公衆電話 2
「あの、本当に良かったんですか?」
PM11:41
深夜の山道を一台の車が駆け抜けてゆく。対向車はほとんど無く、前を走る軽自動車は30mほど離れている。急なカーブも多く、夜間の走行なので速度はとてもゆっくりと運転していた。右手にはガードレールで塞がれた急な勾配が広がっており、林木が繁茂している。木々によって隠された地面の底はどこまで続いているのかナナセに検討がつかなかった。一方左手には山の斜面がバターナイフで切り取られたみたいになめらかな壁となっていた。ナナセは助手席から空を見上げた。三日月が薄目を開けてこちらを見ている。
「いいのよ。それに、あの子には別の仕事があるから」
----前日。
AM9:12
「任せて下さい! 雨宮さん、心霊スポッとは危険も多いです。幽霊だけでなく、不審者がいるかも知れません。だけど、なにがあろうと男ユウイチ。貴方を必ず守りますから。出発は明日ですよね? 向こうで夕食を取りませんか? 好きな食べ物はなんですか? あ、そうだ、帰りに夜景でも見に行きましょうよ。というわけでルミ子さん。僕と雨宮さんで調査にいってきますから、ルミ子さんは会社に残ってゆっくりしていて下さい! ほんと、来なくて結構ですから! 来ないで下さい!」
浮かれ気分のユウイチは饒舌だった。ナナセは苦笑いを浮かべながらユウイチを見ていた。彼女が引いてしまっていることにユウイチは気づく素振りもなかった。
「だまらっしゃいユウイチ! あんたが一番キケンよ!」
ルミ子の一喝に我に返ったユウイチは、舌先から萎縮してしまった。
「あたしとナナセちゃんの二人で行くわ。あんたの運転じゃ山道は危険よ。それに、ユウイチくんにはこっちの仕事をやってもらうわ」
そう言ってルミ子はユウイチに大量のレポート用紙を渡した。用紙にはびっしりと文字が書き込まれている。ユウイチは嫌な予感がした。
「あの、これは……」
「アタシのここ3ヶ月の怪奇報告書よ。よく読んで纏めなさい。今までナナセちゃんが一人で作業してくれていたけど、いい機会だし貴方にも覚えてもらうわ」
用紙に書き込まれた字はお世辞にも綺麗ではなく、敷き詰められた文字は迷宮のように入り組んでいた。
「なんで今どき手書きなんですか!? こんなの読むだけでも1日じゃ足りないですし、それに汚な……」
「あん?」
「何でもありませんごめんなさい」
「アタシはPCが使えないのよ。古風な女だから」
「ユウイチさん、私も最初は苦労しましたけど、慣れですよ。頑張って下さい」
歳下の先輩からの励ましに少しばかり元気を取り戻したユウイチは用紙を担ぎ、フラフラと自分のデスクへと帰っていった。
時は戻ってPM11:54----
「ルミ子さん、あそこです」
なんの変哲もない山道に突然、奇妙に二手に分かれた道が見えてきた。左の道はこれまで同様、整備された綺麗なアスファルトだが、一方の右側は寄せられた話の通り、ガードレールは錆び、倒れたままで、道には草が生い茂っていた。
「通行止めはされてないみたいね」
「ところどころに不法投棄されたゴミが見えます。空き缶やお菓子の袋。やはりいまでも若い人が肝試しに訪れているみたいですね」
ナナセはポイ捨てされたゴミを見て少し不機嫌になっていた。ルミ子はこのすこし潔癖すぎる部下が心配だった。
目的地に近付くにつれて、得体の知れない異様な雰囲気が車体を揺らした。ナナセは心霊スポットの現地取材は初めてではないが、ここ一年はデスクワーク漬けだったためにこの霊の気配を肌で感じるのは久しぶりだった。ナナセはルミ子ほどではないが霊感があり、ルミ子が呼称する「こだま」を感知することができる。ルミ子もまた、ナナセ同様霊の存在を感じ取っており、周囲を警戒していた。
「ナナセちゃん、分かる?」
「はい、いますよね、多分ですけど……」
「一人か、二人ね」
ルミ子は車の速度を落とした。霊が近いということは目的の公衆電話もそう遠くないと判断したのだ。ナナセはルミ子の意図に気付くと辺りを見回した。路端に立つ蛍光灯の明かりは頼りなく、窓から手を伸ばせば指先が闇に飲まれそうな程だった。間もなく車のヘッドライトがアスファルト以外のものに反射した。
「あれね。奥にトンネルもあるわ。入り口は封鎖されているからここから先は車では無理ね」
「今日は公衆電話だけですよね、ルミ子さん?」
ナナセはルミ子の冗談とも取れぬ発言に怯えながら、ルミ子を横目で見た。ルミ子はナナセの方に目を向けることなく何かを思案している様子だった。
「とりあえずあの公衆電話を調べてくるわ。ナナセちゃん、久しぶりの現地取材でいきなり当たりを引くとはツイてないわね。その様子じゃこの雰囲気になれるのには時間がかかりそうよ。あなたは車の中で待ってなさい。絶対に外に出たら、ううん、ドアや窓も開けたらダメよ。車のキーは預けておくから、アタシが帰ったら開けてね。中途半端に霊感があると大変でしょう、いっそユウイチくんみたいに霊感がゼロの方が気楽だし幸せな人生だと思うわ」
「気遣いありがとうございます、ルミ子さん。ちょっと久しぶりだったもので、怖気づいてしまいました。そうですね、怖いですし、悲しい気持ちにもなります。少し気持ち悪くてこめかみの辺りがヒールで踏まれているように痛みます。けど、私は霊感があることは不幸だと思いません。真実を見たり感じたりすることができますから。ルミ子さんも霊は嘘をつかないと言ってましたよね。そんな霊を通して自分以外の人の感情を疑似体験できるってことは、非常に貴重で稀有なことです」
「ふふ、そういえばナナセちゃんは小説家志望だったもんね」
「そうですよ、こんな経験ができるなんて、他の作家にはない大きなアドバンテージですよ」
少し覇気を取り戻したナナセを見て安心したルミ子はナナセに車のキーを渡し、改めて車外に出ては行けないと念を押し、車を後にした。
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