第二十三揺 嵐の古城


「『クレイドル』……って、なんだよ、それ……しかも、ここで死んだら現実でも死ぬ……?」


 にわかには信じがたい事実を前に、穂乃美の思考は一時的な停止状態に陥る。


「嘘……っしょ?そんなの…だって…」


 マンガじゃあるまいし、と一蹴することは簡単だ。それで現状が覆るのなら、そして、このリアル過ぎる夢に説明がつくのなら、穂乃美とてそうしただろう。

 だが、彼女を包み飲んでいる今の雰囲気が、その言葉の真偽を物語っている。張り詰めた空気感、口を噤んだ全員の真剣な顔が、空気の読めない馬鹿を自覚している彼女でも分かるぐらいに、それが嘘でないことを表していた。


「い、意味わかんないし……死ぬ?あーしが?こんな、意味わかんない世界で、意味わかんないまま死ぬってこと?」


 顔が引き攣っているのが自分でも分かる。

 場にいた男の一人が、穂乃美の顔を見ないままで返答した。


「……そーだよ。俺たちだって、嘘だって思いたいけど…実際に死んだ人がいるし」


 実際に死んだ人がいる。

 その情報だけで、穂乃美の冷静は打ち壊された。


「ふっ……ふざけんなよ!イミ分かんないし!死ぬとか、ふざけんな!とっとと出せよチクショウッ!!」


「なっ……!?馬鹿かお前!そんな大声出して化け物が来たらどーすんだよ!静かにしてろ!」


「はぁ!?指図すんなし!てか何、あーしに何か文句あるわけ!?口臭ェんだよ、黙ってろブス!」


「はぁ?!こいつ……なんて生意気な……!女だから手は出されないって考えてるなら大間違いだぞ!俺は男女平等参画思想を持ってっからな!?」


「なにそれ、キモっ!こっちに近づかないでくれる?!ブスが移るじゃん!」


「こ、このアマっ……!」


 穂乃美にとっかかろうとした男を見て、両腕でガードしようとしたその時。


「静粛にぃぃぃぃぃぃぃぃいいいッッッ!!」


 壁際にドッカと座っていた男が、とてつもない爆音でそう叫んだ。


「静かにするんだ、君達!仲違いは良くないぞ!あぁ、良くない!それではこの世界で生き残れない!さぁ、仲直りの握手だッ!」

「な、なにコイツ!?キモいんですけど!…あ、ちょっ、腕掴むな!」

「む?あぁ、それがしの名前か!?すまないな、まだ言っていなかった!」

「いや聞いてねぇし!?てか離せって……いや力強ッ!」


 握手させようとしているのか、穂乃美の腕と言い争っていた男の腕を引っ張ったため、穂乃美は手を引きはがそうと画策するが、岩のようにゴツゴツした手は穂乃美の抵抗にびくともしなかった。

 穂乃美も人のことを言えた義理ではないが、一切人の話を聞かない男だ。勝手に名前を聞かれたのだと勘違いし、穂乃美の手を放し、親指を立てて自己紹介を始めようとする。

 男が自分から離れて、穂乃美は初めて彼の服装に意識を向けた。


 逆立った髪の真下に頭襟ときんをつけ、玉のような装飾が特徴的な、いわゆる結袈裟ゆいげさを首から垂らしている。足袋たび最多角念珠いらたかねんじゅ、手甲を身につけた姿は、見るものによっては烏天狗を彷彿とさせるだろう。

 足元に転がっていた錫杖をつま先で蹴り上げて掴み、カン、と地を打った男は、胸を大きく張って高らかに言う。



それがしの名は、山門やまかど鳩助きゅうすけ!ハト、と呼んでくれたまえ!」




 ***




「でさ、煌マル。こっからどうすんの?」

「他のメンバーとの合流を目指します。連絡手段があるといいんですが……あと、その呼び方やめてください」

「えー!いいじゃん、煌マル!あーしは好きだけど」


 目を細め、眉を少し下げて反応する煌。どうやら、お気に召さなかったらしい。ならば、と背負われたままの穂乃美はいくつかの提案をする。


「じゃあさ、『ナイト☆煌』と『トゥインクル☆煌』と『トリック☆煌』のどれかから選んでよ」

「……選択肢の意味を成していませんが」

「え、なんで?」

「……もう、煌マルでいいです」


 諦めたように呟く煌を見て、満足げにする穂乃美。

 ちなみに現在、穂乃美は煌におんぶされた状態である。穂乃美は足の負傷で動けないため、煌に背負ってもらう形になったのだ。最初はお姫様抱っこをされそうになったのだが、穂乃美の必死の抵抗により、なんとか要求を押し通せたのだった。

 咳ばらいを一つして、煌は背中の穂乃美に問いかける。


「味方の中に仲間を探知できる役職ジョブの人間はいますか」

「あー…いないわけじゃねーけど…望み薄」

「わかりました。じゃあ、適当に探し回りましょう」


 石造りの階段を上がり、煌は周囲を見回す。


 石を積み上げてできた室内で、蜘蛛の巣が所々に張り付いている薄暗い空間だ。縦にも長い吹き抜け構造で、渡り廊下や木製の扉やらが数々設置されている。天井にシャンデリアらしきものが取り付けられているが、蜘蛛の巣がびっしり張り付いており、長い間使われていないことを暗示していた。よって、この場を照らすのは蝋燭台だけか、と思えば、そうではないらしい。

 空間中が一瞬だけ鮮烈に白く輝いたかと思うと、遅れて凄まじい轟音が背後から響いたのだ。

 振り返ると、そこには大きな鉄格子の門があった。その先では雨風がこれでもかと吹き荒れており、門から続いているはずの橋の向こうは、豪雨によって全貌を把握できない。室内には雨が入ってきていないが、もし生身の人間があの橋の上に行ったら、成す術もなく吹き飛ばされてしまうだろう。それほどの豪雨だ。

 冷静に分析していると、再び視界が白く染まり、遅れて轟音が地を揺るがした。やはり、先ほどの音と光の正体は稲妻だったらしい。


 ここまで観察して、煌はこのステージの『コンセプト』を確信する。


―――ここのコンセプトは、『』だ。


 周囲のレイアウトを見る限り、古城がベースのステージなのだろう。ここの光景は、映画で見るような昔の城のイメージそのままだ。外に出ることは恐らく不可能。あの嵐の中は、いくら煌とて踏破できない。


 何体かの処刑人エクスキュージョナーと渡り合ってきた煌は、舞台となる場所について分かったことがあった。

 まず、舞台となる場所には、処刑人エクスキュージョナーに関連した『コンセプト』たるものが存在する。


 鴉頭がいたステージのコンセプトは、『産業革命期のヨーロッパ』。


 道化師がいたステージは、『狂気のサーカス』。


 そして今回なら、『嵐の古城』。


 つまり、ここにいる処刑人エクスキュージョナーは、『古城』に少なからず関連した容貌をしているはずなのだ。


「有永さん。ここの処刑人エクスキュージョナーは、どんな姿をしていますか?」

「姿?んー、他の奴が言ってたことだけど、まぁ一言で言うなら――」


 穂乃美は頬に指を当てて言った。





 雷がその情報を裏付けるように、轟音を立てて迸った。


「…まあ、そんなところか」

「え、何?なんかあんの?」

「いや、別に」


 煌は穂乃美を軽くあしらうと、踵を返して扉の一つへと向かう。手が塞がっているので、足で扉を蹴り飛ばして進む。

 その先に広がっていたのは、規模の大きな中庭だ。

 植えられた木々が風の煽りを受けて大きくしなっており、葉々がこすれ合ってザワザワと音を立てている様子は、見る者の心中で得体の知れない不安感を燻らせるものになっている。

 元々は整備されていたのかもしれないが、今となっては完全に廃れた庭園だ。罅が入った柱には蔦が巻き付いており、庭園の中央にある噴水はその真ん中でポッキリと折れてしまっている。

 風情を何処かに置き去りにしてしまった庭園は、己の退廃を嘆く様に風になびかれていた。


「…本塔は庭園の先ですか」

「そーだけど……あ、ちょい待ち。アレ、見て」


 首を引っ張る穂乃美につられ、その小麦色の指が示す方向へと顔を向ける煌。


 そこにあったのは、


 庭園をぐるりと囲む剥き出しの廊下の上、雨に曝されているにも関わらず、変わらず宙に浮き続ける青い火の玉。周囲を青く照らしながら、消える様子もなく静かに揺蕩っている。明らかに異質な存在だが、穂乃美の反応を見る限り、どうやら敵性物体ではないらしい。


「あれがあるなら合流出来っかも…煌マル、ちょっとあの火の玉に近づいてみて」


 無言で首肯し、蒼炎へと近づいていく煌。

 近くに来てみると、その炎の異質さがより分かった。炎らしき熱も感じなければ、雨でも消えない火力のはずなのに音も殆どない。ただゆらゆらと煌くその炎は、人の心を惹きつけられる魔力が宿っているかのようで、二人は暫く炎に目を奪われてしまっていた。

 唐突に響き渡った雷鳴で気を取り戻し、おもむろに手を伸ばし、煌はその蒼炎に触れる。


 そして、変化が起こった。


 煌が外炎に触れた瞬間、蒼炎は急激に膨張していき、やがて人間大のサイズになる。そしてみるみると形を変え、最終的に成人男性の姿を象った。その姿は、誰か特定の人を指しているというよりかは、一般的な男性の形をしているため、イメージとしてはマネキンに近いか。


「『』」


 穂乃美が蒼炎に向かってそう言うと、俯き気味だった男性型の炎は、顔を少し上げて、廊下の先へと浮いたまま進みだした。脱力した体勢ではあるが、どうやら仲間の場所へと案内してくれるらしい。


「……あれは何です」


 蒼炎の後をつけながら、煌は抱いていた疑問を穂乃美にぶつける。


「あれは仲間の能力。幽霊を、らんだむ?にバラまいて、そいつにお願いする権利を仲間に与えるって能力らしいんだけど……あ、流石に処刑人エクスキュージョナーを殺せ、とかは無理ね?足止めぐらいならしてくれるけど」

「それは…便利な能力だな」

「だよねー!あーしのとは大違いだし!なんかー、『さんだいじょぶ』?にもカウントする人がいるとかいないとかー……」

「……!『三大役職ジョブ』……!」


 その言葉に、無感情を貫き通していた煌の顔が、微かに驚きに染まる。


―――『三大役職ジョブ』。


 その名称を、煌は聞いたことがあったのだ。




 ***




 あれは、鴉頭の処刑人エクスキュージョナーを倒した後、硝子の間で、紅葉達四人と談笑していた時のことだ。


「それにしても、やっぱり更科さんの役職ジョブは凄いな。どんな重症でも治しちゃうんだもんな」

「いや、何でも、ではないよ。四肢欠損なら注射器使えば何とかなるかもだけど、内臓の損傷とかはやっぱり治しづらいかも。万能、とは言い難いかな」

「いや、それでも十分だって。それだけでも凄い能力だよ、『無職』の俺にとっては。『無職』の俺にとっては」

「な、なんで二回言ったの…?圧が怖いんだけど……」


 死んだ魚の目をしている煌を見て、顔を引きつらせる紅葉。なぜ二回言ったのか、と聞かれれば、無論、大事なことだからなのだが。


「そーだヨ。クーちゃんの役職ジョブは何たって『三大役職ジョブ』に数えられるぐらいに凄いからネー。そこんところキッチリ覚えとこうネ、ニート君」

「おいコラ、一番最後の要らないだろ」


 明らかに悪意を持って煌をニート呼ばわりした音子だったが、その言動はすぐさま紅葉によって粛清された。紅葉渾身のヘッドロックを存分に食らい、音子は「ギブギブ」と言いながら紅葉の手を叩いている。段々と音子の顔が異常な程に青くなっていっている気がするのは煌の錯覚だろうか。


「ところで、『三大役職ジョブ』ってなんです?あと更科さん、その人死にかけだから解放してあげて」

「うぇほっ、うぇほっ……か、川の向こうで玄二が見えたヨ……」

「勝手に殺してンじゃねぇ!」

「音子、ふざけてないで早く質問に答えて」

「えっ、怖…クーちゃん、そんな顔できたノ…?」


 底冷えした目で音子を睥睨する紅葉に、鳥肌を立たせて音子が震える。一つ咳払いをすると、音子は説明を始めた。


「『クレイドル』内で逃げる側に使用を許可される権能――いわゆる役職ジョブってのには、客観的に見て強い弱いがあってネ。数ある役職ジョブの中でも、強さの面で特に突出してると言われる三つの役職ジョブを、誰が初めに言ったのか、『三大役職ジョブ』って呼び始めたんだヨ」


 立てた三本の指を煌の前に突き出して、音子は一つずつ指を折って説明していく。


「まずは、部分欠損回復、そして軽傷を回復する手段すらも持つ、治癒系の能力の中でも文句なしでトップを走る『医者ドクター』!男性は手術着、女性は看護服を着てるのが特徴ネ。治癒系能力は勿論だけど、筋力補正もかかっちゃう激強役職ジョブ!ちなみにだケド、白衣を着てる役職ジョブは他にいるヨ」


「被虐体質とかってみんな持ってるものなんですか?」


「大なり小なりデメリットのある能力は持ってるケド、ワタシは少なくとも被虐体質Sの人には会ったことないネ~」


 羞恥で顔を真っ赤にさせている紅葉を横目に、音子は次の役職ジョブを説明する。


「お次は戦闘系能力の最強格に君臨する役職ジョブネ!筋力補正Aに加えて、味方に筋力補正Bの追加役職ジョブを付与できる!サポート系としても存分に力を発揮する完璧役職ジョブ―――その名も『指揮官コマンダー』!」


「こ、『指揮官コマンダー』……!」


「強すぎるが故か、そもそも人数も少ないっていうレアな役職ジョブだけど、いれば勝ち確、って言われるぐらいには凄いらしいヨ」


 味方に筋力補正Bが付与できるということは、つまり煌のような『無職』の人間でも身体能力が二倍になれるということだ。無職でもこれだ。紅葉の役職ジョブに加わりでもしたら、もう欠点なんて無くなるのではなかろうか。

 説明疲れたー、と言わんばかりに床に座り込む音子。

 それを見て、煌は不思議そうに首を傾げる。


「それで、三つ目はなんなんです?」



「…はい?」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまった煌。手をひらひらとさせて、音子はガラスの床の上に寝転がった。


「正確には、って感じだネ。その二つが圧倒的、ってのもあるケド…その二つが揃ってるなら、あとは戦力の補強って印象なんだヨ。第一が索敵、次点で戦闘・サポートみたいな、割とオールラウンダーな役職ジョブが欲しいんだケド…じゃあどれか一つを選べってなると、結構種類が多くて難しいんだよネ」

「なるほど…それぞれの考え方で欲しい役職ジョブが変わるから、どれか一つに定まらないってことですね」


「そゆことー」と言いながら、地べたでストレッチをし始める音子。自由すぎる気もするが、言ったところで改善はしないだろう。


「西条さんならどれを選ぶんです?」

「そうだネ~、ワタシなら…『宇宙飛行士アストロノート』…は足が遅いし…『奇術師マジシャン』…はトリッキー過ぎるし…『芸術家アーティスト』…は一緒に居たくないしなぁ…」

「い、一緒に居たくない…?」

「…デメリットがネ、でかすぎるんだヨ」


 音子の言っていることがはよく分からなかったが、結局結論は出なかったらしい。

 ひっくり返って、夢莉の所まで匍匐前進し、その長い髪を弄り始めたところで話は終わってしまったのだ。




 ***




「あれから、、か」

「…?」


 煌の呟きに反応し、目を何度も瞬かせる穂乃美。

 煌の雰囲気が一瞬和らいだ気がして、その顔を覗き込もうとした時、煌達を案内していた人型の蒼炎が何度か揺らめいて、完全に姿を消した。

 それはつまり、蒼炎が役割を終えたことを示していた。


「あ―――ッッッ!!いた、いたぞ!!お前ら!穂乃美が!生きてる!!」


 騒がしい男の声が聞こえると共に、その声の主が姿を現す。


 頭にバンダナ、目にサングラスをかけており、その顎には押しのけられたマスクがついている。

 身につけた淡い茶色のトレンチコートは全身を覆っているが、例外があった。

 トレンチコートがはためく足元。


―――そこから、何も履いていない脛毛いっぱいの足が露出していた。


 何か、下に履いている可能性もある。あるのだが、あえて言わせてもらう。

 全身が隠されている中、なぜかなにも履いていない足。それだけ見ると、

 その姿は、一般的に知られている、ある人種の姿だ。

 たまにテレビに出演する、自分の恥部を人前にさらすことに快感を覚える特殊な人種。

 その名も―――



「露出狂か」


「ちげーーーーーーーーーーーーーからッッッ!?」



 変質者の格好をした男の悲鳴は、嵐の音で搔き消されたのだった。

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