公衆電話 4
ナナセは堂々と心霊スポットに歩み行くルミ子の背中を尊敬の眼差して見つめていた。常に気高く、逞しく、美しいルミ子はナナセにとって憧れだった。それに比べて自身のなんと臆病でか弱いことか。家庭の事情で中学を出てすぐ働くことになり、一人で生計を立てる事になって4年。いまや自立した立派な大人だと感じることもあったがルミ子の前では青二才の赤子同然である。ルミ子のいい加減な怪奇報告書を添削、実質書き換える仕事を担当しているときは、おおらかというか大雑把な大人だと呆れることもあるわけだが。
「ユウイチさんと行かなくてよかった」
ナナセはユウイチより4つ年齢は下だがそれと同じ分『ノノメセタ』では先輩だ。そのため後輩の前では格好をつけたいナナセにとって心霊スポットで怯える姿を見られることなどあってはならないのだった。公衆電話の周辺で辺りをうかがうルミ子を見つめながらナナセはそんな事を考えていた。するとナナセの耳に何やら足音のようなものがどこからともなく忍び込んできた。
「これは、19Hzの音。子どもの足音かしら……?」
ナナセは聴覚に優れており、幽霊の存在を感じ取るのは専ら『音』だった。一般的な人間の可聴域は20~20,000Hzであるとされている。俗説ではあるが怪奇現象が目撃される場所では一般人には知覚できない19Hzの音が発生しており、それが幽霊の発する『音』だと言われている。ナナセはその19Hzの音なのかは定かではないが、幼い頃から誰も気が付かない音が聞こえていた。後にルミ子と出会うことで、それがこだまの発する音だということが分かった。ルミ子はこれをこだまの歯ぎしりと呼んでいたが、ナナセは19Hzという響きが好きなので、この音を19Hzの音と呼んでいる。
「公衆電話の方に向かっている。ルミ子さんは気付いているかな……?」
ナナセが心配そうにルミ子を見つめていると、突然、車めがけて大きな衝撃波が波のようにこちらを襲ってきた。
「きゃあ!」
大きく揺れる車にナナセは気が動転したが、すぐにそれがルミ子の仕業であることに気付いた。これは心霊スポットに溜まったこだまを纏めて浄化するルミ子の技だ。ナナセはこの技を『輪環天昇波』と名付けているが、人前でそれを口にすることはルミ子に止められている。そりゃそうだ。
「輪環天昇波……。周囲のこだまたちは皆、浄化されたみたいね。それにしてもルミ子さん、相変わらず荒っぽいわ。一言伝えてくれてもいいのに」
ガサガサ
周辺に再び足音が鳴り響いた。先ほどの繊細だが大胆な音とは少し違う、極力音を立てないようにゆっくりと近づいてくる、不気味な足音だ。ナナセはすぐにそれが生きたものの音だと悟った。
ズッ……。ズッ……。
ルミ子に助けを求めようかと思い立った矢先、突然ルミ子は凄まじい速さで山奥へと走り去っていった。恐らく霊を追いかけたのだろう。ルミ子の脚力なら数分で捕まえてしまう筈だ。それまではこの車の中にいたら安全だろう。ナナセは小さな恐怖心を胸にしまい、なるべく外に目はやらないように俯いた。
コンコン。
車のドアを誰かがノックした。すぐ近くに誰かがいる。ナナセは心霊スポットに行く際、後藤田からよく聞かされた話を思い出した。
「心霊スポットで危ないのはな、雨宮。幽霊なんかじゃないんだよ。本当に危険なのは人間だ。誰も近寄らない廃墟に忍び込んでいる理由を考えてみりゃあいい。ヤクザの取引現場、半グレの集会、変質者の隠れ家。もっとヤバい理由があるかもしれん。いずれにしてもだ、もしそんなとこで誰かに出くわしたら一目散に逃げろ。余計なことは考えるな。話しかけられても返事をするな。そいつらはお前と友好関係を持つ気なんて無い。海のものとも山のものともつかない悪意を持った生き物だ。だから俺は心霊スポットに向かわせる際、必ずペア以上で行ってもらう。いいな?」
本当に恐ろしいのは人間、とはよく言ったものだ。悪意のある人間の前では、こんな薄いガラスが一枚あったところでなんの役にも立ちやしない。粉々に割られたガラスを見つめながらナナセは思った。
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