花子さん

第一話

「ふあぁぁぁぁ……眠い」

 何度繰り返しても止むことのない盛大な欠伸と、一夜にして出来てしまった目の下の真っ黒なくまは、昨夜の睡眠不足をなによりも雄弁に物語っていた。

 

 別に若さにかまけて夜更かしをしていたわけではないし、時間も忘れてゲームに熱中したわけでもない。

 友人としょうもない内容の長電話をしたわけでもなければ、はたまた真面目に勉強に取り組んでいたわけでもない。

 いや、勉強はちゃんとやるべきだけど、睡眠不足に陥るまで無理をしないのがオレのポリシーだ。

 まぁ……とにかく尋常ではない睡眠不足で体がとてつもなくダルいわけで、今日一日はゆっくりと過ごしたいものだと願っていたのだが、やはり人生はそのように甘くは出来ていなかった。


 栄養ドリンクを飲みながらヨロヨロと歩いていると、加減というものを知らない誰かさんが、勢いそのままに肩を叩いてきた。

 お陰で肩間接を脱臼しかけたぞコノヤロー。


「おっはよー土御門君。怖い夢でも見れたかな?」

 太陽の陽射しも陰ってしまうほどの笑顔で尋ねてきた先輩は、常人には理解できないゲテモノ趣味のようで、悪夢でさえ好物のようだった。

 普通は可愛い後輩が暗い顔をしていれば、心配の一つや二つするだろうに――

 それどころか、ワクワクした顔で怖い夢を見れたか尋ねてくるところが、この先輩が普通ではないことを証明している。

 もう諦めろ。まともな『アオハル』なんて期待してもむなしいだけなんだから――

 心の中のリトル土御門がそう囁いていた。



 容姿だけなら、誰もが振り返る美貌の持ち主だというのに、口を開けば素敵な笑顔も台無しになるような怖いことをいうこの人は、俺の先輩でもあり、現代怪異研究部部長でもある神楽坂麗子先輩せんぱい。高校二年生だ。

 様々な怪異現象にオレを巻き込んでは、謝罪の一つもしない、それはそれははた迷惑な先輩だ。



「あれ?その隈どうしたの?」

「ああ……ちょっと悪夢を見てしまって」

 部長は、恐る恐る顔を覗いてきた。

 良かった……さすがにポンコツな先輩とはいえ、まだ人の体調を心配するくらいの道徳心は残っていたか――

「えー良いなぁ。羨ましいなぁ。どうして先輩で部長でもある私を差し置いて悪夢を楽しんでるのかしら」

 ですよね。わかってましたよ。これぞ安心のクオリティー。これこそ我れら現代怪異研究部部長の真骨頂ですよ。

 後輩の安否など知ったこっちゃないんですよね。


「何言ってるんですか。夢で合羽橋でも手に入らないような巨大なフォークやらスプーンを振り回した猿やら、大木を切断するようなチェンソーを振り回す猿やら、得体の知れない機械を持って追いかけてくる猿やら、とにかく恐ろしい化物に襲われかけたんですよ。こちとら命を懸けたスリル満点な悪夢から無事に生還したというのに心配の一つくらいしてくれてもいいんじゃないですか」


 酷い悪夢というのは本当だった。命からがら生還したというのも誇張ではない。

 こんな不幸なオレは、土御門四朗。高校一年生。人より霊感が強い男子高校生だ。

「えー土御門くん猿夢見たの!? いいなー 私も見たかったなー」

「あんなイカれたクレイジーなモンキーに襲われた日には、二度と目を覚まさなくなること確実ですよ。それより先輩はよく眠れましたか?」

「私?それはもう十時間睡眠よ」

 偉そうに言うが、現代においていったい何時に床に就けばそれだけ寝れるというのだろうか。

 というか、いつになったらまともに勉強をするようになってくれるのだろうか。

 部長が無事に進級できているのは、大金持ちでもある神楽坂家の圧力が学校側にかかっているからではないか、という噂がまことしやかに流れてるくらいだが、本当にそのくらいのことはやりかねない。

 まあ、部長が悪夢を見ずに済んだのなら良かったけど――



 それにしても……オレが夢見た『アオハル』とはほど遠い学校生活であることには間違いなかった。

 いつも出会い頭に悪夢を見たかどうかの確認から始まるし、女子高生JKが大好きな恋バナなんて、一瞬たりとも先輩の口から飛び出すことはないのだ。

 なぜなら、彼女は恋をしてるのだから――

 本来男子に向けるべき慈愛顔も、今日も魑魅魍魎ちみもうりょうたちに向けられるのだろう。


「そうそう土御門くん。今日放課後に時間作れるかしら」

「今日って部活は休みじゃありませんでしたっけ?」

「そうなんだけど……実は話したいことがあってさ……放課後に旧校舎裏に来てもらえるかな?」

「え?」

「あ、いや、どうしても無理だっていうのなら別に構わないよ。また日を改めて――」

「いや、今日で構いませんよ」

「本当? それなら良かったわ」

 先輩はうつむきがちに、だけど嬉しそうに呟くと、足早に校舎の中へと姿を消した。


 舞台は暗転――スポットライトがオレを照す。


「え~皆さんお気付きでしょうか。あの怪異にしか興味がない神楽坂先輩が、意味深な一言を残して去っていったのです。なかなか手強い相手でしたが、やっと射止めることができました。以上、土御門士郎でした」

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