第1章 第7話「アレンの取引、裕也の過去」

「おじさん!僕です、アレンです!」


 レナの家に辿り着いた頃には、陽もすっかり暮れていた。

 普段なら夕食時。やや非常識な時間帯になるが、アレンは構わずレナの家のドアを叩く。


「おや、アレン君じゃないか。どうしたんだい、こんな時間に。

 またお見舞いに来てくれたのかい?」

「おじさん、僕、聞いたんです。

 これ、満月草。

 薬を作るのに要るんでしょう?」

「満月草だって!?本当かね、アレン君!?」

「はい、この中に」


 そう言ってアレンは保存袋を開いて中を見せ、レナの父に渡した。


「確かに満月草だ!急いで先生の所へ!」

「僕も行っていいですか!?」

「ああ、来てくれ!」


 アレンたちはそのまま、医者の家へと向かう。


「満月草が手に入っただと!……本当じゃ。量も十分」

「先生、薬を……!!」

「ああ、今すぐ取り掛かろう」


 医者は調薬器具を取り出して、準備を始めた。


「……よし、これで完成じゃ。とりあえず少量じゃがの」


 待つこと1時間ほど。

 薬は無事完成したようだ。

 早速レナの家へと戻る一行。


 レナの両親が先導し、医者とアレンはレナの部屋に入室する。


「ア……レン…………」


 レナは今や、自分で身体を起こすことも困難な様子だ。

 それでもアレンの姿が見えると、か細い声でその名を呼んだ。


「レナ!アレン君が薬の材料を取ってきてくれたんだ。

 さあ、先生」

「うむ。少し辛いじゃろうが、ゆっくり、少しずつ飲みなさい」


 レナの母が、匙に少量盛った薬をレナの口元に持っていく。

 飲み辛そうにしながらも、何とか薬を嚥下するレナと、見守る両親、アレン。室内に緊張感が漂う。



「ああ、だいぶ楽よ」



 レナが、今度ははっきりと言った。



「ああ……よかった。よかった……」

「ええ……」


 両親の目から零れ落ちる涙。



「アレン君。本当に。本当に、ありがとう。

 このお礼はまた今度、必ずするよ」

「ええ、ありがとう、アレン君」

「いえ、お礼なんて、そんな。

 僕の方こそ、いつもレナには助けられているから。

 それじゃあ、僕はこの辺で失礼します。

 レナ、また来るよ」


 レナは薬を飲んだ後、体力が戻らないのか、すぐに眠ってしまっていた。

 しかし寝顔は安らかだ。


「ふむ、峠は越えたように見える。油断はできんが、もう大丈夫じゃろうて」


 ---------------


 それから経つこと三日。

 レナの容体は次第に良くなり、今では普通に会話ができるようになっていた。


『衰弱していた期間に体力が落ちてしまったみたい。前のように歩くには、まだ少し時間がかかりそうだね』

『ああ。でも、あのお嬢ちゃんのことだ。すぐにリハビリを始めるだろうよ』

『そうだね』


 アレンと裕也は、アレンの自室で話し込んでいる。

 レナに関する吉報に、アレンの家族や店の常連たちも胸を撫で下ろし、象の背中亭には久々に穏やかな空気が流れていた。


『ねえ、裕也』


 改まったかのように、アレンが言う。


『どうした?』


『僕と、取引しないか?』


『取引?』


『ああ。


 ……<洗礼の儀>のあの日、自分には【才能タレント】がないと知ってから、僕はやっぱり絶望したんだ。


 父さんや母さん、レナ、それに冒険者のみんなは、僕のことを気にかけて、慰めてくれるし、馬鹿にしたりもしなかった。

 そんな人たちに申し訳なくて、頑張って気丈に見せていたけれど、やっぱり未来に希望は持てなかった。

 僕に【才能タレント】がないことを知った人たちの態度は色々で、優しい人もいれば、見下す人もいたし、憐れむ人もいた。でも誰もが、【才能タレント】なしではどうしようもないって、心の底では思っていたんだよ。



 ……それは、僕自身も含めてだ』


『……』


『でも裕也は違った。

「【才能タレント】なんて関係ない」と言ってくれたのは、裕也だけだったよ。


 そしてあの日、満月草を取りに行って、暴狼バーサクウルフと戦って。

 並の大人でもできない、やろうとしなかったし、自分でも無理だと思っていた。


 でも、正直運に助けられただけだとは思うけど、僕が行動して、レナを救うことができた。


 あれから考えたんだ。「僕のやりたいこと」は何だろう、って』


『……』


『僕は、この世界を見返したい。

 【才能タレント】がなくても、立派に生きていけるということを、証明したいんだ』


『……それで、取引、とは?』


 裕也は努めて冷静に返す。


『裕也、君は、僕に憑依しているみたいだ。

 言い換えれば、僕の身体に寄生しているってことだ。


 その分、僕に手を貸してくれないか。――例えるなら、家賃みたいなものだよ』


『……。俺はな。


 元の世界では、それなりにやり手のビジネスマンだったよ。

 大きな仕事をいくつも手掛けて、ことごとく成功させてきた。

 金もそれなりにあったし、出世も約束されていた。

 女にもモテたし、彼女にも不自由しなかったよ。まあ、死んだときは独り身だったが。


 正直、あっちの世界で死んだとき、その辺の心残りはなかったさ。


 でもな、俺には、弟が居たんだ』


『弟?』


『ああ。とおるって名前のな』


 --------------


 裕也の両親は共働きで、父親は町役場の公務員、母親は中小企業の事務職員。

 収入としては、世間の基準からみて中の下くらい、よくある一般的な家庭だった。


 そんな中で、裕也は幼いころから成績優秀。

 また努力を惜しまない性格で、それほど得意でなかった運動も練習量でカバー。

 両親や親類からも「神頭家の期待の星」と言われ、実際に一流大学に現役で合格。

 自身への妥協を許さず、就職活動にも全力で打ち込み、一流企業からもいくつか内定をもらいながら、最終的には食品メーカーでは二番手の〇〇に入社した。


 一方、弟の徹は、裕也の四つ下。

 小さい頃は仲のいい兄弟で、頼りになる兄を、これでもかというくらい尊敬し、慕っていた。

 裕也もそんな弟を可愛がり、小学校の頃は、何かと徹を気にかけ、自分が守るという気持ちでいた。


 そんな関係が変わり始めたのは、裕也は高校二年生、徹が中学校に進学した時。

 徹の成績は決して悪くないものの、校内で三十番程度をキープするのが精一杯。

 両親はそれでも十分と思い、徹本人にもそう伝えていたが、裕也の学生時代を知る先生や親戚からは、兄と比べて落胆されるような態度を取られることもあった。


 裕也は早くから就職活動の準備を始める傍ら、徹は医者を目指すことに決め、医大の受験を目指す。

 それは、裕也の進む方向とは別の道を歩みたいという気持ちもあったのかもしれない。

 ただし家庭の経済的事情を考えると、私立大学に行くことはできない。何としても国公立大学に受かりたかった。


 最初の受験は、残念ながら全て不合格。

 しかしただでさえ難関の医大・医学部である。「一浪は当たり前」と言い聞かせながら、徹は浪人生活を送った。


 二度目の受験。一年前よりややランクを下げた大学も受験したのにも拘らず、またもや桜は咲かず。


「二浪しても、それでも合格して、医者になれば、親にも恩返しできる」


 そんな考えのもと、二浪目に突入。

 しかし、浪人生の学力とは不思議なことに、現役より落ち込んでしまう例もある。

 徹も、必死に勉強しても、偏差値が上がらない日々が続いた。


 二浪中の秋の模試。

 志望校判定は、どこもD以下だった。


 いつしか徹は、部屋から出てこなくなった。

 予備校にも行かず、模試も受けず。三度目の入学試験を受けることは、終ぞなかった。


 ---------------------


『……俺の世界では、そういう「引きこもり」って奴が、多少なりともいた。

 何て非生産的なんだろうと思っていたが、まさか実の弟がそうなるとはな。


 俺も、何度も声をかけたさ。部屋のドア越しだけどな。

 でも、俺の声は、あいつには届かなかったよ。


 俺が死んだ日まで、あいつは部屋に閉じ籠っていた。


 徹のことだけが、俺の唯一の心残りだった』


『……』


『お前、昔の徹に似てるよ。

 子供のころ、素直だった頃の弟に。


 ……取引成立だ。

 俺はお前に手を貸す。


 ただしこれは、俺の贖罪でもある。ただの身勝手で、独りよがりのな』


『……。

 ありがとう。

 僕は、弟さんと同じ人間ではない。

 でも、憑依されているからかな、裕也の後悔は、痛いほど伝わってくるよ』


『……。

 だけど、お前なあ』


ややあって後、裕也はこれまでとは違い、少し呆れたように切り出す。


『取引とか言い出したが、本当はそれ、全然取引になっていないからな。

 大体「家賃」とか言っているけど、俺が拒否したところで、お前は俺を追い出せないだろう。

 前提からして破綻してるんだよ』


『うっ……!』


『まあその辺も、これから教えてやるよ』


『……よろしくな、僕、いや、「俺」の相棒』


『……。はっ』


 アレンの臭い言い回しを、裕也は鼻で笑った。



*****************

 ここまでが、アレンと裕也の出会いの物語。

 この出会いが、後に世界の運命を大きく変えることになるのだが、そのことはまだ誰も知らない。


【第1章 完】

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