公衆電話 7

 ----深夜1時、某牛丼チェーン店。


「一応、警察には連絡しといたけど、あの男はきっと何も覚えていないわ」


「やはり、操られていたということですか?」


 ルミ子とナナセは店内の角に位置する席に腰掛けるやいなや、先刻の件について議論を始めた。深夜ということもあり、客は若い男の二人組と、中年の男が1名いるだけで、若い男たちは既に食事を終えながらも恋愛ごとについてなにやら熱く語っているようだった。


「とりあえずなにか食べましょう。アタシ、結構力を使ったからもうお腹ペコペコよ」


「正直、この時間に食事を取ることに罪悪感を覚えますが、私も結構お腹が空きました。牛丼の並とお味噌汁をいただきます」


「あら、並でいいの? アナタはちょっと細すぎるんだからもっと食べなさいよ。アタシみたいなぽっちゃり系のほうがモテるわよ」


 ルミ子は自慢げに空腹とは思えない腹をパンと叩いた。


「ルミ子さんがぽっちゃり系かどうかはひとまず置いといて、女が綺麗になりたいっていうのは、別に異性に気に入られたいだけが全てじゃないんですよ。みんなそれぞれの理想があるんですよ。私はよくスタイルがいいって褒められたりしますし、正直そういうのって嬉しいんですよ。勿論、ルミ子さんはとても魅力的な女性だとは思いますけど」


「初めてアナタを見たときは、暗くて自分に自身がなさそうだって思ってたけど、案外、自己肯定感が高いのね」


「どうでしょうね。ただ、自分の型からはみ出すのが怖いだけかも知れませんよ。今の形を、今の生き方を変えたくないって言いますか。私、今の生活がすごく好きなんです。だから体型1つ変わることでさえ、なんだか不安に感じるのかも知れません」


 店員が水を机に運んできた。ナナセは話を中断し、牛丼の並と味噌汁を、ルミ子はチーズ牛丼の特メガ盛と豚汁をそれぞれ注文した。


「だけど、それじゃあおっぱいは大きくならないわよ?」


 ルミ子は迫真の顔でナナセに問い詰めた。後藤田が言えば間違いなくセクハラ問題になるであろう一言にナナセは頬を赤く染め上げていた。


「べ、べつにいいじゃないですかそんなこと! 小さいことの何が悪いんですか!?」


「悪いなんて言ってないじゃない。気になったから聞いてみただけよ」


「そんなこと一々聞かないで下さい! 大体、私これでもCカップはありますから、ルミ子さんが思っているほど小さくありません! これくらいの方がかわいいブラも選べますし、肩も凝らないですから私はこのサイズで満足です! そもそもルミ子さんがデカすぎるんですよ!」


 興奮して声を荒げるナナセの方を、二人組の男がチラチラと見てきた。会話が聞こえていたのだろう、ナナセの顔や体を見てはニヤニヤと話を膨らませている。視線に気付いたナナセが目をやると、ちょうど男の片割れと目が合い、更に顔を真っ赤に染めた。


「大きな声出しちゃダメよ、他のお客さんに迷惑でしょうに」


「……すいません」


 程なくして先程注文した食事が運ばれてきた。ルミ子の頼んだ特メガ盛がテーブルの約半分を占拠してしまい、ナナセの並サイズの牛丼はいつもより小さく見え、なんだか物足りなく思えてしまった。通常の三倍サイズの特メガ盛から漂うチーズ臭にナナセは眉をひそめた。対してルミ子はそのサイズ感に満足げにほくそ笑んでいる。


「それ、全部食べられるんですか?」


「何? ナナセちゃんも食べたいの?」


「結構です」


 二人は手を合わせた。「いただきます」


 ルミ子はすぐにテーブルにある紅生姜を取り出し、盛大にぶちまけた。紅生姜の山が丼の上にそびえ立ち、さらにその上に備え付けのタバスコをドバドバと撒き散らしだした。目の前の光景にナナセはただただ目を丸くするだけだった。


「ルミ子さん、それ、大丈夫ですか?」


 タバスコと紅生姜の朱色に染められた牛丼は秋の枯葉の様に色鮮やかに生まれ変わっていた。チーズの臭いにタバスコも追加され、ナナセの目がツンと刺激された。


「なにが?」


「あー、いや、いいです。それより、さっきの話の続きですが」


「ナナセちゃんの貞操を脅かした男のことね。操られたんじゃないわ。元々そういう願望があったのを付け込まれたのよ。多分だけど、アイツとよく似た感情のこだまを利用して潜在的な欲望を爆発させたんだと思う」


「こだまを使ってですか? そんなことができるんですか?」


「世間的に言う、『取り憑かれた』てことね。心霊スポットでもたまにあるのよ。こだまと気が合うっていうか、波長が合っちゃう人が。あの男もたまたまあの公衆電話の近くにあるこだまと共鳴してしまったのかも知れないけど、あそこまで攻撃的なこだまはあそこにはなかったわ。つまり彼はあの場所に来る前から『取り憑かれた』状態だったはずよ」


「それなら、別の場所でこだまに触れてあの場所まで来たんじゃないですか?」


  牛丼を咀嚼し終えてから話すナナセとは対象的にルミ子は目一杯口に頬張りながら会話を続けた。


「それは無理なの。こだまはその場に留まるから、『取り憑かれた』状態になってもその場を離れたらすぐに自身の意識を取り戻すわ。それにあんな正気じゃない状態であの公衆電話までたどり着くなんて不可能よ。つまり彼は何者かが意図的にあの場所に配置したの。アタシたちを狙ってかどうかは分からないけどね」


 ルミ子の推測にナナセは何かに気付いたのか、すぐに仕事用のタブレットを取り出し、何やら検索を始めた。


「もし、私達を狙ったのだとしたら……」ナナセはタブレットの画面をルミ子に向けた。「やはりこの人物が一番疑わしいんじゃないでしょうか」



 それは、今回の心霊スポットをこちらに寄稿した人物だ。名前は「高郷 愛留」(たかさと めぐる)とある。


「んー、いい線いってるんだけど、こいつはアタシたちが来ることは分かっていても、何時何日に来るかなんてわからない訳じゃない。言っとくけど、霊能力は超能力じゃないから透視や未来予知なんてできないからね」


 まったく、ついさっき空を飛んでいた人間が言うと説得力がある。


「例えば、ですよ。もし、『ノノメセタ』内部にこれを投稿した人がいたとすれば……」


「まって、そういえば、ここに来る前、アタシをここに同行させないようにしようとした人がいたわ」


 ナナセはゴクリと息を呑んだ。それはナナセにも心当たりがあった。ルミ子を会社に残し、自分と二人で公衆電話に訪れようとしたあの男だ。ナナセとルミ子は口を揃えて男の名を言った。


「榊 ユウイチ」




 しばしの沈黙のあと、ルミ子の失笑にナナセも釣られてクスクスと笑いだした。


「それは無いわねぇ」

「無いですね」


「なかなか都市伝説チックな話の展開だったわよ、ナナセちゃん」


「これ、小説のネタで使えそうですね。ただ、ユウイチさんを裏切り者にするならもう少し説得力のある人物像にしないといけませんね」


「そうね、あの子にそんな立ち回りはちょっと出来ないわ。良くも悪くもバカだから」


「バ、バカはひどいですよルミ子さん」


 そう言いながらのナナセは笑いを堪えきれない様子だった。


「まあ、この件は投稿者の『高郷 愛留』が関わってると見て間違いないわ。ウチの会社に情報をリークしているやつがいるかも知れない

ってこともね。それにこの名前、もしかしたら」


 ルミ子はメモ用紙を取り出し、『高郷 愛留』の名を書いた。


「高郷、タカサトって読むけど、これをコウゴウとも読めるのよ。コウゴウ、コウコウ。ローマ字でKOU.KOUよ。これの母音を1つずらしてみたらKAI,KAIになる。愛留はめぐる。回る、円。サークルって考えたら」


「怪廻サークル」



 二人はこの奇妙なサークルが今回の件に大きな関わりを持っていることを認識した。推測、空論の段階ではあったが、今回のように霊を他人に憑依させることができる人間はそうはいない。しかしこのサークルには数々の前例があることを二人は知っていた。


「あの公衆電話も含めて、全てはあいつらが仕組んだものだったのかも知れないわね。だとしたら、あのトンネルの奥には何かあったかも知れないわ」


「もう一度行きますか?」


「今日はもう疲れたわ。それに、なんの準備もなしに行くのは恐らく危険よ。あそこはまた今度」


 そう答えるとルミ子は丼を持ち上げ、一気に口の中に放り込んでしまった。ナナセはまだ半分ほどしか食べ終えていない。


「とりあえず、ごちそうさまでした」



















 





 ----吹き飛ばされた公衆電話を前に男が2名、佇んでいる。全身真っ黒のコートに身を包んでおり、黒い長髪は顔の半分を覆い隠していた。


「やはりすごいね。鬼村ルミ子は。やはり、我がサークルには彼女が必要だ。あぁ、早く会いたいものだ。ルミ子。君は美しい」


「あの女は我々怪廻サークルの手に余りますよ。そして美しくありません。尊師、行きましょう」


 ニヤリと不気味な笑みを残して、尊師と呼ばれる男とその側近はトンネルの中へと消えていった。


 


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