第5話 失うものと失ったもの
第三研究所。
街の南に位置するその建物はもう使われていないはずだが(真っ白に塗られた外装や芝で覆われた敷地などは他の研究所と同じだった)周囲を一周すると国家施設並みに厳重に塀や有刺鉄線で周囲を高く覆われていた。敷地に人はいないようだったがカメラが幾つも設置され侵入者を拒んでいるのがわかる。試しに石を投げ込むと芝に落ちる前にカメラから出た光線が一瞬にして石を灰に変えてしまった。
遠目から見てもここから入るのは無理そうだった。
山間に作られた建物は封鎖される事なく今もまだ使われていたらしい。
数日張り込んで人の出入りはなかったがああして熱感知探知機までご丁寧につけられているところを見る限り、封鎖された施設ではないことがわかる。
封鎖した施設とふれて隠す場合、中にあるのは外にはもれたくない、あまりよろしくない何かだろうとは予想がつく。
「あとは地下か」
「ああ」
排水機能は地面から排水路へ、排水路から海へ流れる仕組みになっているはずだ。
第三施設も例外ではなかったらしくしらみつぶしに山の中をまわると点検用のマンホールが見つかった。丸くくりぬかれたコンクリートの壁に埋め込まれた鉄の梯子を使って降りるとひんやりと湿り気を帯びた冷気が肌に張り付いて暗闇の向こうからは水の流れる音がしていた。
「俺の出番だな」
首から下げていたランタンのつまみを操作すると、暗闇にほんのりと明かりがともった。ランタンを掲げてあたりを照らすとアーチ状に組み込まれた石造りの天井の下に水が流れているのが見えたがこの暗闇だ、水面は黒く揺蕩って底までは見通せそうにはない。
周囲を照らしながら流れに逆らう形で進んでいく。轟音が反響した音が耳に届きだすと水路が合わさった本流に行き当たった。ランタンを掲げるとひとつは格子がはまってそれ以上進むことはできそうにない。水路を挟んだ向かい側では壁がアーチ状に水路を通していた。
「こっちか」助走をつけて向かい側に渡る。
「わっ」ヴェジーから上擦った声が上がった。
手に持っていたランタンを振り回したからだろう。非難の声が上がる。
「悪い、持ってたの忘れてた」
「くれぐれも大切に扱ってくれ。この中で灯りが消えたら洒落にならない」
見える距離は自身の周囲のみ。そこから先は暗闇が覆っている。この中で消えたら確かに洒落にならないな。
「ああ」
ランタンから出ているひもを首に通す。こうすれば大丈夫だろう。
それから足を進めるとやがて行き止まりに行きついた。
「道を間違えたか?」
「いや、」
道は一本道だった。おそらくどこかに続く道があるはずだ。
灯りを向けると水路は頭上から滝のように流れ落ちてそこで終わっていたが目を凝らすと、それは行き止まりではないことに気がついた。腕を前にやると、腕が壁をすり抜けた。
「な、お前どうやっているんだそれは」
「これは目の錯覚だ」
「錯覚?」
「こうすればわかるか?」ランタンを壁にやるとあかりの輪郭が一段奥にぶれた。
「……あ」
たまたまなのか狙ったのかはわからないが同じ柄の壁が人ひとりぶん程奥にもあってそれが重なって一見しては通路が続いているとわからない仕組みになっている。
「これだったら知らない奴はわからないからな。これも一種の仕掛けだろう」
「なるほどな」
奥の方には通路が続いていた。進んでいくと天井から一筋の光が差し込んで梯子を照らしていた。つまみを操作して灯りを消す。音をたてないように近づいて頭上を見上げると遠くの方に、水路とはちがった色が四角くくりぬかれて見えた。梯子を上っていくと背後に水の流れる音が聞こえた。先程の滝の上の川にあたる部分なのだろう。さらに登っていく。
耳を澄ませるが音はしない。
蓋を押し上げ隙間から周囲を確認すると近くにはレンガや木材鉄筋など資材が転がっていた。
ここから出入りしていたのか。
注意深く人がいないのを確認して人ひとりぶん蓋の隙間を開けて体を引きあげる。
部屋を見回して作業時の防犯銃が架けられたガラス棚が目に付いて予備の弾と銃をありがたく拝借してズボンに捩じ込んでいく。
壁にはドアが設けられていて耳を当てるとわずかに外の方から人の気配がある。
「なんか聞こえるのか」
「ああ」
見つかる危険がある場所はあまり通りたくない。再度辺りを見渡すと天井に通気口が付いていた。
「いたっ」
どこに痛がる要素があるんだと思いつつも紐を首からかけてランタンを背中に回し匍匐前進で前へと進んでいく。
「もう少し丁重に扱ってくれ」
察するところこのランタンは楼主からもらったもので大切にしたいのだろう。
もう少しで体に戻してあげられるかもしれない。
そしたら今の関係はどうなるんだろう。
「あのさ」
「なんだ」
「もしさ、もし戻ったらあんたはどうする」
「どうするって何が」
「いや、」やっぱなんでもない。
自身の口にしたことが場違いな気がして取り消そうとした時自身の下から声が届いて口を噤んだ。
「研究は順調に進んでいるみたいだな」
「はい」
通気口の一部が格子状になって見下ろせるようになっていた。
声はそこを通して聞こえていた。
白衣を着た研究員らしき男性と、政府支給の黒い外套が目に留まる。
「資源はたりているか?」
「はい。やはり子供の心臓は適合しやすいようで順調に進んでおります」
「そうか。これで重役連中を出し抜ける。頑張ってくれ」
「はい」
政府が関わっていたことがいまの会話から見て取れたが不可解な点があった。
子供の心臓?なんだそれ。
「ヴェジー、いまのって……」
「大方、資源の話をしているんだろう」
「……どう意味だそれは」
「お前も知らない話ではないだろう。部隊に所属していた時はやけに子供を殺していたと思わないか?」
ヴォリュームを抑えた声にエリックは答えることができなかった。
「……今は早く進もうここでこうしていてもらちが明かない」
「今日はやたらと死体が入るな」
「どこかで狩りでもしたんじゃないかしら」
「なにしろ私たちには精鋭部隊が揃っていますからね」
「これもあの方のおかげだな」
「我々の活動に賛成してくれましたからね」
「一時はどうなるかと思ったけれどやっとここまで来たのね、私たち。これが完成するのが楽しみだわ。でも今日はご機嫌斜めみたいね。ちっとも数値が変動しないもの」
愛しそうに手を触れたのは透明なガラスのような部屋のほとんどを占拠した入れ物の視線の先には、肢体を切り落とした胴体だけの塊に幾重にもコードが繋がれているおそらく人間だったものがそこに入っていた。中心部の心臓は脈打っていたがそれはとてもじゃないが生命の生きているというレベルのものではなかった。
頭を天井から出してみていると首にかけていたはずのひもの感触が無くなった気がしたと思ったら視界にランタンが横切ったのが見えて手を伸ばすとランタンから悪態がついて出た。身体を支えにしていた手を離したらしくバランスを崩して伸ばした手は宙を掴んだだけだった。
せめて、とランタンを身の内に納めて衝撃に耐える。
「うわ、なんだ」
驚いたような声が上がる。まあそれはそうか。天井から人が降ってきたんだから。反応を窺っていると視界の端に足が映った。
「もう、どこから入ったのかしら」
「俺たちの研究を聞きつけてやってきたのか? いやぁ、そんな、サインなんて恥ずかしいな」
「そんな悠長なことを言っている場合ではないでしょう。私たちの研究を見られたんですよ」
真っ赤な唇の女と袖を肩まで巻き上げて筋肉を見せる男に眼鏡の男は呆れたように一瞥した。
「あら、だったら彼も研究材料にしたらいいじゃない。私、生きた人間の肉を剥いでみたかったのよね」
「そりゃあいいな」
「私たちでは判断しかねます。連絡を入れてきますので」
彼らの後ろには背丈の倍以上はありそうなガラスケースがあって、それはやはり人間だったものだった。軍関係者だったのか胴体には被弾の痕や爆弾で負傷した個所がいくつかあった。
「ああ、これか?これは微弱電波を流しているんだ。そうやって生きているんだ」
生きている?
これが?
尊厳をすべて切り落とした胴体だけのものに胃が脈打つように揺れて駆け上がる胃液を飲み込んで押し留める。
いつもなら文句のひとつでも吐き出してもおかしくはなかったがヴェジーはなにも言わずじっと黙ったままだ。
名前を呼べば音量を抑えた声が返ってきた。
「……殺してくれ」
「は?」
「あの中に入ってる、あれ。あれは、私だ」
あれと差したそれは胴体のみのそれ。
「あれはもう私じゃない……殺してくれ、頼む」
少しばかり期待するところがあったのか、声に力はなく淡々とヴェジーは口にしていた。
「……どこから連れて来たんだ」
「ああ、これ?これは譲ってもらったんだ。これはどこからだったかな。なあ覚えてる?」
「えっと、そうねこれは暗殺部隊からだったはずよ。前は資源を手に入れるのが大変だったけど、いまは政府が一手に取り締まっているから助かっているわね」
問いかければ唇の女と筋肉の男はペラペラと話てくれた。
政府が殺した人間は人はみな平等であるから神の御許手厚く葬るのが機関の方針と謳っていたがそれはただ単に実験用の人間を補給しているだけだった。
「こっちは使えない人間を再利用してやっているんだ。感謝してほしいくらいですよ」
眼鏡の男がため息を吐く。
「俺たちは偉業を成し遂げた。死んだ人間が生き返るんだ。これは世界に誇れることなんだ。君たちには到底理解の及ばない話だよ」
こいつらは、これを本気で言っているのか?恍惚と口にする言葉に眩暈と吐き気がした。
「いずれこの国の資源は底をつく。君もどうだ?悪くない話だろう」
「……こんな事のために。子供の心臓がどうとか言っていたが、お前たちは子供を殺していたのか?」
「子供の心臓は適用しやすいからな」
「画期的発見だろう!」
誇らしげに楽しげに話す様子にぞっとした。
「なに、子供はすぐ作れる。気にすることはない。人間なんて皮を剥げばただの肉の塊でしかない。それをどうしようと君に関係があるのか?君はどうして私たちがこの実験を始めたかわかっているか?」
「ひとりの人間から命を取り出してみんなで分け合おうとしているのだよ。そうすれば消して死ぬことはない。そうだろう?」
「年々寿命は伸びていく一方で少子化に直面している今、これは人類にとっても有益だと思わないか?」
少子化に拍車をかけているのはお前たちのせいではないか。柄にもなく自身の身体の温度が上がったのがわかった。
「我々が実験してできたものがもうひとつあるんだ」
男がコンピューターを操作していくと壁の一画に切れ込みがりそのくり抜かれた部分がスライドすると中からは塊が現れた。
「被検体524」
ぎょろりと突き出た目は濁り、五感はもうほとんど機能していないように見える。
それは以前船で見たものと似ていた。
こいつらがつくっていたのか。
「人間としての理性はもうない。残っているのは食欲ただのみだ。だからこういう時に役に立つんだよ」
眼鏡の男ががにじり寄ってきて半歩後ろに下がる。
どうする。逃げるか。
目の前のそいつを殺したくはなかった。本当はもう誰も殺したくなかった。
だから、わりと近くから聞こえた声に反応が遅れる羽目になった。
「なあ、エリック」
背後から聞こえた声に反応する間も無く、
──ぶすり。
そんな音が、体を貫いた音が、聞こえた。
たぶん自身の体の内側から。
「生きたままで食べられるってのはどんな気分なんだろうなぁ?」
俺が知るか。
悪態をつくも口は動かず目線を下げると剣先がわき腹から突き出ていて背後からの衝撃に膝から地面に崩れ落ち手に収まっていた紐がすり抜けてランタンが音を立てて転がっていった。内臓が損傷したのか喉を駆け上がって咳き込めば吐血し辺りに血だまりができていたが、それよりも気になることがある。
先程の声には聞き覚えがあった。
頭半分突っ込んだ形で頭を持ち上げ肩越しに確認すると胡麻塩頭のヴィンセントがこちらを一瞥して剣についた血を振り払っているところだった。
「ああ。悪いな、こっちも仕事なんでね」
どこまでが、と考え終わる前にそこで思考を切って自身の甘さに舌打ちした。
いろんなものが手からこぼれすぎて何も考えたくなかった。
「用意はできているのか」
「はい」
身を翻すと上官さながら指示を出していて、三人と長いこと関わっていることが見て取れて一層気持ち悪さが増した。
「こいつの心臓をつかえ」
「……は?」
思わず乾いた声が出た。
「なんだエリック。お前気づいてなかったのか」
薄々気づいてはいた。
「まて」
気づいてはいたが、その続きを聞きたくなくて聞いてしまったら何かが変わってしまうような気がしていた。
「俺がお前を殺したんだ」
目の前が真っ暗になった。
「お前はどう記憶を与えられたのか知らないが、お前の体に入っているのはこの男の心臓だ。名前はなんと言ったか。ハロルド。そうだ。ハロルドだ。お前が逃がそうとしたあの男だ。お前が良い成功例なんだよ。だから、お前にどうこう言えるはずはないんだ」
「なにを言って」
話を聞いていたくないはずなのに舌がうまく回らずにいた。
「ああ、そうか。お前はちがうのか。本体ではなかったな。傑作だな。自分をエリックだと思っているとは。お前はエリックではない。私とともに戦場に行ったこともない。やつの模造品だ」
──なあ、検体三号。どんな気分だ?
∽
「良かった。あってた」
やっぱり待ってるなんて出来なかった。
楼主館で拝借したランタンを首にかけて足場を作って手を伸ばすと身体を引き上げる。
怒られるかな。
でも、やっぱり待ってるなんてできない。
大人と子供じゃ圧倒的にちがう歩幅に四苦八苦宇しながらついて来れたことにちょっとびっくりした。
呆れられるかな。
冷たくて少し手狭だったがここが一番人に見つかりにくいと思って飛び込んだけれど、もしエリックと会えなかったらどうしよう……。
泣きそうになって頭を振って考えを振り払う。
「あんたはほんとになにやってるの」
呆れた声にぎくりとして頭だけ捻って足元を確認すると同じように匍匐前進の体勢でトゥルリエッタがいることに気がついて安堵感から泣きそうになっていると「早く進んで」と言われ涙が引っ込んだ。
なんでこんな知らない人にチクチク言われなきゃいけないの。
初めて会ったときはいい人そうに見えたのに。
「わかってる」
クロエもクロエで負けじと端的に返して前に進むけれど出口はまったく見えないしトゥルリエッタはさっきから天井に頭をぶつけては「痛っ」「もう狭すぎ」「なんなのよ」と言い仕舞いには「クロエ早く進みなさいよ、あんた遅い」八つ当たり気味な声をあげてるし。
じゃあ来なければよかったのにと思いつつ視線を前方に戻した時に少し明るくなっている個所が見えた近づいて覗き込む。
「え?」
頭から血を流しているエリックの姿が見えて何が起こっているのかわからなかった。
だから、
「あ、ばか」
トゥルリエッタの焦った様な声が聞こえて、結構な高さがあったことに気づき衝撃に備えて目を閉じる。想像していたような痛さはなくて恐る恐る目を開けると見慣れない角度のトゥルリエッタと目があって「ばか、ほんとばか」と早口で二度も言われて言い返す隙間もなくてただ黙るしかなかった。
「あんたもエリックももうちょっと考えて行動しなさいよ」
「……そうだエリック!」
その言葉に周囲を見渡して駆け寄った。
∽
「エリック、エリック、ねえ、起きて、ねえ、エリックっ」
クロエの叫び声が近づいてきて、気力なんてない癖に惰性で首を動かすとその後ろからヴィンセントが見えた。
「逃、げ」
「なに、エリック」
馬鹿、逃げろ。
耳を寄せてくるクロエの耳に届く前に次に目を開いた時にはクロエはいなく、遠くの方で悲鳴が上がっていた。
目だけを動かすと、クロエの髪が引っ張られているところだった。
「なにするの、はなして」
ヴィンセントは表すのならにやりと弧を描く唇に狂気を感じた。
「お前は、こいつのなんだ」
「なに、意味わかんない、はなして、はなしてよ」
キッと睨みつけながらひるむことのないクロエにさもおもしろげにバレンタインはにやにやして口元をこれでもかと引き上げていてそれが不愉快で舌打ちをする。
腹部に差し込まれた傷が神経に触ったのか身体が動かない。
「あんたがエリックにあんなことをしたの?これ以上エリックになにかしたら許さないから」
「死ぬってどんな風だと思う?」
「死ぬのはあんたよ」
「エリック、見えるか?」
「やめろヴィンセント。そいつは関係ない。俺とお前の問題だ」
「関係ないことはない。こいつは子供だ。いい心臓になるだろう?」
近くに落ちていた鉄筋が目に留まった。どこにそんな力が残っていたのかわからない。わからないが頭の中では急所を探していた。足場となりそうなコンクリートまで走って、いち、にぃ、さん。
頭の下、頸椎部に鉄の棒を突き刺す。
「ぐあ」
咄嗟によけられ急所は外れたがクロエを放すにはじゅうぶんな攻撃だった。
重力に沿って地面に倒れる所だったクロエを抱き寄せたが反応がない。頭を打ったのかこめかみからは血が出ていた。
「クロエ、クロエ」
不審に思い声をかけるがやはり反応はなく目を覚めることはない。前髪を分けると白い肌がより一層青白く感じたが白い肌に血が付いてしまいそうで、慌てて引っ込めた。
「馬鹿、なにしてんの。どいて」
トゥルリエッタに押されたたらを踏んで尻餅をついた。その間にトゥルリエッタは胸に耳を当てて息をしているのか確認していた。
「…………大丈夫、生きてるわ。気を失ったのね」息をしていることに安堵して留めていたらしい呼吸を吐き出す。
「あんたね、そんなにくるのなら連れてくるべきじゃないでしょ」
「わかってる」
頭は割と冷静でクロエの細く浅い呼吸が聴覚にこだましていた。
「わかってるのなら」
トゥルリエッタの言葉は聞こえてはいた。
聞こえてはいたが耳から抜けるだけで、たぶん聞こえてなかった。
頭の中ではすでにヴィンセントをどう殺してやろうかと算段をつけていたから。
たぶん、割と冷静じゃなかった。
服の袖で血を拭う。
それでも何かついていそうで不快だったが比較的安全そうな場所へクロエを抱え置くとヴィンセントと対峙する。
「ごめん、すぐ終わらすから。クロエを頼む」
トゥルリエッタに言い置いて踵を返す。
緑のおうとつ物を携えた緑の生き物の向こうではヴィンセントがこちらを楽しそうに嬉々として一瞥していた。
「死んだのか?」
奥歯をかみしめるとぎりっ、とした音と共に血の味が口内に広がった。
「ああ、そうだ。勝負をしよう。勝った方がクロエをもらう。そうだな。剣はどうだ。得意だろう?」
そう言って腰に刺さった剣をひとつ投げて寄越した。
「そっちが来ないなら先に行くぞ」
手に取ろうと身を屈めたところで一直線に向かってきた剣先を薙いで攻撃を受け流す。
「お前が俺に剣で勝てると思ったのか。馬鹿だなぁ」
金属音の擦れ合う音が聞こえ剣越しににやりと口角を上げたバレンと対峙することになった。
なるほどそういうことか。
思い返すと思い当たる節は確かにあって、自身の危機感のなさに呆れて乾いた笑いが漏れた。
「なんだ、ついに狂ったか」
ちげえよ、糞野郎。内心で毒づいた。
「馬鹿じゃねえの」
「なんだと」
「お前もどうせ捨てられるんだぞ。俺を切り捨てて助かったつもりでいるのかよ」
こんな時ばかりつらつらと流れ出す言葉に図星だったのか傷口を踏まれ激痛が全身を駆け上る。
「おい。こいつを始末しろ」
その声に従いのそのそと動いたそれは、手を伸ばすと、一直線にヴィンセントの心臓を貫いた。
そいつは言葉を認識していないのか、ヴィンセントの背中に手を回し抱き締めるように体を取り込み始めていた。
「な、なにし、くそ、…………お、俺じゃない、俺じゃ」
ヴィンセントはそう叫び手をだし距離を取るがそれは吸い込まれるだけで何の意味もなかった。
「エリック、助けてく、」
助けを求めた手は吸い込まれ、そこには何もなかったというように吸収されて俺は宙を掴んだだけだった。
……馬鹿野郎。
お前らが生み出したのはこういうものだ。
どいつもこいつも勝手に死にやがってなにが助けてだくそ。
今更ながら込み上がる怒りに悪態を吐き落ちそうなところで無理矢理思考回路を切り替えた。
瞬間。
横から何かがやってきて視界がぶれたとともに身体が壁に打ち付けられる。受け身を取る暇もなかった。体のどこがで鈍いような音がした。薙ぎ払われ背中から壁にぶつかり埃がかかったコンクリートの上に転がされたが咳き込む間もなく身体を貫く鈍い音がどこかでした。たぶん、割と中心部で。なんだ俺の心臓はあったのかと喉の下からせり上がってきた血を吐ききったところであからさまに舌打ちをして自身を見下ろすと右腹をしっかりと貫通している奴の手が見えたが幸か不幸か痛覚を感じる神経は麻痺して機能していなかったらしく痛みは感じなかったが全身が痺れてひどく重く感じていた。これ、抜いたら死ぬな。とどこか他人事で眺めてどこが面白いのかこれまた他人事で口の端で笑っているとその腕が何かを掴んでいる感触が体の内側からあって、それを確認する間も無くぶちぶち、となにかが切れる音が耳に届いた。
∽
背中をしたたか打ち付けたように咳き込んだその横をエリックが滑り込んで、なにかわからないものが、エリックになにかわからないものを突き刺していた。そこは次第に赤くなり、エリックは抵抗することもなく、大義そうにこちらに視線を向けて、
「馬鹿、なにしてんだ。はやく逃げろ」
口にした言葉は痛々しく途切れ途切れで掠れていて注意して聞いていないと消えてなくなってしまいそうで、泣いてしまいそうでクロエは唇を噛んだ。
「なんて顔してんだ」
エリックはなにが面白いのか口角の片方をあげて笑って口にしたがひどく咳き込みだししまいには吐血していた。
どうしてこの人は、こういう時に自分以外の心配をするんだ。
どうして私の心配なんか。
それよりも。
エリックに駆け寄ろうとして体が後ろに引き戻され頭上からは悪態が降ってきた。
「馬鹿、邪魔なのよ。早く行くわよ」
「でもっ」
「あんたがいたってなにもできないことくらいわかってるでしょ」
「トゥルリエッタ」
背後からエリックの声が割って入ってきたが言うことがわかっているのか途端にトゥルリエッタは眉をしかめた。
「そいつ頼む」
「……あんた、最初からこうするつもりだったでしょ」
トゥルリエッタは恨めしげに口にするがエリックはそれには答えなかった。
「クロエ、こいつこんなんだけど、あれだから大丈夫」
あれってなに。
「あれってなによ。肝心なところが抜けてるんだけど」
「はは」
笑う場面じゃないはずなのにエリックは笑っていてそれがもう会えないようなそんな空気がして、言いたいことはたくさんあるはずなのに口を開いたら泣いてしまいそうでやはりクロエは涙がこぼれてしまわないよう唇を噛むことしかできなかった。
「この借りちゃんと返してよ」
「ん、借りとく」
数秒見合っていたと思ったら手を引かれつんのめりそうになりながら肩越しに振り返ると、彼はもうこちらなど見ておらず起き上がって目の前のそれと対峙していた。瞬間、爆発音とともに周囲を取り囲んでいた土砂が崩れ、土埃があたりを包み込み瞬きののちもう彼の姿を確認することはできなかった。
「エリック!」
トゥルリエッタに掴まれていた腕を振り払い戻るがもうすでにそこは身長の倍以上もある岩で完全に塞がれていた。名前を呼んでみたが返事はない。こちらの声が届いてるのかさえ分からない。生きてるのかさえ。
「クロエ」トゥルリエッタに急かされる。
わたしよりもずっと長い時間一緒にいたんだ。
トゥルリエッタがなにも思わないはずはない。たぶん彼女は信じているんだ。エリックが助かることに。
岩に耳を当て何か聞こえないかと目を閉じるが何もわからなかった。
「うん、ごめん。行こう」
∽
精鋭部隊といわれていた。
ぐしゃりと潰れる音に振り返る。
薙ぎ払われた剣に敵兵は首に刺さった箇所から失血してすでに息絶えていた。
「馬鹿だな。なにやってんだ。俺がいなかったら死んでたぞ」
少しは期待してたんだけど。とは言えず「悪い。ぼうっとしてた」と答える。
男とは同じ隊に属し唯一背中を預けられた仲間だった。
これも何回目の遠征だったか。
近頃ではあまりめずらしくないほどに戦場に赴くことが増えていた。
「戦場で死にたいのか」
それもいいのではないかとふと頭をよぎった。
とくに帰る場所もない。
ここは墓場としては最適なのではないかと。
辺りには瓦礫が転がり火薬のにおいが立ち込めいたるところで火の手が上がっていた。制服には血がべっとりと染みついて手についた血を拭っても意味をなさない。
人が日々死んでいく環境ではひとりの兵士が死ぬなんてことは特段めずらしいことではない。
疲弊すれば人は死ぬ。
それでも銃弾が掠めれば目の前の敵襲に銃を撃ち込んでいくくらいには人を殺す術が体に染み付いていた。
皮肉にも無意識に死にたくないと体が反応していた。
銃に取り付けられた最先端のバースト機能のおかげで、放った一発の銃弾は砕けて被弾し狙撃された数人が倒れていく。
いつまで続くんだろう。
いつになったら終わるんだろう。
俺はいつまで人を殺さなければならないのだろう。
自ら軍に入ったが、彼のような正義感なんてものはなかった。
死にたくなかった。
ただそれだけだった。
「──っ!」
少し、判断が遅れ焦ったような声と横からなにかが頭を抉ったような、身体にめりこんだような音が最後に聞いたものだった。
死んだんじゃないのか。
無機質な天井を見つけて、最初に浮かんだのはそんな感想だった。
頭を動かして辺りを見るとどこかしらかの診療所なのだろうと一面真っ白な室内からわかった。その真っ白な中で背を向けたまだらな頭髪を目が捉える。
「おや、目が覚めたかい」
幸いにも手足が動く体の感覚があったがこちらが動くよりも男が先に振り向いた。
白髪混じりの髪を後ろに撫でつけて皺の刻まれた顔にはめ込まれた瞳が瞠いていた。手に持ったカップを落とすと割れたような音がしたが構わず近づいてきた男からは鼻につくアルコールの匂いがした。白衣を着ているところからすると医者か。
「ここはどこなんだ」
無理はするな、と上体を起こそうとしたところでベッドサイドのボタンを操作するとベッドが自動で動いて男との視界が近づいた。
「ああ君は死んだんだ。心臓が破れてね。大量出血していたよ」
どこかわからないが話が噛み合わないような違和感があったが薬品が残っているのか頭がぼうっとして思考が働かない。
「水だ。飲めるか?」
一口飲むと喉のあたりで酷く咽せた。
「しばらく眠っていたからな。君の体にはきつかったか。肺からも少し心雑音がしていたみたいだから後で診てみよう」
戦場では砂が肺にたまって食事が咽せることもあるから特別めずらしくはないがと考えてから思い出したように相棒の所在を訊ねた。
「……あいつはどうした」
「あいつ?」
「一緒にいた男だ」
「さあ。私は現場には出ないからな。それより調子はどうだ。どこか痛いところなどは?」
「いや、とくには」
見たところこの男に見覚えはない。
あの状況だと敵に捕まったのだろうが、とそこまで考えてから恍惚とした表情で話す男の話がおかしいことに気づく。
この男はさっきなんて口にした?
──ああ君は死んだんだ。心臓が破れてね。大量出血していたよ。
反芻した言葉は誰のことを指していた?
俺、か?
「君には心臓がない」
こちらの意思を汲むように男が口を開いていたが言葉の意味が理解できなかった。
心臓がなければどう生きているというんだ。
「厳密に言えば心臓はあるが君の体の中には君の心臓はない」
言っている意味が理解できなかった。
それならどうして俺は生きているんだ。
死んだなら生き返ることはない。
医療の進歩の話ではなく、心臓が破れたならまず助からないのではないか。
心臓が体の外にあるのならば尚更。
そこで疑問が浮かんだ。
じゃあ、いま、私の心臓のあった場所にはなにが?
「気になるかい?」
メスが心臓に刺さって、それを縦に切り開いていく。
痛みから起き上がろうとしたところを拘束具によって手足の動きが制される。
気持ちが悪い。
皮膚の断裂する感触が脳へと伝わってきて目で確認すると逆再生するように赤黒い繊維が境目から伸びて皮膚同士が引き寄せられ修復していく姿に胃液が駆け上がってきたのを唾を飲みこんで押し留める。
「なにをした」
絞り出す声は震えていた。
「大丈夫だ。なにも心配することなどない。私は命を繋いだんだから」
「俺は望んでいない。死ねればよかったんだ」
「なぜ嫌がる。これで君は死ぬことなどないのだから、私は感謝されてもあまりあるはずだ。心臓がないのに君は死なない。これは素晴らしいことだろう?それは東の大陸の龍の心臓だ。不死身らしいぞ。よかったな。君は生き長らえる」
カッと開かれた目は視線が噛み合っていない。
「君は私の最高傑作だ。見えるかい。君のその龍の心臓と君の体は繋がっているんだ。すごいだろう」
視線の先を追うと心臓らしきものが液体につけられて脈打っていた。
それは自分の内側のおそらく心臓がある部分と共鳴しているように思えて背中を悪寒が駆け上がる。
「ふふふ。私はやり遂げた! ついにやり遂げたんだ!」
目がぎょろりと動き息荒く興奮したように声を張り上げたことで男の感情のおかしさと異様さに気づく。
「命をつくってなにが悪いんだ? 君も両親によってつくられた内のひとりじゃないか。まさか神に背いているとでもいうのか?冒してはいけない領域だとでも? 君には信仰心なんてものがあったのか」
ここにいてはいけないと踏み出した脚が崩れて咄嗟についた腕もぐにゃりと曲がり床に顔面を強打した。
「ああ、動かない方がいい。麻酔が抜けきれていないはずだ。それに君には経過観察が必要だからな」
刺取り込まれ胸から生えていたメスを無理矢理引き抜いて油断して近づいてきた男の首元に差し込んだ。
なにか男を心配するような声が聞こえ身体が地面に押さえつけられたように思えたがもうどうでもよかった。
「記憶を操作してある。おそらく忘れているだろう」
「そうですか。ってなんですかこれは」
「ああそれは彼が先ほど刺した私だ」
「うわぁ」
「そう引いてくれるな。これは仕方がない犠牲だ」
「それで、この男はどうするおつもりですか?」
「戦場に捨てておけ。いずれ目が覚めるだろう」
「わかりました」
「やはり自分のクローンを作っておいてよかった。あやうく刺し殺されるところだった」
霞がかった向こう側で誰かが、よく聞き馴染んだ声が聞こえたような気がしたが徐々に眠りへと落ちて結局それが誰なのかはわからなかった。
「──っ!」
名前を呼ぶ声に聴覚が徐々に音を拾っていく。
薄明かりの中に厳つい顔がのぞいていた。
「なにやってるんだお前は!」
「⋯⋯ああ悪い寝てた」
「お前なぁ」
なにか、夢を見ていたような気がするが思い出せなかった。思い出せないならまあさして重要なことではないのだろうと思って考えるのをやめてお小言を連ねる彼に「悪かったもうしない」と口にした。
「もう、二度とするな」
彼なりに心配したのだろうということが薄らと震える声に見て取れたからだった。
いままで信じていたものが足下から崩れていくようだった。
信じられるほど築けていたかというとそうでもないが、体の一部が奪われたような感覚にそれが思っていたよりも大多数を占めていたことに驚いた。
まあ現に体の一部を奪われているんだけど。はは。
どれほどこうしていたのか、意識が飛んでいたらしく重力に逆らう形で壁に張り付いたそれを視界の端に捉えたことで自身がいま地面に投げ出されたことをエリックは認識した。見える範囲で周囲を確認するが先程クロエがいたところは大岩で塞き止められていたことに息を吐き出した。
密着しているせいで確認することはできないが、たぶん、内臓を持っていかれた。思考を腹部の痛みから切り離すように拳を握りしめて掌に爪を立てていく。
目の前のそいつはもう人間としての形は留めておらず、わずかに原型を残した指で引き出した、俺の、肉片に、舌を這わせひと舐めずりすると口元に弧を描き笑っているように見えて、今度こそ嗚咽と共に胃液がせり上がり口から吐き出た。苦みと酸っぱさが口いっぱいに広がるのが不快で目を閉じたものの今しがたの光景を追い出そうにも脳裏に焼き付いて眩暈までしてくる。ぺちゃぴちゃと肉片を食べる音が聞こえ再度吐き気が襲ったが、空っぽの胃は吐くものもなくただえづくだけだった。
未だまわらない思考で少しばかり観察していると、でこぼこの肌からきらきらと反射するのが目に留まった。よくよく見るとそれは役職を表すバッチだった。
消化しきれないのか緑の表面には取り込んだ人間の体の一部が突出し始めていた。その中にヴィンセントのものと思われるバッチがいくつか見えてそこから少しずれたところには腰に差していた剣の柄も出てきていた。
乾いた笑いが漏れた。
クロエもトゥルリエッタに預けられた。
どうせなら死ねたならよかったんだけど。
呼吸を整える。
いけそうか。
鼓舞するように自身に確認すると反動をつけて起き上がる。
それは恍惚とした表情で未だに肉片を食していてこれ幸いとばかりに死角に入り込み手を掛け脚を支えに体から引き抜いた。緩慢な動きをしていたそれが瞬間、奇声を発した。どうやら表面の一部を切ったらしい。
ばたばたと暴れだし衝撃で吐き出されるところを引き抜いた剣で振り払うと巨体に切れ込みが入り中からは緑のドロッとしたものが流れ出したと思ったら叫びとも取れぬ声が響き渡る。
それは頭の中に直接流れ来むような世界を呪っている様な地割れのような形容しがたい音が脳の中心を揺らしてくる。
元は人間だ何かしらの拒否反応を起こしたのだろうか。
どこか救いを求める声に口内に鉄の味が広がった。
すまない、すぐに終わらせる。
時折発する奇声から感情を逸らすように一気に腹に切り込んだ。全体重をかけた。呻き、痛さからかそれが抵抗するように背中に指が食い込んできていたがさらに深く差し込まれたそこに全体重をかけた。痛みからのた打ち回りかけたところで身体が壁に打ち付けられて一瞬呼吸が止まり咳き込む。同時にわき腹にあいた穴に響いたのか激痛が全身をまわる。なんとか視線を上げると緑色の物体が転げまわり奇声をあげながらばたばたと遠くに走って行くのが見えた。
だーくそっ。
立っている気力なんてなくて、傷口と反対の肩から押し込んだら割とあっさり傾いたのを確認するまもなく、足が地面から離れ、体が宙に浮いた。
唐突にクロエの顔が浮かんで、ちょっと、申し訳なくなった。
こっち。
ぽつりぽつりと行き先を示すように数メートル先に現れては消える兵隊らしき彼について行く。いつしか現れたのはひとりの兵士だった。恐らくその風袋からして昔の兵隊長だろう。
こっち。こっち。と道を記していく男の制服はまだ先の戦争の最前線で戦っていた頃のものだと見て取れた。
「そこ足下気をつけて」
差された場所はゴミが散乱し緑色のぬめりを帯びていて危うく踏み出すところを回避した。
割と高い場所から落ちたような気がしたのだがどうやらゴミ溜めに繋がっていたらしくその上で目が覚めた時にはそばにアレはいなく真っ暗な暗闇の中どうするかと逡巡しているところでこの兵士が道案内とばかりに現れた。
幸いなことに死ねなかったらしい。
どこか生きていることにほっとしている自身がいた。
「ここは山脈から続いていて昔よく使ったもんだ。街に張り巡らされていて時折迷ってどやされたなあ」
「おかげで助かった」
「政府のつくったものも悪い物ばかりじゃないな」
笑った顔はあどけなく、自身より幾分か年下に見えて胸が締め付けられた。
「死なせてくれてありがとう」
困った様な顔をした彼に自分はどういう顔をしていたんだろう。
「俺はこうなることを望んでた」
彼にかけれる言葉など持ち合わせていなかった。
「俺はとっくに死んでいたんだ。これで家族のもとにいける」
「もういくのか……」
「早く帰んな。あんたには帰る場所がある。そうだろう。それとハロルドによろしく言っておいてくれ⋯⋯」
思わぬところから思わぬ名前が出て戸惑ったが同じ隊にいたのかそれだけ告げると兵士の体は次第に透けてやがて光の粒子となり消えていった。
∽
鉱山、ミスにより陥没か。そんな見出しと共に派手に崩れ落ちた山々の写真が一面を使いローカル新聞が大々的に報じていた。脱出してから数日、街はこの話題で持ちきりだった。街の一大事業がたった一日で壊滅したのだからそれはそうかと思う。時間を持て余した鉱山夫たちはその話を肴に食堂を埋め尽くしていたが話が一回りしたのかやがて人々は散り散りになった。それでも客足は後を絶たず食堂の席は随時埋められている。
その一画でテーブルを囲んでいると遠くの方には外套を纏った数人のお役人らしき人物もいたが特にこちらを気にする様子もないらしく食事をとった後早々に出ていった。
首都の連中が内々に治めるように後処理に来てるんでしょ。と当たり前のように言ってトゥルリエッタはサンドイッチを頬張っていた。
「あと数日もすれば何事もなかった様になるわよ。まあ、できるならこの機に紛れて国から出たいけど検問も実施してるし難しいわね」
ふぅんと咀嚼しかけてトゥルリエッタの顔を見た。それはつまりこの国を出ていくことになるわけで、それはエリックとは会えないということになる。もしかしたら死んでるかもしれないのに。なんて薄情なんだろうとクロエは唇をひき結んだ。
「なによその顔は。納得できないって表情ね。言いたいことがあるなら言えば」
きつい口調にむっとして、
「トゥルリエッタはエリックを助けないの」
口にすると思ったよりも意地の悪そうな声が出てしまって、でもやっぱりエリックはトゥルリエッタを信じていたけど私は信じることができないでいたからこれは仕方がないことで、と誰に対してか言い訳をしていた。
「この際はっきり言うけどあんたはお荷物なの」
自覚はしていたことを言われて、わかってはいたけれどどうしてそれをトゥルリエッタに言われなくちゃいけないんだとむっとする。
「あいつはひとりだってやっていける。でもあんたは違うでしょ。私は別にあんたと一緒じゃなくてもいい。頼まれたから仕方なくいるだけであって私はあんたのことは知らないしどちらかと言えば私はあんたが一緒にいるのは賛成できないと思ってる。なんなら施設にでも預けようと思ってるくらい。でもあんたが一緒にいるっていうならついてこればいい」
早口で言い置いて踵を返した金色の髪が揺れていた。
見送ってから慌てて席を立って追いかける。
「待ってよトゥルリエッタ」
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