第3話 黒い魔女

「魔女に幸多からんことを」

 背中へと向けられた言葉はこの時期になるとよく耳にする。

「花なんて買ってどうするんだ。そんなもので腹は膨れないぞ」

「ちょっと寄る所があるの」

 綺麗に施された花束を受け取り店を後にして人で溢れた通りを慣れた足取りで歩く。

 春の始まりの日。

 今日は魔女が討たれた日といわれている。

 この時期になると街には彩り豊かな花が溢れかえり通りを歩けばいたるところで花束を配る人たちとすれちがう。

 先の大戦が激化し国が滅び痩せた大地に降り立ったひとりの魔女が大地に水を湧かせ山々を緑で覆いつくし、生き残った人たちは実った果物により飢えを凌ぎこの地に根を下ろしたと言われている。やがて戦争を生き延びた人々が集まり港町からのルートも確保され資源が豊富に満たされやがて街へと発展していったのがこの国の始まりと言われていたが情報を聞きつけた政府が緘口令と情報統制を行ったことで事実を知るものは当時子供だった高齢者たちのみとなっていた。

 国の中枢が陣取ってはいたが、先祖が始めた風習は受け継がれ今日まで続いているようだ。

 この街はその昔魔女に支配されていたらしい。

 背鰭尾鰭が付いてはいるもののこの日は花を魔女に捧げる。そうする事で街を守ってもらえると言われているらしいがこれを好機とばかりに好意を寄せる相手に花束を渡す人もいるとかいないとか。首都にハルと住んでいた時に訊いた話だったと思う。もうずいぶん前になるのかもしれない。住んでいたといっても街並みは以前とはすっかりと変わっていた。時計塔を右に曲がると表通りに出る。そこをひたすらまっすぐ進むとやがて人通りはなくなりそれでも路地をひたすら進んでいくとやがて小高い丘に出た。見慣れたはずの屋敷はもうそこにはなく、不恰好に半分だけ残って剥がれた壁からは木から芽吹いた枝先からは花が咲き、以前来た時よりもだいぶ風化して崩壊が進んでいた。

 ハルは犯罪を犯したという。

 だから殺された。

 政府関係者でありながら葬儀は行われずましてや墓など建てられもしない。

 首都は生前ハルが暮らしていた場所だった。

 おそらく、あの襲撃の日に死んだのだろう。

 首都には少なからず思い出もある。

 だから正直なところ私もあまり来たくはなかった。

 まあそれを言ったところでエリックを傷つけるだけであって、ハルが死んでしまった今口に出してもどうしようもない話なのは分かっていた。

 だから少しだけ、以前住んでいた屋敷を見に行けたらいい。そう思ったのに。こうして目にすると死んでしまったことを再確認して改めて一人だということを痛感してしまう。

 ごめんね、ハル。

「……これは、なんだ」

 ヴェジーが戸惑うのも無理はないかもしれない。

「墓標だよ」

 私は、私だけはわかっていた。主人はそんな事をする人じゃない。けれど公にお墓も建ててあげられない。それは主人のすべてを否定されたようでそれではあまりにも悲しすぎた。だから拝借した墓標となる石をいくつか削って名前を刻んでとうぶんのお墓にすることにした。するといつからか花が供えられるようになっていた。それがクロエにとっては少しの支えだった。

 粗末なものだったけれど、それでもクロエはこの墓標を気に入っていた。

 私以外にも彼を思っていてくれる人がいる。そのことが心強かった。

「……お前が?」

「うん」

「……そうか」

「なにしんみりしてるの、私にはヴェジーがいるから大丈夫だってば」

 ヴェジーは何か言いたそうに黙っていたけれど努めて明るく振る舞うことで見て見ぬふりをした。

 政府の厄介者のいた屋敷なんて怖がって誰も手は出してこないのか屋敷は半分型燃え尽きずそのまま残っていた。以前よりもだいぶ風化は進んでいたけれど、足を踏み入れると記憶は鮮明に蘇る。

「だから、先に寝ていて構わないといっただろう」そういって困ったように笑うハルといるのは嫌いじゃなかった。

 軋む廊下を右に折れた突き当たりの部屋が彼がいつもこもっていた書斎だった。

 書斎の書類の山に埋もれるように昼夜を問わず仕事をしていた。

 元は軍人だった。

 奴隷として引き取られたはずが衣食住を与えられ気がつけば共に仕事をしていた。

 生活していける術はすべて教えてもらった。

「クロエ……」ヴェジーが遠慮がちに名前を呼ぶ。

 ふたりで旅をするようになって、ハルはもう死んでしまったのだろうと思った。

 もし彼が生きていたなら私を探したはずだから。

 変に確信めいた自信があった。

「ハルは私を助けたから死んじゃったのかな」ぽつりと漏れた声は静まり返った部屋によく通った。

 ただ、ひとつもれると、とどまることを知らない。

「私があの時、あの瞬間にハルに報告していれば」

「……お前のせいじゃない」

「ヴェジーはなにがあったか知らないでしょう?」

 あとから知ったのは、ハルは奴隷商壊滅に動いていたことだった。

「どうして私だけ生きてるんだろう。どうせならあの時一緒に死ねたならよかったのに」

「クロエ!」

 酷くしわがれた声が怒号となって声をかき消した。

 そこで、自身の口にしたことがどんなに酷いものかを理解した。でもたぶんヴェジーはそのことを指しているんじゃなくて私がくちにしたことを怒っているのだと思った。

「もう言うな」

「……ごめん」

「帰ろう」

「……うん」



 ∽



 街の情報網を握っているのは政府の高官相手に商売をしている職業と言えば大方どの街も同じものだった。それを取り仕切っている楼主は妙齢の老婆でどうやら健在だったらしい。

 こちらの顔を見るなり目を見張り「なんだいお前さんまだ生きていたのかい」と言っていたがそれは俺にとっても同じものだった。

「で? 今回はどうしたんだい」

「政府について知りたいんだけど知ってる奴教えてくれる?」

「高くつくよ」

「ああ」

「……そうさね、いまだったら裏の通りで客引きをしているはずだよ。行ってみな」

 礼を述べて身を翻した時声がかかった。

「そうだ、情報ついでに。夜の裏通りはうろつくんじゃあないよ」

「なにいまさらそんなの俺は、」

「お前さんじゃあないよ。女の子がいるんだろう。気をつけな」

 どこまで知ってるんだこの婆さんはと思っていると口の端で銜えた煙管から吸い込んだ煙を吐き出して「ほれはやく行きな客商売の邪魔だよ」というと奥に引っ込み番台には最初から誰もいないような静けさだった。






「ねえ、そこのおにいさん、今夜私とどうかしら?」

 楼館の裏の通りでは等間隔に並んだ街灯のもと女が数人立って通り過ぎる男に声をかける格好の狩場となっていた。そのうちのめぼしい女に声をかける。

「ああ」

 近くの路地に連れ込み彼女が取り出した煙草にライターで火をつけた。

「それで? なにを知りたいの」

「政府について。直近の動きについて知りたい」

「……ずいぶんと厄介なものに手を出すわねぇ」

 煙草のにおいに混じって甘いにおいが鼻をついた。

「まあ、そうね。私が知っているのは、政府の連中が子供を集めてるってことかしら」

「……子供?」

「ええ。結構な数を集めているみたいよ? おそらくどこかに監禁してるんじゃないかしらねぇ」

 間延びした声には似つかわしくない言葉はそれ以上話すつもりはないらしく、早々に掌を差し出してきた。

「おにいさんかっこいいから特別に安くしといてあげる」

「……どうも」情報を聞き出して数枚の紙幣を渡す。

 愛想もへったくれもない返事をしてその場をはなれた。はなれたが、はなれた先に見たことのある顔と目があってぱちくりと開かれた目に見られて足が止まった。

「クロエ、お前ここでなにをやって」

 途端に感情を押し殺したような顔になって、あ、これなんか勘違いされてる。ということに行き当たった。

 そこでなぜか居心地が悪くなっていつもはまわる口がもごついているうちにクロエは踵を返して人混みに紛れて行き、どうしてかすぐには後を追えなかった。



 ∽



 クロエでもその意味を知っていた。

 お金で艶やかな女の人を買う。そういうところはこの街にもいくつか点在していたしべつにエリックが何をしていようとクロエには関係のない話であってそれをどうこうする関係性でもないわけで……。

 そこまで考えて、どうして自分はこんなに取り繕っているんだろうと馬鹿らしく思えたもののそれと同時に胸がチクリと痛んでいるのが引っかかっていた。

 理由はわからないけれどあの場にいてはいけないような気がして引き返していた。

「クロエ、いいのか」

「なにが」

「何がってお前」

 煮え切らない言葉だったが意味は分かった。わかったけれどあえて無視した。いまは聞きたくなかった。

「それよりお腹空かない?」






 陽はだいぶ傾きかけて昼と夜の色があいまいになって道の端では明かりを灯しはじめた露店が観光客をカモに商売を始めていた。サウスポートとはちがい春に入り始めてはいてもこの時間帯はまだ寒い。

「はぁ……」

 人混みに紛れれば少しだけ楽になるかと思ったのに、それは次第に重石になってホテルに帰る足取りを重くするだけだった。

 こんなことになるなら大人しく帰ればよかった。

 遠くの方であまりよろしくない怒号が飛び交って思わず身が竦んだ。

「灯りをつけろ」私に聞こえるだけの低い声でヴェジーは指示を出した。

 摘みを回すと暖かさを含んだ黄色い灯りが辺りを包んでいく。

「大丈夫か」

「うん」

 もう帰った方がいいのかもしれない。

 ランタンが辺りを照らすくらいには陽が落ちていた。

 今からが稼ぎ時のはずの露店もこの時期には店仕舞いを終えて、通りは街灯が照らすだけになっていた。

 なんだっけ。

 確か街にでちゃいけないんだった気がする。

 魔女がどうとかって。

 魔女がいた話は聞いた覚えがあるけどどうして魔女がいたのかは聞いたことがない。

 そのことが引っかかった。

 だから、少しだけ遠回りして帰ることにした。

 だってたぶんエリックはしばらく帰ってこないだろうしべつに私が帰らなくてもいいのではないかと思っていた。

「なあクロエ、帰らないのか」ヴェジーの宥めるような声は無視した。

 これまでだってひとりでやってきたのだから今更こわくなんてない。

 それに首都の入り組んだ街並みはエリックよりも自分の方が詳しいはずだ。

 少し遠くまで足を伸ばした時、路地の向こうの街灯の下でなにかが大きく揺れたように見えたが猫かなにか見間違えたのだろうと歩き続けていく。

 突き当たりの街灯にたどり着いたところで視界が真っ暗になった。

 なに、これ。

「あたしを目覚めさせたのはお前かい」

 ゆらりと影が脈打つように揺れておどろおどろしい声が轟いた。

「クロエよけろ!」

「……きゃああっ」

 青白い閃光が目の前を掠って驚いてたたらを踏んだら脚がもつれてバランスを崩し地面に尻餅をついていた。痛みから逃れるようにぎゅっと瞑った瞼を開けると影が体に覆い被さって足元から這い上がってくるのが見え立ち上がるのもそこそこに駆け出していく。

 あれはなに。どうしたら。

 訳もわからず追い立てられるように逃げていく。

 こわい。という不確かな感情が体を強張らせて足元をぐにゃりとふらつかせていく。正体不明のものが迫る恐怖にランタンが手から離れて地面を転がっていった。

「ヴェジー!」

 慌てて戻り手に取ったところに距離を詰める影。

 目の前には自身の何倍もの大きさの暗闇が広がっていた。

「馬鹿逃げろ!」

 ヴェジーの言葉にも立ち上がることができない。

「やだ、ハル、助け」

「おやぁ? さっきまでの威勢はどうした」

「……やだ、来ないで!」

 顔はないはずなのに影が笑ったような気がして背筋にざわりと悪寒が走る。楽しむようににじり寄る影に足は宙をかくだけで徐々に体を包んでいく。

 こわい。いやだ。

 その感情が頭をぐるぐるまわる。

「ヴェジー逃げてっ!」

「馬鹿野郎お前を置いて行けるかつ」

 せめてヴェジーだけでもとランタンを放り投げる。

 音を立てながら転がっていく様子に身体の力が抜けて目を瞑ったところでまるで陽が差したような明るさを瞼が捉えた。

「ぎゃあああっ」

 身体を引き裂かれたようなけたたましい悲鳴があがるその向こうで名前を呼ばれたような気がして瞼をあげて目だけで状況を確認すると影が光に切り裂かれ分散しているところだった。その光を辿ると頭上でランタンの明かりが灯っていてヴェジーと目があったような錯覚を覚える。

「……生きてるな。よし。いいか俺の話を聞け」

「ヴェジー? 今の、ヴェジーがやったの?」

「ああ」

 怪我の功名だな。と言ったランタンの一面の硝子が割れていることに気づく。

「お前が俺を投げたおかげだ。どうやらあれは光に弱いらしい」

 ランタンを放り投げた衝撃で摘みがまわり灯った光によって影を弱らせたらしい。

「クロエ、俺を引き寄せられるか」

 寝返りを打って腕を前に伸ばす。わずかにかかった紐を指に引っ掛けて引き寄せた。

 あったかい。

 明るい光が身体を包んで照らしていく。

 影が苦しむような声が光の合間から聞こえた。



 ∽



「おい、エリック!」

 いくつか情報を仕入れたところでそろそろ帰るかと足をホテルへと向けた先で知らない女に声をかけられて身構えたがその違和感のある口調には聞き覚えがあった。

「……ヴェジー、か? お前それどうやって」

「そんなことはどうでもいい。俺についてこい。クロエが危ない。助けろ」

「おい待て、クロエがどうして危ない目にあってるんだ。今日は春の始まりの日だぞ。危険性を知らないわけじゃないだろう」

「お前が他の女にうつつを抜かすからだ」

「なんで俺のせいになるんだ」

「あきらかにお前が悪い」

「どこをどうしたらそうなるんだ。なんでもかんでも俺のせいにするな」

 八つ当たり気味に突き放して跡をついていく。

「……クロエ! おい! 出てこい」

 確かにここにいたんだ。と辺りを見渡すヴェジーに声をかける。

「ヴェジー、上空から探すことは可能か?」

「……あ、ああ」

「今日はどこも明かりを消してる筈だ。動く明かりを見つけてくれるか」

 わかった。と頷いた途端にヴェジーが、ヴェジーの入っていた体が魂が抜けたように地面に倒れ込んだので道の端に寄せて壁にもたれかけて置いた。

 悪いけど急いでるんだ。すまない。

 謝罪を述べて踵を返す。

 手当たり次第に道を選んで進んでいくと、遠くの方で咆哮が轟いてその中心地へと向かう途中にヴェジーと合流する。

 たぶんヴェジーだと思う。

 ヴェジーは四足歩行の大きな真っ白い犬だった。

 まあ人など歩いているわけないか。

 先導して走る背中を追いかけていく。

「ここか?」

 ワン! とひと鳴きして答える犬を信じてついていくと、地下の一部で灯りがもれていた。

 見たところどうやら足を踏み外して出るに出れなくなったのだろう。

「クロエ」

 半泣きの少女が途端にくしゃりと顔を崩してしゃくり上げた口を真一文字にひき結んで表情を固くした。

「お前はなにに首を突っ込んだんだ」

「……わ、私はただ」クロエが口を開いた時、頭上で咆哮が轟いた。

「とりあえず話はここを抜け出してからだ。掴まれ」彼女の方へと手を伸ばす。

 掴んだ手は小さく華奢でいとも簡単に救い上げられたことがこわくなった。

 彼女は自分とは明らかにちがう。

 加える力をまちがえたら壊れてしまいそうでそのことが酷くこわく思ったが彼女はさほど気にしていないようで不思議そうに首を捻っていた。



 ∽



「だから言っただろ。少しは人の話を聞け」

「でも今までだって」

 引き上げてくれた手は大きくて力強くてあたたかくて思わず泣きそうになったところに叱られて思わず言い返したところぴしゃりと嗜められる。

「前もどんな目にあったか忘れたのか。お前は俺を殺す気か」

「私べつにエリックを殺す気なんて」

「言葉のあやだ。お前が死んだら俺がハロルドに殺される」

 エリックの口からその名前を聞くと思わなくて反論しようとした声が消えた。

「……ハルを知ってるの?」

 問いかければ居心地が悪そうにエリックは視線をずらしていた。

 頭上では影が両手を天に掲げてそこを中心に青白い閃光が降り注いで地鳴りのように地面が揺れ鈍い痺れが足へと伝わってくる。

「ねえ、あれって」

「なんてもんに手を出したんだお前は」

「あんなのが出るなんて聞いてない」

「普通は近づがないもんなんだ。やたらと首を突っ込むのなんとかしろよ」

「それはエリックだって同じじゃない!」

 どうして自分だけ責められないといけないのかクロエにはわからなかった。

「俺はなんとでもなる。お前はちがうだろ。少しは自分のことを考えろ」

「同じだよ。エリックだって怪我するくせに。少しは私のことを考えてよ!」

 まさかそんことを言われるとは思わなかったというような顔をして瞬いてから言葉に詰まっていた。それは私も同じだった。ついて出た言葉がそれだった。

「………………あーふたりとも。悪いが俺を助けるつもりはないのか?」

 下の方から取り残されたランタンが遠慮がちに声をかけてきてエリックがこれ幸いとばかりに瓦礫の中へと飛び降りていった。



 ∽



 いい空気だったなあ。と口角を上げたような声が飛んできて睨みつける。

「……あんた楽しんでるだろ」

「さあ」

 とぼけたランタンの声にむかついて付属の紐を振り回して上に放り投げた。

「うわっ」

「わっ」

 空中を回転してクロエとヴェジーの声が重なった。

 もう危ないよ。とランタンを掴んだらしいクロエの声が続く。

「なにすんだ丁重に扱え」

「悪い悪い手が滑った」



 ∽



 上空ではいまだ影の攻撃が止むことはなく続いていた。

 あちこちで瓦礫の崩れる音もする。

「どうしよう」

 こんな風になるなんて思いもしなかった。

 私のせいだ。

 悪いことをしてしまったと後悔していた。

 こんなことになるならしなければよかった。

 大人しくホテルに戻っていればよかった。

「どうしようってなにが」

「このままだと街が壊れちゃう」

 青白い閃光が黒いもやの集合体の頭上を中心に降り注ぎ瓦礫の崩れる音が振動し足裏から伝わってきていた。

「ああ、まあ、いいんじゃない。あのままでも」

「え」

「俺はお前を助けられたらあとは基本的にはべつにどうなってもいいし」

「酷い!」

 呆れたようなため息をひとつ。

「あのなぁ。こっちは慈善事業じゃないんだ。誰も彼も助けてられるか」

「でも」

「無責任なことしたのはどっちだ。これに懲りたらもう辞めるんだな。ほら、行くぞ」

 取り付く島はなくエリックに手を引かれ瓦礫の山を越えていく。

「なあ、クロエ」

「なに」

「お前、魔女の話は聞いたことなかったか?」

「あるよ。この街はその昔魔女に支配されていたんでしょ。そのことを忘れないようにこの日は花を街に飾って魔女に捧げる。そうする事で街を守ってもらえるんでしょ。それを忘れないように今でも春の始まりの日には街を花で飾るって」

 得意げに話せばヴェジーとエリックが目を合わせたような気がした。

「お前、あれの元を知ってるか?」

 エリックは影を指し示していたので首を振って答えた。

 あんなものは今まで見たことも聞いたこともない。

「この街にいた魔女の話くらい聞いたことがあるだろ」

 エリックの言葉に頷いた。

 この街で育ったなら誰だって聞いたことがあるはずだ。

「あれはほんとだ。魔女はいる」

 まああれはただの集合体にすぎないが。と付け加える。

 できればこういった面倒事にあんまり関わり合いたくないんだけど。

 正しいと思ったことが他の人にとっても等しいとは限らない。エリックはそれを身をもって嫌というほど理解していた。

 それなのにどうして俺はこんなことをしているんだろうな。と悲しげにため息を吐いていた。

「魔女はその昔、人間の男と結ばれたが魔女と人間ふたりの生きる時間はちがった。年老いた人間は事切れ、悲しみに暮れた魔女が流した涙が湖となりこの地の水路に流れている。それがこの街の成り立ちだ。水が豊富な場所は土が豊かに育ち食物が実る。だから年に一度それを魔女に捧げる。その日は魔女がこの街に現れるからだ」

「……えーっと、どこから突っ込めばいい?」

「これは空想でも神話でもない。事実だ。現実に魔女がいただろ」

「どこに」

「あれだ」

 エリックは影を指し示していた。

「私の知っている魔女とだいぶかけ離れているんだけど」

「お前はどこの魔女の話をしているのか知らないがこの街の魔女はあれだ。大人しくしていればまず人を襲うことはない。そうやって今まで共存してきたのにお前がうろつくから」

 呆れたようにため息をつかれたことにむっとした。

「私のせいだっていうの?」

「あんなのどう戦えっていうんだ」

「私でも戦えたんだからエリックも倒せるよ」

 何を言っているんだとエリックは訝しげに眉根を寄せていた。

「ランタンの灯りが効いたよ? ねえ、ヴェジー」

「ああ」

「あのう、よければ協力しましょうか」

 凛とした声を発したのは古めかしい背広を着た若い青年だった。気配がなく反応することはできず「すみません、驚かせましたか」と苦笑した青年に気づいたエリックに背中に押しやられ抗議の声をあげるもガンとして譲らない。

「彼女、私の言葉なら聞くと思います」

 腕越しに覗くと場違いに柔らかく微笑まれ思わずにへらと笑い返してから轟音で体勢を崩してエリックに引き寄せられた。

「大丈夫か」

「……う、うん」

 長い睫毛に縁取られた瞳の近さに戸惑う。

 背丈の違いからいつもはわからないが、エリックは無駄に顔が良くクロエは微妙に視線を泳がせていた。

「……クロエ?」

 考える間もなく、影が街を壊しながら近づいてきていた。

「猶予はなさそうですね。あなたたちはさがっていてください。私が彼女と話しましょう」

 青年は言い置いて、魔女が放つ青白い閃光の中心へと足を進めて行った。

「──アウローラ!」

 青年が影を呼んでいくと振り上げた手を止めてこちらを振り返ったような気がした。

「アウローラ、私を忘れたのかい。私だ。アポロンだ」

 アウローラと呼ばれた影は首を垂れて体の上部だけをのばして青年の前へとやってきた。

「アウローラ。私の可愛い人」

 声にならない呻き声を発する影に青年は迷わず手を伸ばした。

「あの時言ったじゃないか。必ず君のもとに戻ると」

「アウローラ。帰ろう」

「君は私が年老いても愛してくれただろう。私も同じさ。君がしわくちゃになっても私の君への愛が変わることはない。愛しているよアウローラ」

 青年が影に顔を寄せると黒い影は次第に小さくなりやがてひとりの女の子へと姿を変えた。

「本当に?」

 上目遣いで口をすぼめた姿はまるで小さな子供のようだった。

「ああ。私が嘘をついたことがあったかい?」

「いいえ」

「そうだろう」

 嬉しそうに笑みを浮かべる青年と頬を赤らめる少女は仲睦まじくみえた。

「人間の男、確か死んだんだよな」とランタンが口にする。

「ああ」

「じゃああいつはなんなんだ」

「さあ。案外あんたと近い存在なんじゃない?」

 やがて少女を連れた青年が戻ってきた。

「街を壊してごめんなさい。ちょっとはしゃぎすぎたみたい」

「アウローラ」

 嗜める青年を上目遣いで一瞥してから「仕方ないわね」といつの間にか握っていた杖を一振りすると時間が戻るように近くの瓦礫が修復していた。

「これで大丈夫なはずよ。あとはちょっと記憶をいじってと。よし、終わりー。ああそうだ。あなたも治してあげましょうか」

 思わぬ言葉が飛んできてクロエはランタンを見下ろした。

 アウローラは確かにランタンを見ていた。

「いいや。俺は案外この姿を気に入っているんでね」

「そう。じゃああたしがすることはないわね」

「すまなかった。彼女を許してくれ」

 青年がアウローラの代わりに謝るとふたりを風が包んで天高く消えていった。

「よかったの?ヴェジー」

「ああ。ランタンにもだいぶ馴染んできたしな。それにまだまだ俺が必要だろ?」

「べつにそこまでじゃないけど」

「なに言ってんださっきまで泣きべそかいていただろう」

「かいてない。ヴェジーこそ泣きべそかいてたんじゃない?」

 反論されないようにランタンの紐を指で回すと抗議の声が上がったところでエリックと視線が重なった。

「で? なんでお前はこんなところにいたんだ?」

「え?」

 思わぬ質問が飛んできて間の抜けた声が出た。

「それは」

 それは、エリックが女の人といたから帰りづらかったなんて自分でもよくわかっていない理由を口に出すのはちがうような気がして、だからといって代わりになるような言葉なく次第に視線は俯いて頭上からは呆れたようなため息が降ってきた。

「怪我は」

 頭をふって答える。

「じゃあいい」

 と前置いてから

「ただもうこういったことはしないでほしい」

 ぽつりともれたエリックのその言葉がクロエの胸に深く残っていた。

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