猿夢
いつだって守ってみせる
「――イテテテテ……あれ…ここどこだ?」
割れるような頭痛を感じて目を覚ますと、そこは使い降るされたシングルベッドの上ではなく、というか自宅ですらなく、どういうわけか、見覚えのない駅のホームにオレは立っていた。
――これは……夢か?
「あ……もしかしてこれって
ついさっきまで寝ていたことを覚えているという事実、それに、今目にしている光景が夢であることを自覚していた。
以前、先輩が自慢げに語っていた明晰夢についての会話の内容と、ピタリと当てはまる。
「これが夢なのか……しかしまぁ……夢にしては随分とリアルなんだな」
肌で感じる空気も、辺りに漂うホコリっぽさも、いちいち五感が感じとるリアルさに、一割の好奇心と九割の困惑がのし掛かってくる。
先輩ならきっと跳び跳ねて喜ぶ場面なんだろうが、あいにくオレはまともな神経の持ち主であって、なんてこったと頭を抱えてしゃがみこんだ。
普段は部活であれほど厄介事に巻き込まれているというのに、どうして夢の中でさえオレは休ませてもらえないのだろうか。
「なんだよ……マジで勘弁してくれよ……そもそもここどこなんだ?」
予期せず訪れることになってしまった夢の世界は、見渡す限り、どうやら夢というにファンタジー的な要素は皆無であった。
どこの駅なのか、鉄オタでもないオレには知る術もないが、周囲を見渡そうとしても辺り一帯を覆う暗闇のせいで何も見えず、ホームの屋根に取り付けられた途切れ途切れに点滅している蛍光灯以外に、辺りを照すような光源となるものは一切確認できない。
駅員もいなければ、オレと同じようにホームにたっている人間もいない。
耳を澄ましても物音一つせず、聴こえてくるのは、いつ切れてもおかしくない照明が明滅する音だけ。その音だけが嫌に鼓膜に響いていた。
なんとも言えぬ不気味な雰囲気のせいで、夢の中だというのに眠気が醒めるという貴重な体験をしつつ、このような状況にも関わらず一応は先輩への話のネタにはなるかなと思い、無理矢理現状を受け入れることにした。
どうやらオレもだいぶ現代怪異研究部に毒されてるようだと、肩を落とす。
何か手がかりはないかと辺りをキョロキョロ見渡していると、ホームの奥の向こう――黒一色の闇の中から、火の玉のように浮かび上がる照明が迫ってきた。
どうやらそれは電車の先頭車両のヘッドライトのようだったが、それがどこで運用されている列車で、また、どの年代のものなのかは把握できない。あちこち塗装が剥がれたその車両を見るに、軽く見積もっても数十年以上昔の車体だとしかわからなかった。
誰一人として存在しない無人の駅。
そこにやって来た明らかに年代物の電車。
明らかにヤバい空気が漂っていた明晰夢だが、耳障りなブレーキ音を発しながら停車した電車の扉から、一歩、慎重に足を踏み入れると、その車両のなかには虚ろな表情の男女が一列に座っていたのが確認できた。
もちろん全員見かけたこともなければ、年齢や性別もバラバラ。共通点をあげるとすれば、焦点の定まらない瞳と、マネキンのように表情がなくなっているというところだろうか。
表情どころか、感情すら感じ取れない。
そして――その乗客のなかに、なんと我が現代怪異探索部部長の神楽坂麗子先輩まで座っているではないか。
これが朝の電車内であれば、その出会いにときめきもするのだろうが、残念なことにここは薄気味悪いオレの夢の中だ。
「ちょっと先輩。こんなところで何してるんですか」
「――」
顔を伏せている先輩に声をかけては見たものの、無視するかのように返事が返ってくることはなかった。
「先輩……?」
全く反応を示さないので下から顔を覗くと、どうやら幸せそうに寝息をたてて寝てらっしゃったようだ。
――人の夢の中でこの人は何をしてるんだろう。
何度揺すっても起きる気配のない先輩に困惑していると――
「次ぎは~活けづくり~活けづくり~」
「はぁ?なんだそりゃ」
ノイズが酷いスピーカーから、いささか不穏すぎるアナウンスが流れると、車電車はゆっくりと動き出す。
すると、車輌の後方の扉から、
その猿達は何が面白いのか、ウッキッキと楽しそうに跳ね回りながら先輩の二つ隣、OL風の女性の膝の上に飛び乗ると、さらにけたたましく鳴き始める。
「キィキィッ!」
「ウキキィッ!」
「ウキャキャッ!」
なんと猿達は、手にしていた刃物で女性の体をギコギコと、まるでマグロの解体ショーを披露するように細切れにしていったのだ。
手慣れた作業のようで、人一人を全て切り終えるまでさして時間はかからなかったように思う。
オレはただ、そのショーを見てるしかできなかった。
「先輩!起きてくださいってば!」
目の前で突然起こった惨劇に、辺り一面血の海となった。猿達はその上を水溜まりにはしゃぐ子供のように跳び跳ねている。
自分の夢ながら、その悪趣味さに吐き気がした。普通なら吐いてもおかしくない状況だろうが、冷静に見ていられるのはこれが夢だからだろうか――
「次ぎは~えぐり出し~えぐり出し~」
「うえっ。まだあるのかよ」
目の前で人間の活作りを見てしまっこともあり、次は何をえぐり出されるか容易に想像してしまった。
再び奥から現れた猿達は、先輩の隣に座っていたサラリーマンの膝の上に飛び乗ると、手にしていたスプーンを振り回しながら奇声をあげて跳び跳ねる。
そのスプーンを何に使うのか、薄々予感していると、なんの躊躇もなくその男の両目にスプーンを突き刺し、これまた楽しそうにえぐり出したのだ。
ポン――
シャンパンのコルク栓を抜いた時の音がした。
勢いよく飛び出した二つの目玉が、振動でコロコロ床の上を転がる。持ち主を失った黒目と目が合い、思わず顔がひきつった。
――おい……待てよ。これって順番的に次は先輩の番になるんじゃねえか?
座っている順番で猿達の拷問の餌食になると仮定すると、次は両目を抉られて事切れているサラリーマンの隣、愛すべき先輩の番になってしまうではないか。
そう予感したオレは、いまだに起きる気配のない先輩を必死に起こしにかかるが、何度体を揺すっても頬を叩いても、一向に目を覚ますことはなかった。
「う~ん。むにゃむにゃ……もう食べられないよぉ……」
「この危機的状況でベタな寝言言ってる場合じゃないですよ!!」
どうしたらこんな状況で幸せそうに寝ることが出来るのだろうか。
いったいどんな神経してんだと憤慨しながら揺さぶり続けるも、その間にあの不気味なアナウンスが流れてしまった。
「次ぎは~挽肉~挽肉~」
あ、これは不味いやつだ。
奥から見たこともない機械を押した猿が、こちらに向かってジリジリと近寄ってきている。
その未知の機械を、ナニに使うかなど考えたくもない。
「先輩っ!起きろって!」
「ぐーぐー」
「あークソッ!もうやるしかねぇじゃねぇか!」
この場から逃げるために、先輩を抱えて逃げるという選択肢もあるにはあるが、この場から逃げたからといって、本当に夢の世界から逃げ切れるとは限らない。脱出方法など知らないのだから。
そもそもオレの夢の中で訳のわからない猿なんかに好き勝手されるのも
オレのことを好き勝手に扱うのは、誰かさん一人で十分なんだよ。
だから、得体の知れない怪異に、せめてやれるだけ抵抗を試みることにした。先輩が寝ているのも都合が良かったし。
――持っててくれよ。
そう念じながら懐を探ると、幸いにも護身用として持ち歩いていた、人形の
形代を取り出して猿どもに向ける。
――しょうがないよな。先輩を助けるためだ。
平穏な学生生活を歩むため、夢見た青春を手に入れるために、もう二度とその名を唱えることはないと決めていた名前を唱える。
「来い!
すると、形代は瞬く間に天女のような美しい女へと姿を変え、オレの目の前に姿を現した。
主の命により数年ぶりの再会を果たした貴人は、皮肉るように振り向いて士朗に告げる。
「あら~ずいぶん久しぶりじゃないさ。確かもう陰陽師は辞めたって言ってなかったかしら?」
主が危機的状況だというのに、姿を
――そういえば、貴人ってこんなヤツだったな、と呼び出してから思い出す始末。
なにせ呼び出すのは、小学四年生に修行を辞めて以来実に五年振りであったし、すっかり貴人の性格など忘れていたのだから無理もない。
こうして皮肉をいうくらいなら可愛いげがあるものだが、
「下らない話は後にしてくれ。それよりあの猿を追っ払ってくれないか」
「サル?……ちょっとなによあの小汚ないサルは。ていうかあのくらい自分でなんとかしなさいな……それより」
「なんだよ」
それまで見かけ上は柔和だった貴人の目付きが、途端に険しくなる。
「その『女』がよっぽど大事なようね」
「は!? な、なに言ってるんだよ。そ、そんなことあるわけないだろ」
「式神と主は精神的に繋がっていることを忘れてるんじゃない?いくら隠そうとしたってバレバレよ。まぁ久しぶりに呼び出してくれたことだし、変な
これではどちらが主なのかよくわからない。
昔から親父には、再三小言を言われていた式神との力関係だが、どうやら今も昔も上手くはいかないようだ。
貴人は執行猶予を宣言すると、手にしていた扇子を横に振らう――羽虫を追い払う程度の動きで、それだけで猿達の姿は消し去ってみせたのだ。
相変わらずの強さだ――そう感心していると、主の命を見事遂行した貴人は、なぜか苦虫を噛み潰したように顔をしかめていた。
「どうしたんだ?」
「うーん……どうやらあのサルに実体はないみたいね。まるで手応えがなかったもの」
「……どういうことだ。つまり倒してないってことか? それじゃあまた夢に出てくる可能性も……」
「あるかもしれないわね。アレは倒すとか倒せないとか、そういう存在ではないみたい。随分と執着心が強いストーカーみたいなものかしら」
「マジかよ……」
猿が消え失せると、次第に目蓋が重くなっていった。
どうやらこの悪夢からとおサラバできるようだ。
「そういえば、その女のことだけど」
「そろそろ夢が醒めるみたいだからまた今度な」
「あ、待ちなさいっ、士郎!」
尚も食い下がるように問い詰めてくる式神を形代に戻す。
これ以上面倒に巻き込まれるのはごめんだ。
やっとこの悪夢から解放される――そう安堵した瞬間、現実の世界でハッキリと聞いてしまった。
「逃げるんですか~?次はありませんよ~」
もし、また先輩がこの夢を見てしまったらどうなってしまうのか。
そのときは、また夢の続きが始まってしまうのだろうか。
そうだとしても、オレがまた先輩を守ってみせる。
何度だって、何度だって――
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