第6話 水の底に沈む彼
円卓にはそれぞれの役職の長が集められていた。口々に何がどうなるかと話し合っていたが話し合っているというよりもそれは責任の所在を擦り付け合っているだけのような気がした。
「すべて壊してしまおう」そう口にしたのは誰だったのか。
統制を失ったものは崩れやすく彼らも多分に漏れずそれに当てはまっていた。
先日から、同じ円卓に座っていた数名の人間が失踪していた。犯罪性はないと見られているが政府関係者ということからいまだ捜査は続いている。その殆どが率先して指揮をとっていたため今現在この有様というわけだ。
渓谷に位置する首都は水の都として街の至る所に水路橋が組まれ街の水の中核を担っていた。
「ですかそうなるとどう国民に伝えれば」
「伝えなければいい」
ひときわ若い男が声を上げた。
視線が集まる中臆することなく主張をすると古株の男たちは快く思わない視線を向けたが男は気にする素振りもなく続ける。本音を言えば若い男ははやく話を終わらせたかった。
「街ごと潰してしまえばいい。なにが問題でしょう?」
すると歓声が上がり、賛同する声が上がった。
「おお。それがいい」
「そうですな。それがいい」
「ダムを壊し街を水の底に沈めるのです。そのまま人間も水の底に沈めてしまえばいい」
「名案ですな」
ころころと変わる彼らを若い男は馬鹿だなと思いつつも決してそれを外にはもらさなかった。そうすればどうなるのかなど容易に想像できたからだ。だから目立たず行動できた。だから、それぞれの話を聞いた時、若い男はこう思った。
こいつらだけ沈めてしまおう。と。
外套を羽織り眼下に見える街を見下ろした。隣からは煙がもれてきてそれが自身の愛好してるものと重なったものの諸事情によりしばらく禁煙していたので八つ当たり気味に口を開いた。
「あんたさ、いいかげんにしろよ。こっちはひっそり過ごしてるんだよ。あんたが押し付けたクロエを匿うのにどれだけ浪費したかわかってんのかよ」
「いや、そんなに怒る事ないだろう、トゥルリエッタ」
じろりと一瞥すると目を逸らして知らぬ存ぜぬとばかりに短くなった煙草を靴で踏みつぶして新しく煙草を取り出したので、ひとつ拝借して煙草に火をつけた。
これだけ煙をあびればもうにおいはついているだろう。
「あのな、俺はこれでもひっそり暮らしたいんだよ。それをどうして女の子と行動しなくちゃいけないんだ」
「……お前なら大丈夫と思ったから?」
逡巡してもらした表情は自身でもわかっていないような疑問形で返ってきてほんとなにやってんだこいつは。
「どうでもいいけど俺はいつまでもトゥルリエッタでいるつもりはないからな」
「…………なにそれ」
「べつに。気づいてないならいいけど」
それかあえて気づいてないふりをしているのか。まあどっちにしてもこいつがどうこうなることはないだろうと思った。最悪、飽きてどこぞの街に置いて行くかもしれない。
エリックは訝しげな顔をしていたがさして問題ではなかったのか、再び眼下を見下ろしていた。
「それより、明日この街沈むかも」
なに言ってんだこいつ。と言うような顔をしていた。
「なに言ってんだお前」
口に出して言われるとそれはそれでむかつくな。
「政府の会議で決まった」
ふぅん。
至極どうでもいい顔をしていたが「お前はどうすんの」と訊かれてどうするんだろうなと考える。
「ひとまず住人を逃がす」
聞いているのかわからなかったが話すのをやめるとそれはそれで続きを促すので聞いてはいたらしい。
「それでまた街を再建できたらいい」
「まあいいんじゃない」
ぽつりと漏れた感想。
当たり前だろ。
俺が考えたんだから。
「じゃあ悪いんだけど、クロエをもう少し頼む」
「頼むって。お前はどうするつもりなんだ」
少し考え込んで、
「知ってるか?」
「?」
「ここの地下には奴隷が幽閉されてるんだと」
「で?」
「街が水の底に沈むのなら、それを助けたい」
「それはエリックがやる必要はあるのか?」
「……もう聞いちゃったからな」と笑って口の端で煙草の煙を吸い込んでいく。
「それ、もしかしてお前が殺したからなのか?もういいだろうエリック。それは政府にでも任せとけ」
時々、こいつはなんでもかんでも自身と結びつけようとする節がある。
「ああ」
「だったら」
「でも俺はさ、殺したんだよ。罪のない、それにいい人間を。その責め苦は追わないといけないと思う。それに政府に任せていい結果になったおぼえがない」
こうなるとエリックは頑として動かないことをトゥルリエッタは長年の付き合いから知っていた。
「……ならば俺も共に行こう」
煙草の煙を肺に吸い込んだ動作が一瞬止まったように見えた。
「俺もあの場にいた。お前がすべてを背負う必要はない」
「勝手にすれば」と言った後に、
ごめん助かる。そう言ったような気がした。
「あれ? トゥルリエッタお化粧変えた?」
「別に変えてないけど」
「ふぅん」含みを持った声にひやっとした。
言えるはずもない。
化粧を塗り忘れていたなんて。
調査中ならともかく家にいる間ずっとこの姿のままなのもきついな。
「じゃあ私これから仕事があるから」
慌てて出てきたから怪しく思えたかもしれない。でも正直俺も男なわけで、健全な男なわけで、いや別に今までそうならなかったわけじゃない。楼主館にいる姐さんたちと育ってきたんだ、クロエくらいでどうこうなるものでもない。そう、これはぜんぶエリックのせいだ。ばれることなどないとはわかっていても緊張するのはどうしてなのか、トゥルリエッタは知らないふりを決め込んだ。
首都はそれぞれの業種が軒を連ね先日の鉱山崩落がなかったように活気にあふれ客を呼び込んでいる。その前を横切って、壁にもたれた男に声をかけた。
「遅くなったわね」
壁から反動をつけると吸っていた煙草を足下に落とし靴で踏みつぶす。その量を見ると結構な時間待っていたのがわかった。
「いや、案内を頼む」
メインストリートを抜けて右に折れると居住地区に当たる。赤白青とカラフルに並んだ建物の裏手に続く路地を進んでいく。この辺りは政府や軍に準じる人々が居を構え生活していてどの家の庭も綺麗に芝が刈り揃えられ青々しく潤い色とりどりの植物で溢れていたがれは表面的なもので先程から一向に人の気配がしないのはどういうことなのだろう。家の中にいたとしても人の気配というものはする。例えば生活音。この一帯からはそういったものが一切ないのだ。まるでゴーストタウンだった。
これを知ったのはいくつかのツテによってもたらされたものだった。もともと王族制だったこの国の情勢が逼迫したことで王族が最期の逃げ道にとつくられた地下通路。それは街の至る所に張り巡らされているという。どうやらその一角が奴隷収容状として使われている可能性が高い。摘発を恐れて地下に人を押し込んだんだろう。
昔は水脈路が地下を通っていたらしくその名残だという。内部はあちこちにぬめりや滑る箇所が多々あった。
壁には等間隔に灯りが灯されていて人の出入りがあることがわかる。
灯りを頼りに奥に進んでいくと、鋼鉄状の大きな格子が側面にはめ込まれていた。のぞきこんでみるとそこには五歳から十五歳前後辺りまでの子供が収容されていた。
それは牢屋だった。
弱り、寝転がっている子供もいた。それらのほとんどは痩せ細り顔色が悪いように見えた。格子の手前には壁に沿って看守の机と椅子が設置されてご丁寧にも鍵が置かれていた。牢の錠を外していく。
「逃げろ」
訝しげな視線を向けていた子供たちはどよめいていた。
「みんな逃げろ」
誰も出ようとはしなかったがひとりが外へ出ると後に続く形でひとりまたひとりと牢屋の外へと出てきた。
「ここをまっすぐ行けば町のはずれに出る」
「あの、あなたたちは」
「俺たちはいい。それより頼みがある。逃げだしたら楼主館の人に伝えてほしい。ダムが決壊する。高台に逃げろと。街の住民にも知らせてくれ」
「わかりました」
少年の背中を見送って牢の中を見渡す。とても不衛生で排泄物や吐瀉物とみられるものもあって顔をしかめる。
「俺たちも帰ろう」
「……ああ」
踵を返して道来た道を戻っていくと見知った顔が見えて思わず息を呑んだ。
あーあ。見つかっちゃった。
ちらりとエリックを窺うと無造作な色素の薄い髪から覗いた瞳の色の中にある少ない感情が揺れた様な気がした。
∽
最近、トゥルリエッタの様子がおかしい。
どこがと言えば答えづらいのだが、やたらと朝早く出ていくし帰ってくるとお酒臭いしそれになんだかよそよそしい。
「仕事の付き合いだから気にしないで」
よそよそしいというほど仲がいいわけではないけれど、でもやっぱり日が経つにつれてよそよそしさは増しているような気がしていた。
それにこの前一度だけトゥルリエッタから煙草のにおいがしたことがあった日から疑念は深まっていたのは、そのにおいがエリックが吸っていた煙草のような気がしたからだ。
あまりエリックが煙草を吸うのを見たわけじゃないけれどだからこそ強く印象に残っていた。
同じ銘柄の煙草を吸っている人なんてたくさんいるだろうとは思う。
でも、トゥルリエッタのあの様子は絶対なにか隠している。
クロエは確信めいたものを感じていた。
「じゃあ行ってくるから」
いつものようにひとことふたこと会話をして家を出るトゥルリエッタを見送った。
見送ってきっかり十秒待って机の隅に置かれたヴェジーを手繰り寄せて首にかける。非難めいた声が上がったが無視した。
街から離れた高台に居を構えて数か月ほどたって地理にも慣れてきた。
それ以前にこの街に住んでいた頃隅から隅まで調べつくした私にとって家と職場を行き来しているトゥルリエッタよりもこの街のことは詳しいと自負していた。
「おい、クロエ、お前は何をしているんだ」
「なにってトゥルリエッタを尾行してる」
「……お前いつからそんなに神経が図太くなったんだ」
半眼で睨む。
「なによ。ヴェジーだって楽しそうについてきたじゃない」
「そりゃ俺はお前の保護者だ。付いて行くのは当たり前だろう」
なにが保護者よ。
非難するのは最初だけで率先してついていこうとしていたくせに。
再度顔をあげた時目に映った人物に足が止まった。
見慣れない景色に見慣れた人物を見かけたからだ。
生きていたことに安堵して駆けだしそうになって再び足を止めた。
トゥルリエッタは知っていたの?
いつから?
じゃあ、どうしてクロエのところには来てくれないのだろう。
「あれはエリックじゃねえか」
ヴェジーは嬉しそうに喜んでいたけれど、クロエはそんな気分にはなれなかった。
「クロエ? いいのか?見失うぞ」
「……わかってる」
どうして自分には会いにきてくれないのだろう。
こそこそ隠れて会わなくてもいいのに。
∽
「……クロエ? お前ここでなにして」
久々に顔を合わせたような気がしたが場所が場所だけになにやってるんだと思っていると予想外の質問が返ってきた。
「エリックこそここでなにやってるの」
長い事あってなかったようなそんな微妙な距離感ができたような気がして、喉のその下にある部分がきゅっと痛んだような気がしてそれ以上どう声をかければいいのかわからなかった。
「どうして黙ってたの」
にじりと詰め寄られると体格差で言えば小さいはずの彼女にまっすぐに見つめられいつもはまわる口がもごついた。いつもは柔らかく向けられる双眸には静かな怒りが含まれているように感じられる。
「いやそれは、あれよ」「トゥルリエッタは黙ってて」
見兼ねたトゥルリエッタが助け舟を出そうとしてくれたがクロエにぴしゃりと跳ね除けられあっけなく口を閉じた。
助けを求めたわけではないがランタンに視線を送るとあまりの剣幕にいつもはうるさいヴェジーも黙っている。
こいつこんなにこわかったか?
見えないもので首を絞められている様な妙な威圧感がある。
「別に話す必要はないと思ったから話さなかった」
トゥルリエッタとヴェジーが息を呑んだのが聞こえたが、巻き込みたくなかったからと言っても言わなくてもどっちにしてもクロエは納得しないような気がした。
「じゃあ話して」
だがそんなことは通用しないらしい。
堅くなに譲らない姿勢のクロエの話を流すことなど簡単なはずなのに、それ以上に大きく見えて「……わかった全部話す」根負けしたのは自分の方だった。
∽
「エリックはどうなるの?」
すべて話を聞き終わった後そう訊ねると、なに俺の心配してんだ。と斜め上の答が返ってきて本当にエリックは自分の事など考えていなかったらしい。
時折、エリックは死ぬことに対して憧れのようなものがあるように感じていた。
たぶんエリックは死んでしまいたいんだと思う。それをしないのは私がいるからだ。
エリックは、私の主人を殺したから。
それがエリックの中では引っ掛かっているんだと思う。
だから、エリックに主人が重なって見えた。
自身の事など顧みない。自分自身以外の人に目を向ける。彼はそういう人だ。
「あのね、私は味方だから。エリックの味方だから。だからね、」
エリックがちょっとだけ笑ったようにみえた。
この人にどうか自由になってほしいというのはだめなのだろうか。
自身を責め続けて縛り付けて今なおそれと戦っている。
でも私が口にすればまた縛り付けてしまうかもしれない。
口にはしたもののその先が言葉にできないでいると
ヴェジーが助け舟を出してくれた。
「俺も味方だ。お前には俺たちが付いている」
「だから死ぬな。必ず戻ってこい」
「……わかってる」
∽
ああは言ったものの帰れる見込みはなかった。
というより巻き込まれていっその事死んでしまえたらどんなにいいだろうかとさえ考えていた。俺みたいな人間のどこがいいのだろう。俺みたいなのについてきてそれこそこんなことに巻き込まれて。でもそれでもそばにいてくれるというのならそれに答えたいと思う。
──エリック。
もう少しだけ、もう少しだけそばにいてもいいかなと、そう思った。
そこまで考えて意識を目の前の筐体に戻す。
トゥルリエッタから聞いていた爆発箇所にはすでに爆弾が取り付けられていた。
筐体の隅にはめ込まれたネジを来る途中に拾っておいたドライバーで開けて筐体から外構部を外すと中には幾重もの導線が出てそれに着火して爆発する仕組みになっていた。
単調な作業は嫌いじゃなかった。なにも考えないで済む。
再度ネジを使い元に戻し、慎重に壁から離していく。
爆弾は主に北西の居住地区を起点として取り付けられていた。そこは階級でいえば貧困地区だった。
あとはこれに火をつければいいのだが生憎手元には小ぶりなライターぐらいしかない。
最初だけなんとかすればいい。そうすればあとは石が坂を転がるように、なるようになる。何かないかと辺りを見渡すと縄が無造作に置かれていた。それを導火線にくくりつけて入り口まで持っていくとぎりぎり逃げられるだけの時間が稼げそうだった。
さて、これをどこに仕掛けるか。
少し考えてある場所が頭に浮かんだ。
背後のダムには並々と水が満たされていてこれが全部流れたらとてもじゃないが生きていけないだろうと思った。
もうだいぶ遠くまで行っただろうから少なくともクロエが巻き込まれることはないだろう。
避難が済んでいることを願い抱えた爆弾を地面に置いたところで 背中を蹴られ前に傾いた身体を捻って手を伸ばすと先程まで立っていたコンクリートの淵に手がかかった。
安堵したのも束の間。その横に、政府支給の黒い靴が目に入って見上げるともう二度と見る事もないだろうと思っていた顔があって「な、お前生きて」「おかげさまで」自身に向かって舌打ちをした。
「いやぁ、いい眺めだな、エリック」
「……ヴィンセント」
「お前また邪魔してるのか?」
「それはそっちだろ」
「なにが言いたい」
次第に指の感覚がなくなってきていた。
「用がないならはやくどこかに行け」
「こんな機会なかなかないからな」
嬉しそうに力を込めて踏んできたのを見計らって、開いていた方の手でヴィンセントの足首を掴んだ。
「な、てめぇ、離せ」
「誰が離すか」
足首を足掛かりに足を振り上げると淵に足がかかった。全体重を引き上げた時、肩口を弾かれ再度淵に指先だけでぶらさがる形になったのだが攻撃が続いてこないのを不思議に思い降ってきた声に顔をあげる。
「大丈夫……っ?」
そう言って寄越した手に一瞬意味がわからずにいると名前を呼ばれた。頼りなげな手だったが自分に向けられたことに感謝しつつもこの手を掴んだら一緒に落ちそうだとありありと想像できてクロエには申し訳ないが自身の力で淵から登る事にした。
「エリックは大丈夫?」
「お前馬鹿だろ」
「いや、待とうとは思ったんだよ、思ったんだけどヴィンセントの後ろ姿が見えたから気になって」
結果的にエリックも助かったし。とこちらの表情を読み取って慌てたように付け加えていた。
「あのな、お前は……あーくそ」
盛大にため息を吐いてはみたがその中には安堵からくるようなものもあったような気がしていた。
クロエがいてくれてよかったとそう思っていた。
∽
「お前ひとり?」
「トゥルリエッタもヴェジーもいるよ」
背後を振り仰ぐとトゥルリエッタに飛ばされたヴィンセントが瓦礫の下から起き上がってくるところだった。
「あいつ死んだんじゃなかったの」
「だと思ったんだけど」
「相変わらずしぶといやつね」
トゥルリエッタはヴィンセントを一瞥するとどうでもいいというように言い放った。
「なんだ、つれないなぁ。ん? ああ、クロエじゃないか!」
あからさまに嫌な顔をしたらにぃっと口の端をあげて面白そうに笑ったのを見て「ばかね、相手にしないの」とトゥルリエッタがはっきり言い放った。
「ああいうのは関わるなクロエ」
「なんだ冷たいなぁ。一緒に戦った仲じゃないか」
「いつの話を言ってるんだ」
エリックは苦虫を潰したような顔をしていて心底嫌そうに目を細めていた。
「トゥルリエッタ」
「なに」
「逃げられそう?」
「……あんたはどうするつもりよ」
「あれなんとかしないと」
「……あんたばかでしょ」
クロエが知ってるエリックなんてほんの少しで、クロエがふたりの話に入れないのは当たり前の事だった。
「勝算はあるんでしょうね」
「……たぶん?」
「これ、使いなさい」
「さんきゅ。クロエを頼む」
エリック?
「エリックは、どうするの?」
「俺はこいつに用がある」
「エリック、エリック、嫌だ、エリック!」
「クロエ」
どうしてエリックがそんな事をしなくちゃいけないの。
「クロエ、聞いて」
いくら駄々を捏ねたところでこれはどうにもならない事で、首を振って拒否しても意味を持たない事はわかってる。これはエリックを困らすだけだ。でも。
「でもそれがどうしてエリックなの」
「あいつは、仲間だったから」
「もう仲間じゃないのにどうして」
「なんでだろうなぁ」笑って答えたそれがすべてだと思った。
世界からすべての音が消えたような気がした。
柔らかい彼の声が耳を包み込んで聞こえるのはエリックの声だけ。
「クロエ、帰ろう。一緒に」
それはほんの数秒でエリックはもうこちらなど見ていなかった
柔らかい声で名前を呼ぶ彼にはもうこれから先会えない。そんな別れの挨拶に見えた。そう思うとしゃくりあげてきて嗚咽で顔が見えなかった。遠くに消えてもう会えないと思ったら口を開くことができなかった。
「トゥルリエッタ、頼む」
「わかった」
有無を言わせずふたりで会話をされてトゥルリエッタに肩に担がれて視界が反転してエリックと同じ視線になってからクロエは事態が呑み込めた。
もうエリックはこっちを見てはいなかった。
「まって、嫌だ、行かないで」
口を開くごとに遠くなっていく気がして、手を伸ばすのをやめた。
エリックは言ったから。
一緒に、帰ろうって。
約束してくれたから。
今はそれを信じていたい。
∽
「クロエだったか。そんなに大切なのか?」
ふと興味が湧いた。
なにに対しても無関心だったこいつが興味を持ったものに対して。
「だったらお前を殺した後でちょっと遊んでやるか。どんな反応するだろうな、お前が死んだって知ったら。それともクロエから殺して」続けて言い連ねてやろうかと思っていると間髪いれず両膝目掛けて引き金を引いてきて身体が地面に崩れ落ちたがそんなことよりもこいつのその反応に痛みなどどうでもよくなった。
これは面白いものが見れた。
どうやら随分ご執心らしい。
こいつが自覚しているよりもおそらくずっと。
「そんなに大切なのか? あんなガキのどこがそんなにいいんだ。ああ、そうか、俺がクロエを可愛いがってやるよ。それかどこぞの男に売ってやるのもいいなぁ。どんな声で」
不快そうに目を細めていたが、それがおもしろくて続けて言い連ねようとすると「もう黙れ」唐突に銃口を喉元めがけて打ち込んできた。
こぽりと喉から血の塊が溢れ呼吸ができず咳き込んだ拍子に隙間風が入り胸に激痛が走った。
吐いた血が髪に侵食し視界の一部が赤く染まっていた。
どうやら気に障ったらしい。
どこにそんな要素があったかと考えては見るが浮かばず、軍にいた時でさえ揺れなかったこいつの感情が自身に向けられていると思うと口元が弧を描いた。
引き金を引いたのはこいつのはずだが同情めいた視線を向けられ、最期に聞くのがこいつの声だということに最大限の舌打ちをしてやると嫌そうな顔をして目を逸らしていたので妙に良い気分になった。
短く悪態を吐く悲痛めいた声が消え入るようにもれて顔を掌で覆った姿はわずかに揺れていた。それがヴィンセントが最期に見た光景だった。
「同情なんてするんじゃねえよ、ばー……」
エリックに届いたかはもうヴィンセントには判断することはできなかった。
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