 おそらく私は死んだのだと認識するには十分な時間があった。

 街を彷徨っても身体を擦り抜けるだけで誰も気にもとめない。

 時折小さな子供と視線がかち合いわずかに灯った希望は号泣され掻き消える始末でほとほと困り果て道端に座り込んで行き交う人の波を見送っているとその波間で向かいにいるなにかが目に留まった。

 上半身が黒焦げたおそらく人間と思わしきそれは、店先に腰掛けて脚を投げ出してぼんやりとこちらを見る視線とかち合った。他とはちがった異質なそれはよくよく見ると店先のガラス張りの飾り棚に映る自身で、顔を顰めると同じようにこちらを睨んでいたことでそれが自分なのだと気が付いた。

 子供にやたら逃げられるのはこれか。

 遠目に見える自分でさえ目を背けるほどなのだから幼い子供にしてみれば恐怖でしかないな。

 どうしてこうなったのか記憶を辿ってみれば時間はかかったが自分が誰なのか思い出すことができた。

 あの日は確か奴隷売買の証拠を掴んで──。






 上官の男がすきではなかった。

 だから奴が奴隷売買に加担していると知ってからは仕事の傍ら詳細を探っていた。

 駄目だな、今の奴は。動きが鈍くて。と向かいに座る男にそう口にした時、壁を隔てた背後で人の気配がして同居人が帰ってきたことを理解した。

 彼女には政府の密偵を頼んでいた。

 戻る時間には遅く気にしてはいたが、なにか掴んだのかもしれない。

「奴隷は安いがすぐ壊れる。そうじゃないものを作らなければ」

 その言葉に奴隷商人の男は片眼鏡の奥で目を細めてにやついてさも楽しげに口を緩ませた。

「では、こちらで新しいのを手配しましょう。今いる奴は後日引き取りに参ります。それまではくれぐれも壊さないようにお願いしますよ」

「脆いのが悪い」

 本当は逃しているんだが。

「それはそれは失礼致しました。今後ともよしなに」

 今日でこいつと顔を合わせるのも最後かと思えば少しは話を合わせられた。

「頼んだぞ」

 男を見送ってから廊下の角に隠れていた少女に声をかける。

「報告はいい、支度をしろ」

 しばらく身を隠して、彼女にはそこにいてもらって。とこれからの段取りを頭の中で組み立てていく。

 いまいち状況を理解していないのかクロエはそこから動こうとしなかった。

「証拠は掴んだ。これで政府の重役連中も動くだろう。はやくしろ。ここは危険だ」

 立ち止まったまま動かない彼女を不審に思い声をかける。

「おい、しっかりしろ。はやく支度を────」

 屋敷の遠くの方で窓硝子が割れる音と銃声が轟いた。

「クソ、嗅ぎつけてきやがった」

 情報を探りすぎたか。

 いつかこうなるとは思っていたがと数秒考えて意識を目の前に向ける。

「お前は先に逃げろ」

 言葉を裂くように背後から破裂した壁が爆風を伴って辺りを包みこんだ。それでも目の前の彼女が生きていることに安堵して指示を出す。

「裏門からだ。辺りを警戒して逃げろ!いいな?」

 第一弾では収まらず第二第三とあたりに咆哮が轟き屋敷が揺れ、建物の前方からは部隊が配置に着く慌ただしい喧騒が聞こえだした。

 囲まれたか。

 自身の反応の鈍さに舌打ちをして踵を返す。

 砲弾が撃ち込まれ火の手が上がっているのが見えていた。

 くそ。

 煙を吸い込まないよう身をかがめて口元を抑え屋敷内を歩く。

 手加減なしか。

 政府には能力に特化した陣営で編成された部隊が存在する。

 その内のひとつが暗殺特別部隊。

 その名の通り人を殺すことに特化しているわけで、覚えている限りでは自身が率いる部隊だった。

 銃弾で壁には銃弾の穴がいくつもできていく。

 砲弾は止むことなく屋敷が燃えゆく中を追い立てられるように屋敷の外から藪に入り込んだ。

 あらかじめ集まる場所を頭に書き起こしていく。

 クロエも無事に逃げられただろうか。と立ち止まったところを銃弾に追い立てられる。

「ハロルド!」

 私の名前を呼んだそいつは以前顔を合わせた程度の男だった。

 手には部隊専用の銃を持っていた。

 ここまでか。

 こいつに殺されるならまあそう悪くはないかと両手を上げ降参を告げる。

 こちらの覚悟とはちがい「逃げろ」と男は言った。

「だが」

「いいから行け。俺はどうとでもできる」






 あの後結局ちがう部隊に見つかって殺されたんだったな。

 あいつ、上官に怒られなかっただろうか。

 昔の自分を写したような新人に短い笑いがもれる。

 死んだらどうなるのだろう。と考えたことはあったがまさか街を漂うことになるとは思わなかった。

 これは一体どういった状況なのだろう。

 ため息を吐いて瞼を上げたところで弾んだ声と共に体の中を通り抜けていく気持ち悪さが襲ってきた。

「……どうしたんだ? ドレスを買うんだろう?」

 声のした頭上を仰ぐ。

「……いい。我慢する」

 心配そうに少女の名前を呼ぶ父親と思わしき男が、頑なに動こうとしない少女に困惑して俺の頭の上でため息を漏らしていた。

 顔を真正面に戻すと身なりを可愛らしく整えた少女が唇を固く引き結んで顔を俯かせていた。

 名前を呼ぶ父親の声に顔を上げた少女は目を合わそうとしない。

 泣かれないだけましか。

 現状頭が半分吹き飛んでいるのだから。

「すまない。君を怖がらせるつもりはなかった。私はここを退こう。父親との時間を邪魔してすまない。好きにドレスを新調するといい」

 するりと場所を開けて少女の通れる道を譲る。

 ありがとう。と遠慮がちに背中にかかった声はすでにベルを鳴らした扉の向こうへと消えていた。

 それは存在を認められたような気がして、少しだけ、まだここにいてもいいような気がした。

 ふと、彼女は、無事に逃げられただろうかと疑問が浮かんだ。

 少しくらい見に行ってもバチは当たらないだろう。

 だって俺は死んだんだから。

 最期を迎えてもなお思ったのはクロエのことだった。






 昔、まだ士官学校に通っていた頃。

 ひとりの女と会ったことを空を漂いながらふと思い出していた。

 年老いて見えるからと嫌っていた銀髪を背中に流して少しばかり釣り上がった猫目は綺麗に化粧が施され、見つめられると思わず背筋が伸びたものだ。

「お前さんがそうしたいならあたしはなにも言わないよ」

 ぴしゃりと静かにそう言って背筋の伸びた姿は彼女の性格をよく表していた。

 結婚の約束をした彼女の名前はロンシェといった大層気の強い女で私が辞令について口にした時もさして気にしていないようでお茶を啜っていた。

 彼女はあまり華美なものを好まず、どちらかといえばこうしてお茶を飲みながら話をすることを好んでいるようだった。

「ただ、あたしはここを離れるわけにはいかない。それはわかっているだろう?」

 春を売る街に居を構える彼女の齢から言って身請けを考えてもいいはずだ。

 私だってそれなりの地位も築いた。

 これで楼主も私たちのことを許してくださるはずだ。

 いくつもの縁談を断り彼女との愛を育んで同じ季節を数回ほど巡った春先に辞令が下った。

 それを彼女に伝えると返ってきたのが先ほどの言葉というわけだ。

「ロンシェ」私の帰りを待っていてくれるか?

 続く言葉は彼女の言葉によって遮られた。

「あたしは、ここであんたが帰ってくるのを待つ。話はそれからだ」

「すぐ戻る」

 はいはい。と相手にはしてくれなかったが彼女は照れると耳を赤くして興味がないと装っているのを私は知っていた。彼女にそのことを教えたことはないが。

「ああ、これを持っていきな」

 お茶を飲み干して席を立った背中にかかる声。

「……これは?」

「あたしの故郷では旅人にランタンを送る風習がある」

「そうか」

「せいぜいしぶとく生き延びるんだね。あたしの対価は高くつくよ。覚悟しな」

「ああ」






 あれから、どれくらい経っただろう。

 彼女は今頃幸せに暮らせているだろうか。

 縁談が持ち上がっていると風の噂で耳にしたが最後に送られてきた文の返事はずいぶん前にしたためて結局出すことはなかった。

 自身の現状を知ったら怒られそうだと彼女から意識を目の前に戻す。

 だいぶ飛んだな。

 奴隷の収容所と目をつけていた建物は一般的には孤児院と呼ばれていた。

 政府が経営していることから軍や教会の牧師が主に携わっていると聞く。

 身寄りのない子供や一時的に預けられた子供が集まって集団生活を送っている孤児院の中で、時折子供が消えることがあったがそれは特定の孤児院ではなかったのでよくある家出として事件化することなく片付けられていた。

 それに目をつけたのはクロエだった。

 彼女はもともと孤児院の出だったため内情をよく把握していたのだ。

 だからまず、寝床と食事がもらえる孤児院から家出をすることはごく稀で、それが立て続けに起きているならばなにかしら問題があるかもしれないとのことだった。

 最期に頼んでいた調査はここだった。

 タイミングからしてこの孤児院が絡んでいるのはまちがいないだろう。






 壁や床を通り抜けてここに辿り着くまでにわかったがこの孤児院は上がったり下がったりで少しばかり特殊な構造をしていた。

 奴隷を収容している場所ということで脱走防止のために入り組んだ造りにしてあるのだろう。まあ私には意味をなさないが。

 壁から頭を生やして誰かいないかと周囲に目をやると軍服を着たそれなりの役職についていそうな男が目に入った。

 すまないが身体を借りる。と意味もなく身体の主に語りかけて入っていく。

 この孤児院にいる時点ですまないもないが。

「おい」

 動かしにくいな。

「おい」

 以前よりも地面が近く、遠近感が掴みにくいことからよろけて壁に手をついたところで近くに人の気配を感じ振り返る。

 見覚えのある風貌の男からは、なにをやってるんだ。とうろんげな視線を向けられ肝を冷やした。

「少し躓いてしまって」笑って誤魔化せば「これだから最近の若いのは軟弱で困る」と悪態を吐いてから踵を返し振り返ると「はやく来い」と顎で指示を出した。

「はっ」

 どうやら近い関係の人間だったようだ。

 男の胸には略綬が並んでいた。以前見た時よりもだいぶ増えていることに目がいく。

 いったいいくつ功績を奪ったのやら。

「そういえば先日入った奴隷はどうなりました?」

「……ああ。あれなら地下の奴隷収容所だ」

「教会の地下に奴隷収容所が?」

 お前が入る前の話だ。と前置いてから男は口を開いた。

「孤児院から実験体の提供を提携していたのだが、ひとり私に従わない奴がいてなぁ」

 実験体の言葉に奥歯を噛み締める力が強くなった。

「私の地位を危うくした奴だったが、うまく部下に罪をなすりつけて殺した。ただそれだけの話だ」

 ただ、それだけ?

「それ以降は地下に収容するようにしている。いざという時にも片付けやすいからな。この教会にしたのは正解だったなぁ。ここには地下がある」

 あれが、お前の保身のためだけに行われたというのか。

「おい、聞いているのか」

 部下に殺人をさせてのうのうと生き続けるこの男こそ今この場で、私の手で消すべきではないだろうか。いや、然るべき部署に対応を要請した方がいいか。そんな部署があるのか? やはり私の手で。と考えているとわりと近くから怒号が飛んで意識を戻すと目を細め怒りを仄かに含んだ瞳に「し、失礼しました!」背を伸ばす。

「まあいい。次の搬入日についてだが、君が行きたまえ」

 気を抜いたら男に剣先を差し込みそうで「……私が、ですか」注意深く抑えた口調で口を開く。

「ああそうだ。従わない奴は殺せばいい。実験体などまた見つかる。そうだろう?」

 それには答えずに、作り笑いを浮かべるにとどまった。

「もういいぞ、下がれ」






 あの男の言う通り地下に降りていくと階段の終わりには石造りの壁を抉り取ったような粗末な一画に鉄格子を嵌めただけの牢屋のようなものが姿を表した。

 光が差さないため蝋燭の明かりに頼るためそれがクロエだと気づくには少し時間を用いた。

 もともと儚く華奢だった細い体躯がより一層痩せ細っていて目が当てられなかった。

 壁の隅で壁にめり込むようにしていてそのめずらしい栗色の頭髪が無ければ通り過ぎているところだった。

 まさか死んではいないよな。

 あまりに動かないため声をかけるも反応はない。

 男から抜け出して彼女へと近づくと、浅くはあったが規則的な呼吸音が聞こえ胸を撫で下ろす。

 後ろでは「あれ、なんで俺ここにいるんだ?」と男の声が上がりこちらへ一声かけると足音は遠ざかって行った。

 うるっさいなぁ。と悪態を吐いた掠れた声が耳に届いた。

 前のめりに傾いていた上体を起こし伸びをすると金属のぶつかる甲高い音が地面を転がった。

 なにを大切に抱え込んでいたのかと思ったら。

 それはランタンだった。

 ガラスを貼り合わせた中心部に光を灯せるだけの古めかしいランタン。

 それは、昔、大切な人に貰ったものだった。

 未練がましく部屋の隅に置いていたのを思い出す。

 なぜ彼女がそれを持ってきたのかはわからないが器にはちょうどいいか。

 彼女が抱えたランタンに体を押し込めるイメージで入ると視点がだいぶ近づいていた。

「おい」

 思ったよりもザラついた声が言葉に乗っていた。

 突然の声にクロエは戸惑って目だけを動かしあたりをキョロキョロとうかがっている。

「ここだここ」

「……きゃっ」

 声を折った先で抱きかかえたものが話していることに気づいたのかクロエがランタンから手を離したところで爪先に当たり地面を弾んで転がった。

「痛えだろうが。俺を蹴るんじゃねぇ」

 ランタンに付いた錆のような声が響く。

「……まさかそんなことはないと思うけど、今私に話しかけているのは、あなた?」

「ああ俺だ」

 ああ。私ついにおかしくなっちゃったのね。ランタンが話すなんてありえない。と現実を受け入れがたいのか目が空を彷徨っている。

「世界にはお前の見たことがないものはたくさんある。ランタンだって話すさ。お前が見ている世界がひとつだけとは限らないからな」

「……それ、どういう意味?」

「お前をここから出してやる」

「なにその上から目線。ランタンのくせに生意気」

「そのかわり俺を連れて行け」

「……どうして私が」

「見たところお前はここから出れなくて困っているんだろう。俺なら出してやれる」

「ランタンなのにどうしてわかるの。出れないのはあなたも同じじゃない」

「俺はひとりでは動けない。だから俺を連れていけ」

「……嫌だ」

「ああ?なにごねてんだ」

「だってもしかしたらハルもここに来るかもしれないもん」

 クロエの言葉を受けて次にかける言葉が出てこなかった。

 そんな日が来ることがないことは私自身が一番わかっていた。

 私には会いに行けるだけの身体がない。

「ハルが誰だか知らねえが、お前は待っているだけなのか?お前には会いに行けるだけの身体があるだろう。不安なら俺がお前の手足となろう」

「……手足なんてないじゃない」

「ばーか。お前より長く生きてるんだ。知識量がちがう」

「……ふぅん」

「はやくここから出ようぜ。いいかげんケツが錆びつきそうだ」

 仕方がないなぁ。とこぼしたクロエによって視界が高くなった。

「あなた名前は?」

「は?」

「名前。呼ぶ時困るじゃない」

 ハル。

 以前そう読んでいた彼女に覗き込まれた水色の瞳に映る自身に考えを振り払う。

「名前、ないの?」

 考えた末にあるひとつの名前が浮かんだ。

「ヴェジー」

「ヴェジー?」

「ああ」

「私はクロエ。よろしくね、ヴェジー」

「おう」

 ヴェジー。

 それは昔呼ばれていた故郷の名前だった。

 そしてそれはもう決して呼ばれることのないものだった。






「嫌だ」

 地下から伸びた避難道路には幾重かの地下の採掘場や地下水路が暗く伸びていた。

 そこから出ることを提案するとクロエが足を止めた。

「わがまま言うな。ここしか抜け道はない。確かに少しばかし汚れてはいるだろうが服なんざまた買えばいいだろう。さっさと入れ」

「ちがうの。そうじゃなくて」

「じゃあなんだ」

「他の子も助けたい、んだけれど。だめかな」

 上目遣いを含んだ声とこちらに意見を求めるクロエの声にため息を吐く。

「……わぁったよ。協力すればいいんだろ。協力すりゃあ」

「ありがとう」

「見当はついているのか?」

「だいたいは。私より先にいた子が教えてくれたから」

 クロエの話からできる限り先を読んで指示を出す。

「待ってろ」

 ランタンから抜け出して看守の男に乗り移ると鍵を壁にかけて踵を返し出て行く。

 ランタンに戻って「ほら、今だ」「うん」クロエに指示を出して再びランタンから抜け出すと私は看守が戻ってこないか見張っていることにした。

 幸いクロエには私が見えていないらしい。

 いくつかの鉄格子が区分けされていた。

 ちらりと振り返るとちゃんとした食事を与えられているのか比較的元気そうではあったことに安堵する。

「逃げて!」

 これならどうにかなりそうだ。






 偶然にも弾薬庫から火が上がり、要塞は火の海に飲まれ、運良く負傷者は出なかったが、たまたま奴隷売買の帳簿がたまたま新聞記者に流れたがそれもいつの間にか記事からは消えていた。

 火災。

 見出しには先日逃げ出した奴隷収容施設のことは一切記載されていることはなく、隅の方に小さい記事が数行書き込まれているだけだった。

 行方不明者保護。親元へ帰還。

「ねぇ、これ事実とちがうんだけど」

「政府なんてそんなもんだ」

 ふぅん。と冷めたような歳不相応な相槌が続く。

「それで? お前はこれからどこにいくんだ」

「わからない。でも、ハルに会いたい」

「……会ってどうするんだ。死んでたらどうする」

「その時はその時だよ」

 どうしたものかと思った。

 まあ長い旅の中で考えればいいかと考えることを半ば放棄した。

「ヴェジーはさあ、なんでランタンに入ってるの?」

「入ってるって」

「だってランタンが話すなんておかしいでしょ」

「ランタンだって話したい時は話すだろう」

「そうかなぁ」

「そうだ」

 我ながら苦しい言い訳だった。

「ふぅん」

 曖昧な相槌を打った彼女はそれ以上追求することはなかった。

「ねえ、ヴェジー。ハルに会いにいくついでにどうせなら同じように困ってる人を助けちゃ駄目かなぁ」

 こちらに意見を求められ彼女の中に私がいることに胸が弾む。

「じゃあ船に乗るか」

「船?」

「この国にいたら捕まる可能性が高いだろ。大陸を渡ろうぜ」

「でも、私、怪しまれない?」

「そんなのはおばあちゃんに会いに行きます。とかもっともらしいこと言っとけば良くしてくれる。まずは金だな」

「私、盗みは嫌だからね」

「そんなことさせるか。俺の金を隠している場所を教える」

「悪いお金じゃないでしょうね」

「俺が働いて貯めた金だ。心配するな」

 どう働くのよ。やっぱり入ってるんじゃない。と口にしたクロエの声を無視して隠し場所を頭に書き起こしていく。

 なにかあった時のためにとあちこちに隠しておいてよかった。まさか使う羽目になるとは思わなかったが。






 街のメインストリートに軒を連ねる中のわりと品のいい店は裕福な家によく服を売り歩くことを生業にしていた。

 そのため店もそれに見合った造りとなっており、少しばかり敷居は高い。

「ねえヴェジー」

「なんだ」

「本当にあのお店?」

「ああそうだ」

 クロエが寄越す疑わしい視線を振り払って「いいか。今から言う通りに答えろ」店に入るように指示を出す。

 クロエが躊躇うのはそういった理由からだろう。

 扉を潜るとベルが鳴り奥から店主が顔を出した。

「今日は良い天気だな。ひとりで旅行かい」

 服屋にしてはガタイのいい屈強そうな男で、意外そうにやや目を丸くしてから人好きのする笑みを貼り付けて口を開いた。

「ええ。おばあちゃんに会いに。でも私には帽子があるもの。それにハロルドと一緒だから怖くないわ」

 店主がちらりとこちらに目線を送ってきたような気がしたが無視をした。

「ほぉ。そうか」

 顎髭を撫で考えるような仕草をした。

「104の5をお願い」

「嬢ちゃん、来る店を間違えたんじゃねえか?」

「いいえ。合っているはずよ」

 たっぷりと間をとってから、店主は身を翻した。

「付いてきな」

 店の奥のトイレに入り入ってきた扉を二階叩く。それから再び扉を開くと、そこは祭壇へと繋がっていた。

「え、どうして、さっきは確かに」

 クロエはランタンを抱き寄せてきつく抱きしめたからか視界が高くなる。

「嬢ちゃんこの店は初めてかい?この建物はちっとばかし特殊な造りをしていてな。鉱石同士だといろんなところに飛べるようになっているんだがどうやらその様子だとハロルドはなにも言わなかったらしいな」

「ええまったく」

 厳かな礼拝堂。

 振り返ればそれは告解室であたりに視線を彷徨わせていた。

「そう心配するな。ここは政府連中は知らねぇよ」

「あなた、知ってるの?」

「さあ、なんの話だ」

「ワイアット!」

 礼拝堂に声が響く。

「貴様こんな子供を連れて来やがって今度は何をやりやがった」

 神経質そうな声が詰め寄りワイアットと呼ばれた男は焦り出す。

「ちげえよ。これは客だ客」

 神職にしてはずいぶん口の悪い人だとも言いたげなクロエの顔。

「その顔に見覚えがないが」

「ハロルドだ。あいつが寄越したんだろう」

「なぜハロルドは来ない」

「嬢ちゃん、ハロルドとはどういった関係なんだ。ここに来たってことはそれなりの関係があるんだろう。奴はどうしてる」

 こちらの沈黙をどう受け取ったのか、そうか。と一言もらしただけでそれ以上なにかを口にすることはなかった。

「アルバート、嬢ちゃんを案内してやれ」



 ∽



「名はなんと言う」

「クロエ」

「クロエ、私について来なさい」

 神職らしい口調で踵を返した男の後へついて歩く。

 礼拝堂にはキャンドルが灯っていたからか、石造りの教会は礼拝堂を離れると少し肌寒くクロエは手に持ったランタンを抱きしめた。

 案内を受けた神官室は鼻の奥を刺す消毒薬のにおいがした。

「このランタンは預かろう」

「え」

「客は君だけじゃない。万が一なにかあれば私が困る」

 木製の扉の施錠を外した先の書庫の本棚の一画の床の石畳のひとつを踏み込むと壁の向こうで栓が外れるような重い音とともにゆっくりと壁が暗闇へと吸い込まれていった。

 電球が等間隔に灯され最奥には壁一面に仕切りが設けられそのひとつを引き出す。

 お札の束をすべてポケットに入れていく。



 ∽



 渋々彼女の手を離れたランタンから抜け出し彼女の後へと着いていく。

 礼拝堂から神官室を横切り奥へと進もうとしたところで体が後ろへと引っ張られ、本来脚があるはずの場所はアルバートに掴まれていた。

「で? ハロルド。お前はなぜその姿になっている」

 しっかりと視線が重なった。

 その言葉が自身に向けられたものとは思えず、固まっていた。

「……俺がわかるのか?」

「当然だろう。私は神職だ」

「……あれ、本当だったのか」

「人を詐欺師のような目で見るな。それよりもなぜそんなことになっているか話せ」

「人身売買を解体しようとしたら上官に罪を着せられ挙句に殺された」

「さっきの子とはどういった関係だ」

「クロエは、助けたうちのひとりだ」

「あの子は知っているのか?」

「いや」

「だからあれほどやめろと言っていただろう」

「ハロルド、これからどうするつもりだ?」

「あー、まあ」

「考えていないんだな」

「まさか死ぬとは思わなかったからな」

「まったくどうしてこうお前もワイアットも問題を抱え込むのか」

 アルバートは顔に手を当てて酷く震えたため息を吐き出していた。

 あのぅ。

 クロエの遠慮がちな声がかかる。

「……ああ、要は済んだか」

「はい」

 ワイアットとともに告解室から店へと戻る。

「嬢ちゃん、なにか困ったことがあったら連絡してくれ」

「ありがとうございます」





「いい人だったね」

「べつに普通だろ」

「……ヴェジーなんか怒ってる?」

 そう言われて自身の感情にひときわ心臓が大きく脈打った。

 いや、これは家族としての、そう。保護者としてのあれであって、そう。クロエは私の娘みたいなもので。

「ねえ聞いてる?」

 言い訳めいた感情は余計に物事を際立たせていく。

「うわあ、なんだびっくりするだろう」

「ヴェジーが話を聞かないからよ」

「あんまり動かすな。酔うだろう。で、なんだって?」

「ヴェジーは、そばにいてくれる?」

 意を決したような上目遣いに瞬きを繰り返すもののこちらの心情などクロエにわかるはずもなく静かに口を開いた。

「お前はそばにいてくれる人が欲しいのか」

「え」

「馬鹿だな。ひとりで生きられるくらいの覚悟をしろ。まあ、それまでは一緒にいてやるよ。ガキにはこの話ははやいか」

「子供じゃないもん」

「そういうこという奴は総じてガキなんだよ。そんなことより腹減らねえか?なにか食おうぜ」

「ランタンのくせに食べられるの?」

「うるせぇな。これは比喩だ比喩」

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