八尺様

第一話

 あれは、珍しく桜前線の北上が遅れた春の入学式の話――


 俺の新生活の門出を、これでもかと祝ってくれるように咲き誇る満開の桜の樹の下、軽い足取りで学校まで歩いていたときの出来事だ。

 春の季節に落ちる雷を、人は古来から春雷と表現するが、雲雀も天高く飛ぶ陽気な通学路で、突如としてつむじから爪先までを電撃が突き抜けていったのだ。

 その衝撃ときたら一瞬視界が真っ白になるほどのもので、意識が回復するとその原因が判明する。


 やはりあの努力は間違いではなかった――


 中学までのつまらない日常から脱するべく、青春をラノベのように恋愛に捧げんと高校受験の荒波を乗り越え、今日という新生活を心待ちにしていたのだがまさかこんなにも早く主役ヒロイン級の女神ミューズと邂逅を果たすとは思いもしなかった。


 その女性は、校庭をぐるりと囲うフェンス沿いに、一人ぽつねんと頭上を見上げる形で佇んでいる。

 視線の先は、世界を覆うようなピンク色の花弁はなびらに彩られ、万の桜に負けない微笑みをたたえる名も知らぬ彼女は、一枚の絵画から飛び出してきたような完璧な美貌の持ち主だった。そう凡人に想わせるのに十分過ぎる光景に、俺はただ生唾を飲み込むしかできずにいた。


 あのも美人の類いには入るが、あれはそもそも人間ではない。そしてここまで美しくもない。


「あ、あの……」


 気付くと、無意識のうちに彼女に近づいて、自分から声をかけていた。

 自分から声をかけておきながら、顔に熱が帯びていくのを即座に感じた。


「なにかしら?」


 黒髪を南風にたなびかせて振り向く彼女の美しさに、既にKOされそうだったが意を決して会話を続ける。


「あの……桜がとてもお似合いですね」


 ――よし!言ってやったぞ!

 心の中で勇気を振り絞った自分に最大限の賛辞を贈っていると、しばらくキョトンとしていた彼女は、言葉の意味に合点がいったようで満面の笑みを浮かべた。それはもう例えようのない美しさで。


「ありがとう。この大好きなの」


「僕もこの桜の樹は好きですよ。なんというか……歴史の重みを感じさせるというか。そこに散りゆく花弁の儚さが合わさって――」


「違う違う。解釈が違うわよ。私はこの桜の樹の成り立ちが好きなの」


 話を合わせようと試みたものの、突如彼女は機嫌を悪くしたようで、可憐な笑顔が鳴りを潜めてしまった。


「は、はぁ……成り立ちですか」


「そうそう。それに私はこの学校が大好きなの。貴方にもわかるかしら?この学校の魅力が」


 いかん。マイナスを挽回しなくては――そう思って、意味がわからない問いにイエスマンに成り下がる。


「はい!この学校が大好きで入学を決めたんです」


「あら、なかなか見所があるじゃない。私は神楽坂麗子。二年生よ。じゃあまたね」


 そう言うと、校門まで残り数十メートルだというのに、横付けした黒塗りの高級車に慣れた仕草で乗り込むと、大排気量のエンジン音を轟かせて去っていった。

 何処かのお嬢様なのだろうか。


 排気ガスの残り香だけ残して去っていった彼女は、春の陽気が俺に見せた幻じゃないか?

 しばらく呆けて立ち竦んでいると、遠くにチャイムの音が聴こえ、始業式早々にダッシュで駆け込まなくてはならなかった。

 よくわわからないが、さっきの車に乗せてもらえば良かったな。


 その時、俺は気づきもしなかった。


 とこからか、おかしな声が聴こえることに。




 ぽ ぽ

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