件《くだん》

第一話

 オレ達が当たり前のように暮らしているこの平和な世界というのは、気紛れな天秤の上に乗っかっているにすぎない。

 突如として、なんの前触れもなく、嘘のように、滑稽なほど、それまでの「当たり前」をことごとく塗り替えてしまう。

 そして、人間といい生き物は、その事実を取り返しがつかなくなったとき、手遅れになってからようやく気づかされるものだ。

 失ってから初めて気がつく――それだけのことを決して学ばない。忘却する生き物。高等生物が聴いて呆れる。


 例えば、世の中には知らなくてもよいことがたくさんあることはわかるだろう。

 その事実を知らなければ、凡庸かもしれないけれど、すくなくとも平凡で平穏な生活を送れていたかもしれない。上り坂がない代わりに、下り坂も存在しない。突然足元が崩れるような、不幸に見舞われる可能性は少ないだろう。


 それなのに、愚かな人間は無意識のうちに自ら危険に近寄っていく。誘蛾灯に招かれる羽虫のように。

 それが奈落の底へ向かう真っ暗な穴だとしても。

 かくもおかしく、救いがたい生き物。人間とは、怖いものほど見たがる不思議な生き物である。

 こちらが深い闇を覗こうとすれば、闇もまた、こちらを覗いているということすら理解せずに――


 閑話休題――


 話を戻そう。部長は膝から崩れ落ちていた。

 制服のスカートが泥で汚れるのも構わず、現実を否定するように頭を抱えて泣き叫んでいた。

「こんな現実なら知りたくなかった!」

 そう繰り返し叫びながら、自らの犯した愚かな行為を後悔しながら。


「なんで……なんでこんなことになるのよっ!私は……私はなにもしてないのにっ!」

 泣きじゃくる部長の肩に手を添えると、彼女の小さな肩は震えていた。せめてもと優しく声をかける。

「部長……残念ですが、もうどうにもなりませんよ……」


 とうとう外では雨が降りだしたようで、先輩の叫び声も次第に強くなっていく雨脚にかき消されていく――

 二人を包む絶望の空気はより濃くなり、息苦しくなる。時間が経つごとに部長の華奢な体に重くのし掛かっていた――


「う、うう……どうして……どうしてなのよ……」

 本当に……どうしてこんなことになってしまったのだろか。



 遡ること数時間前――

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