第4話 ヴェジーとロンシェ
住む場所を見つけたから。
エリックのその一言で連れて来られたのはいわゆる艶のある女の人が多く集まる、どちらかと言えば教育上眉を潜められる、そういういかがわしいお店だった。
朱色の高い塀に囲まれた造りの建物は昔本で見た東の国のそれに似ているとクロエは建物を見上げて思った。
「クロエ」
慣れた足取りで進むエリックはお店に着くなり「俺は話があるから」と言ってそれっきり他の人たちとどこかに行ってしまったので「あら、あなたあの時の」何気なく放った女性の言葉によってそれがどういった意味を指すのかわかってしまった。
化粧っ毛がなくなった顔からは愛嬌のある笑みを向けられて、ああ、そうかエリックはこういう顔が好みなのかと少し胸が苦しくなって、ただ「はい」としか答えられなかった。
俯いた先にいるランタンのヴェジーは先程から黙ったままでどこか不機嫌そうな空気をはらんでいる。
「安心してね。ここにいれば政府は手を出してこないわ」
「……それ、どういう意味ですか?」
そうですかと頷きかけてぽつりと疑問に思ったことをき返すとその女性は困った様な顔をした。
「あー……ごめんなさい、いまのは忘れて頂戴」
悲しげに眉を下げて申し訳なさそうに口にするその言葉にも胸がきゅっと痛んだ。
どうして、どうしてそれをエリック以外の人から聞かされなくちゃいけないんだろう。
そんな重要そうなことをこの人は聞いていて、どうして今の今まで一緒にいた自分にはなにも教えてくれないのかクロエは悲しく思った。
∽
「あんた、やっぱりばかでしょう」
そんな声がふってきて、話す相手をまちがえたのかもしれないとエリックは口元を引き結んだ。
「あの子まで連れてきてどうするのよ」
「いや、ここが一番安全だと思って」
「お金さえ払ってくれれば、あたしはべつにかまわないよ」
台座に座った老婆は言葉を割いて煙管の煙を吐き出し差し出した束を数え始めていた。
「楼主!」
「……トゥルリエッタ。あんたはあたしの商売にケチ付けるつもりかい? ちと干渉しすぎだよ」
楼主に睨まれればトゥルリエッタは黙るしかない。
「……で、エリック。あの子のことどう責任取るつもりなんだい」
「それは……」
「あんたに覚悟はあるのかい?」
そう詰められて、なんで俺が責められないといけないんだと思った。なんで俺の周りはつくづくこんな人間ばかりなんだ。無言をどう取られたのか楼主は盛大にため息をついた。
「あたしはあんたがどうなろうがどうだっていいんだよ。でもね一度迎え入れた客を死なせたとあっちゃあ名折れだよ。へたに首をつっこむんじゃないよ、若造。相手は政府なんだ。下手をすれば首が飛ぶ。お前にあの子を守っていけるだけの覚悟はあるのかって訊いているんだよ」
「……約束は、できない」
「このへたれ。お前はなにをやっているのかわかっているのか? あんたのごたごたにあの子を巻き込むんじゃないよ。けじめはつけな。そうじゃなきゃこの取引は無しにする。いいかい、わかったね」
楼主はもう話すことはないとばかりに煙管の煙を吸い込んでいくことに意識を向けていた。
「ねえ、あんたまさかここまで連れてきて何も話してないの?あんた、本当に馬鹿だったのね」
楼主は同意というようにそれ以上何も言ってこなかった。
∽
中庭を囲むように併設された建物を通り抜けて廊下を奥に進むとそれぞれの建物へとさらに廊下が伸びていてその中央にはひときわ大きい部屋があった。
「あれは楼主の部屋」
「……楼主?」聴き慣れない言葉に聞き返す。
「ここを束ねている人って言えばいいのかな。まあ、おっかない婆さんだよ」
「おっかなくて悪かったね」
いつからそこにいたのか深みを重ねた声に振り返ると白髪を束ねた年配の女性が立っていてその向こうでエリックがいるのが見えた。顔が見れてほっとしたのに目を逸らされた。
それは私がすることで、私は怒っていて、エリックは何も言ってくれないし、私だけ蚊帳の外だし、べつに私はそんな関係性もないけどこれは旅の同行者として心配してるわけで、その態度はあんまりじゃないかとクロエは思った。
「ひっ」
先程の愛らしい顔はどこにいったのか隣では顔を引きつらせて俯いていた。
「背後には気を張れと言っているだろう、お前はまだまだだね」
すみません。と申し訳なさそうに身を縮こまらせていた。
「あんたがクロエかい。あたしは楼主館の楼主、ロンシェだ」
突然の事に戸惑ってエリックの顔を見ると「そんな怯えなくても」堪えるように口の端で笑っていた。
おそるおそる手を差し出すと節くれだっていたけれど柔らかい小さな手に包み込まれてクロエはくすぐったい気持ちになった。
「話は聞いてるよ。よく頑張ったね。ここにいれば何も問題はない」
色んな感情がないまぜになって、心を撫でられたようなあたたかさに泣いてしまいそうだった。
「……ん? それをどこで」
「あ、えっとこれは」
ロンシェの視線の先に注目が集まった。
首から下げたランタンのヴェジーはさっきから黙ったまま。まるで、普通のランタンです。と言わんばかりに微動だにせずどうしたのかと思ったけれどヴェジーは普段からあまり人に知られたくない人だから仕方ないのかもしれないと思っていたけれど。
「あんた、もしかして……」
楼主は一旦押し黙ってそれから「それをくれた奴はどうしてる、元気でいるのかい?」と恐る恐る口にした。
「……死にました」たぶん。と心の中で付け加える。
「……そうかい」
「楼主?」
「いや、なんでもない。早く部屋に案内してやんな」用は済んだとばかりに楼主は背を向けて帰ってしまった。
「こちらですどうぞ」
さらに廊下を進んでいくと行き先を照らすように頭上にはランタンが連なっていた。時代年代が様々な色とりどりのランタンが目に留まった。それはヴェジー自身と似ていた。
「あれはランタンと言ってね、楼主の故郷では生きて帰って来れるように飾るんだって。楼主も乙女だよね」
楼主は誰か待っているのかもしれない。どこか自分と重なって見えて、クロエは話に耳を傾けていた。
「昔楼主は絶世の美女だったらしいよ。王に見初められたらしいんだけどそれを断ったんだって。かっこいいよね。なんでも生涯を誓い合った人がいたんだってさ」
華美なものはあまり好むほどではないけれど飾られたランタンのこの綺麗さは嫌いじゃないと思った。
「ヴェジー、なんで話さなかったの」
「いや、俺はべつに」
部屋に着いて問いかけるとようやく口を開いたヴェジーの歯切れの悪さは絶対なにかあった口ぶりだった。主に楼主と。
「それ、誰からもらった?」
めずらしくエリックが口を開いた。
「これはハルからもらったの。困ったことがあればこれを首に下げて歩けって」
「……ふぅん。ハル、ねえ」あからさまにエリックは含みを持たせた相槌をうった。
「いや、だってまさかここに来るとは思わないだろう」
その様子からヴェジーは首都に来るのを渋っていたのはここだったのかとなんとなく思った。
だからロンシェに「少しだけそのランタンを見せてくれるかい?」と頼まれた時「どうぞ」と渡すと嫌だと言わんばかりにランプが点滅していたがクロエは気づかないふりをして笑顔で見送った。
∽
「あんたも難儀な役目を背負い込んだもんだねぇ」
「借りを返させる前に死にやがって。まったくどいつもこいつもなんでそう生き急ぐのかねぇ」
「だから男ってやつは嫌いだよ、あとに残された奴なんてなんもできやしない」
「クロエだったか、あの子だろお前が言っていたのは」
「どうりで渋っていたわけだ」
終始黙っていたがクロエとの関係をロンシェにそう思われるのが嫌で「……いや、私はそういうわけでは」と思わず口をついて出てしまってから言葉を呑み込んだ。
「やあああぁっと口を開いたかい」
「……悪かったと思っているよ」
「あーお前さんのそういうのは聞き飽きたよ」
彼女は呆れたようにお茶を口に含んでこちらの話は聞いてくれそうになかった。
「ロンシェ」名前を呼ぶ。
「……わかってる。あんたは政府の人間だったからね」
「なんでお前は祝言をあげなかったんだ。縁談が来ていたはずだろう」
楼主館では祝言をあげれば引退する決まりになっていたはずだ。彼女の年齢で店に出ているなどあり得ない事だった。
「……ばかだね、そんなこともわからなかったのかい。あたしはあんたにすべてを捧げたんだよ」
「だが私は……」
「謝るのはよしな」
続く言葉はぴしゃりと跳ね除けられる。
「そんな顔をすることないだろう。あたしが生涯を共にしたいと思ったのは、あんただけだったよ。それが伝えられただけでじゅうぶんだ」
「……そう、か」
「それなのに、あんたはっ、なんでそんな姿になってんだ、いっ」
「……馬鹿だなあ。泣くことない。私はここにいるだろう?」
涙を拭って慰めることもできない。抱き締めることさえ。こんな時ほど元の体に戻りたいと願ったことはない。こんなに歯痒いことはなかった。
今のままでも幸せだ。
そこに嘘はなかった。でも本心ではなかった。
∽
「強情っぱり」
「うるさい」
ヴェジーを見送ってからエリックを問い詰めると返ってきたのがそれだった。
そもそもこれはエリックが一人で抱えていたから悪いんじゃないかと心の中で悪態をついた。
溜息をついて、ちょっと煙草吸わせて。整理したい。とエリックが煙草を吸いだしたので待つことにしたのだがちらりとこちらを見て再度ため息をつかれた。
「ほんとに聞くの?」
どうやら煙草は私が諦めないかとの時間稼ぎだったらしいことがわかって強めに頷いた。
「緑の生物、憶えてるか?」
「憶えてる」サウスポートの船の中で見た生物が浮かんだ。
「俺はさ、あれが政府によって生み出されたものなんじゃないかと思ってて。あれはたぶん、元は人間だ」
「どうしてエリックはわかるの?」
エリックはいっとき言い淀んでから諦めたように口を開いた。
「あー……俺も同じだからなんかわかるんだよ。ここに来たのはそれが目的。だからそこにいって助けたいと思っている。お前は連れて行かない」
どうして。私も行きたい。
そんな声は引っ込んだ。
「……エリック」
「ん?」
「ちゃんと帰って来るよね」
「……努力する」
∽
「ありがとね」
入れ違いにやってきたロンシェからランタンを受け取る。
「話せたのか?」
「エリック」
思ったよりも神妙な声が返ってきて平静を装いつつ続きを促す。
「なんだ改まって」
「……もし、乗り込むつもりなら、俺も連れて行ってくれないか?」
「……それ、どういう意味だ」
「俺、あそこから逃げてきたんだ。俺の身体は、たぶんまだあそこにある」
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