公衆電話 6

 黒目の男は車のドアを開け、力任せにナナセを引きずり出していた。恐怖で身が竦んでしまったナナセは身を丸めて小さく抵抗していたが、男の力は強く、大きなキャリーバックを持ち上げるみたいにナナセを掴み上げた。完全に車から引き剥がされたナナセはむき出しのヤドカリの気分だった。この男がこれから自分に何をするのか、想像するだけで目の前が暗くなった。


「やめて……下さい……」


 男の黒目が爛々と輝く。怯えるナナセを見て一段と興奮してきたのか、息遣いが次第に荒くなる。ナナセは欲望で赤黒く染まった男をこれ以上直視することができなくなり、目を閉じてただただ祈り続けた。





 だれか助けて……


 神様……


 ルミ子さん……








 ……さい



 ……………ちなさい




「待ちなさあぁぁぁぁぁぃ!!」





 黒目の男の背後で、雷でも落ちたかのような轟音が辺りに鳴り響いた。本能的に危機を感じた男はすぐさまナイフを取り出し、ナナセの喉に向けた。


「ルミ子さん、ごめんなさい。こんなことになっちゃって」


「良かった、無事ね」


 自ら巻き上げた砂埃を払いながら、ルミ子は黒目の男を睨みつけた。


「アンタ、ウチの可愛い後輩に何してくれてんのおぉぉおぉ!!」


 黒目の男はルミ子の気迫と大声にたじろぎ、腰を抜かしそうになったが、既のところで踏ん張り、今や自身の生命線となったこの人質をしっかりと抱え続けた。この女には勝てない、例えこのナイフを使っても、日本刀や拳銃を持っていたとしてもだ。黒目の男はそう感じ取っていた。


「近付くな、こいつ殺す」


「なになに、人質とかとるわけ? ちょっとずるくね? マジひくんですけど」


「向こうへ行け。立ち去れ」


「あんた、ナナセちゃんに何をするつもりなの! あ、あんたまさか」


「早く行け」


「はっはーん、さては、エッチなこと考えてるな?」


「行け」


「それはダメよ! ナナセちゃんのバージンはアンタに渡さないわ!」

「ちょっと何バラしてるんですか!? やめてくださいルミ子さん!」


 突然の暴露にナナセは顔が真っ赤になった。


「ナナセちゃん、それは恥ずかしいことじゃないの。とても尊いことなの。ナナセマジ尊いわ」


「知りません! 何しに来たんですかルミ子さん!」


「アンタ、助けてもらう側がそんな態度していたら、SNSで叩かれるわよ。助けてもらうのに偉そうだとか、自分でなんとかしろとか。今の時代にあったヒロイン像はね、ルミ子さん逃げて下さい! わたしのことはいいんで! みたいな自己犠牲の精神が無いといけないのよ。もしくはアタシみたいに自ら困難を打破する強い女ね」


「こんな状況で他人の評価なんてどうでもいいですし、私の秘密をバラす理由にもなりません! 大体、いままでルミ子さんの報告書を誰が纏めてきたと思っているんですか!? 私、ルミ子さんを人としてとても尊敬していますけど、あの報告書の文章の酷さったら、まさに筆舌に尽くしがたいですよ。しかも字も汚いですし」


「あの、立ち去れ……」


「言ってくれるわね。それならもう少しその汚い男に羽交い締めにされてなさい。助けてほしくば ”美しいルミ子様、愚かな私めをお助けくださいませ、わんわん” と言いなさい!」


「ウツクシイルミコサマ、オロカナワタクシメヲオタスケクダサイマセワンワン」


「すぐ言った! すっごい棒読みで!」


「あ、あの、あっち行ってくれませんか」


「あんたは黙らっしゃい!」


 ルミ子とナナセの痴話喧嘩に黒目の男は蚊帳の外だった。


「茶番はいいので早く助けて下さい、ルミ子さん」

「あら、冷たい。もう少しコントしたかったのに」


「近づくなよ、この女を殺すぞ」


「アンタがナイフを振り抜くのと、アタシがアンタの首をへし折るの、どっちが速いか」


 ルミ子が静かに揺れる。ゆらり、ゆらりと。


「比べてみる?」


 男がナイフでナナセの首元を切り裂こうとした刹那、光が一閃。何が起きたのか理解したときには既に、男は後方の木にめり込んでいた。遅れてきた痛みの感覚に抱かれながら男は気を失った。


「こ、これは、ルミ子さんの奥義!」

 ナナセは震える口唇で、こう名付けた。ちなみに初見である。



「紫電閃槍!」




「恥ずかしいからそれやめろ」


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