第三話

 

 

「ああ……数少ない憩いの場所がなくなってしまった……」

「そんな頭を抱えてないでさ、前を向こうよ。人生は下ばかり見ててもしょうがないんだしさ」

「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!」

 先輩だけならまだしも、まさか二人して図書館を追い出されるとは思わなかった。

 人生で初――いわゆる「出禁」だ。



「――はぁ……もういいです。で、先輩は今回のネタにナニか目星めぼしはつけてるんですか?」

「ええ。一応はね」

 オレと部長は、いかにも高級そうな革貼りのシートに腰かけていた。

 振動を全く感じさせず、車内に置かれたコップの中の水が、微かに揺れるのみ。

 高校生が乗車するには、あまりに不釣り合いな乗用車の後部座席は、自宅の軽自動車の薄いシートとは比べようもない心地よさだった。

 なんなら薄いマットレスよりも心地よかった。

 そして定番の運転手付きときた。


「それにしても、この車の乗り心地ヤバイですね。ウチの軽自動車がいかに庶民の乗り物なのか痛感させられますよ」

「そうかしら?これもだいぶ乗り潰してるから、御父様もそろそろ買い換えようって言ってたわよ」

「……はぁ……そうですか」

 新品同様にピカピカなのだが。



 普通の乗用車と変わらないわよ、と謙遜けんそんする部長には悪いが、こっそり検索してみると、なんとも恐ろしい高級車であることが判明した。日本に一桁しか輸入されていない高級車。

「二、二千万……だと!?」

 もはや家じゃないか。

 この人はいつもオカルトとは関係ないところでオレを恐がらせてくる。


 ご存知のとおり、先輩の実家は超がつくほど金持ちな上に、その一人娘がお金に無頓着むとんちゃくときている。

 現代怪異研究部の活動には湯水ゆみずのごとくお金を浪費ろうひし、そのクセほとんどがオカルトコレクターなる不審者にカモにされているのだ。

 神楽坂家は根本的に金の使い方がおかしい。

『そうだ。京都へ行こう』くらいのノリで、どこまでも出掛けてしまう。オレを無理矢理引き連れて。使用人か何かと勘違いしているのでは?と近頃特にそう思うようになっていた。



 まったく振動を感じさせない後部座席から車窓の外を眺めると、いつの間にか辺りは緑の密度が増していた。標識には神奈川の郊外こうがいの市名が表示されている。どうやらかなり走っていたようだ。

 外を流れる鬱蒼とした木々を見つめながら、浮かれている先輩と憂鬱な気分のままのオレを乗せた高級車は、目的地へ向かいひた走っていた。



「で、その目星とやらを教えてもらってもいいですか」

「あくまで私の推察だけど、これはとても珍しい妖怪が生まれる前兆だと思うの」

「はぁ……でも、出産前に気が高ぶったりしてるだけかもしれないですよ?」

「まあ、それもなくはないけどね。でもね、特に病気にかかったこともない牛が、妊娠を気に気が触れたようにおかしくなったという事例は、数こそ少ないけど年代問わず全国各地に存在するの。それが大体、似通った症状なのよね」

「目が血走って突然暴れたり、人間のような叫び声をあげたりですか?」

「そうね」

「いったい何が生まれるって言うんですか」

「ふふふ……生まれてからのお楽しみよ。ああ……早く出産に立ち会いたいなぁ」

 うっとり顔で悪巧みを考えている先輩の横顔……悔しいけど可愛いです。



 長いこと山道を走っていくと、やっと目的地の牧場に到着した。

「ようこそ。君が突拍子もない依頼を申し込んできた高校生だね。約束の雌牛は奥の牛舎にいるから、いくらでも好きに見ていっていいよ」

 ぬかるんだ地面に降り立つと、オレたちの到着を待ち構えていたように牧場主のオジさんが出迎えるように待ち構えていた。

 自分の仕事で忙しいだろうに、ずかずかと乗り込んできた高校生にたいして、自らへりくだるように大人の対応してくれるオジさんには、好感が持てた。


「ご丁寧にありがとうございます。これ……父からですけど、少ないですがということでお納め下さい……」

「え……先輩……なに渡してるんですか」

 なにやら不穏なセリフを吐いた先輩は、スクールバックの中から、おもむろに厚揚げと勘違いするほどの分厚さの封筒を取り出してオジさんに手渡した。

「いやぁ……すまないね。ウチの牧場も経営が厳しくて……はは。ひぃ、ふぅ、みぃ……これで助かるよ」

「いえいえ。世紀の大発見に立ち会えるのですから、このくらい安いもんですよ」

 嫌だ、なにこの先輩。怖いんですけど。

 

 せっかくイイ人だと思っていたオジさんも、握りしめた封筒の中身を確認すると、涎を垂らさんばかりに興奮し、あっという間に守銭奴に姿を変えてしまった。

 お金のために女子高生に媚びへつらっていただけなのか。

 お互いニコニコしながら握手を交わしているが、手渡した封筒の厚さは四センチほどあるように思える。

 待てよ……確か百万円が一センチ位の厚さになるって聞いたことあるぞ。

 ということは、つまり……うん。深くは考えないでおこう。考えるだけバかを見るのはこちらの方だ。

 お化けよりこの女子高生のほうがよっぽど怖いわ。



「さて、それじゃあ牛舎に行きましょうか」

「はいはい」

 封筒の中身を下卑げびた笑顔で指折り数えているオジさんの横を、颯爽と歩いていく先輩の後についていった。



「流石に匂うねー」

「これは……確かに慣れてないと辛いですね」

 薄暗い牛舎に立ち入ると、普段嗅ぎ慣れない独特な臭いが鼻を刺激した。

 都会で育った身としては、正直しんどい環境である。ハエもブンブン飛んでるし。

「さっさと目当ての牛の様子見たら帰りましょうよ」

 お嬢様ってなんだっけ?と疑問に感じるほど、先輩は臭いもなんのそのと牛舎の奥に突き進んでいく。その背中に声をかけるが、返事はない。


「ここが行き止まりみたいね……」

「明らかに何かを閉じ込めてるような扉がありますね……」

 牛舎の一番奥まで歩いていくと、さらに扉が一つ確認できた。

 普段目にすることのない大きさの南京錠で堅く閉ざされ、外部の人間が立ち入れないようにされている。


 おお~ん


「部長……オレの聞き間違いでなければ」

「扉の向こうから『人間の』叫び声が聴こえるわね」

「ですよねぇ……」


 事前に預かっていた鍵を南京錠に挿して回し、解錠する。すると、扉の隙間から鼻を覆いたくなるような強烈な臭気が漂ってきた。

「本当に中に入るんですか?」

「モチのロンよ」


 本当に、本当に仕方なく暗闇の中に足を踏み入れると、開かれた扉からうっすらと光が差し込む室内の中心に、一つ檻が置かれていた。鉄製で一見するととても頑丈に見える。

 そのなかに、例の牝牛が鼻息を荒くして横たわってた。近寄るものすべてを攻撃の対象として見ているような雌牛が、檻の中に敷かれた牧草の上に横たわっていた。

「コイツが例の牛ですね。明らかに興奮してますよ」

 時折、柵越しに立っているオレにすら敵意をむき出しにして襲いかかってこようとしていた。

 もし檻がなければ襲われていたことだろう。


「社長さん曰く、今日中に生まれてもおかしくないみたいよ」

「……まさか子牛が生まれるまでここにいるなんて言わないですよね?」

「そんなの当たり前じゃない。ことわざにもあるでしょ?『据え膳食わぬは男の恥』って」

 それは意味が全く違うし、この場で使うには誤用が過ぎますよ部長。


「大丈夫だよ。牛から生まれてくる奴なんて、しか考えられないから。危険なものじゃないから安心して

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