実験
12時20分を回った当たり。
果たして屋上に、二人の人物が現れた。
一人は依頼人である山口氏。もう一名は営業課の課長である
佐竹氏は40代後半。中肉中背の、ごく普通の男性である。黒縁メガネをかけていて、紙は白髪が混じりつつある。働き盛りの男性、と言う感じだった。
しかし、その表情は倦み疲れている。何かにおびえているようでもあり、何かを焦燥しているようでもある。
―――焦燥は彼だけでは無い。彼を伴って現れた、山口さんも同じだけ何かにおびえていた。
「一体、何のようなんだい?」
佐竹氏は柔らかい口調で問うた。
とてもパワハラなどしなさそうな、優しい口調だった。
「―――その、それは」
「憑き物落としです」
声を出した。僕、座間久遠の声である。
出し抜けに現れた僕に、二人はしばしきょとん、とした表情をした。
やがて、僕にたいしてそれぞれ違う反応を示す。
山口さんは「あ―――」と息を呑む。
佐竹氏は「えっと、君は?」とごく常識的な疑問を僕に投げかけた。
「すみません。二人にここに来るよう頼んだのは僕なのです」
「え?何を言っているんだい?僕は山口さんにここに―――いや、え?」
佐竹氏は何が起きているのか分からない、という表情で山口さんを見つめた。当然だろう、と思う。恐らく彼は「大事な話がある」「人に聞かれたくない」というようなことを言われて呼び出された。そこで何を聞かされるのかと戦々恐々としてたところに謎の男性の登場だ。わけが分からなくなっても仕方がない。
「
僕がそう問う。
佐竹氏はその名前を聞いた瞬間、表情にひびが入ったかのようだった。
彼はこの名前を知っている。そして、その死に関わったかもしれないと悔恨しているはずだった。
「なんで、いや、どういうことなんだ?山口さん、君は―――」
「とりあえず、状況を整理させてもらいます。僕は拝み屋です。そこの山口さんに雇われた、霊能力者です」
「―――なんでそんなものを」
「それは山口さんが、細身氏を自殺に追い込んだのは彼女自身と―――そして貴方だと。そう思っているからに他なりません」
「や、山口さん!?そんな風に言ったのかい!?」
「いや、私、そんなつもりじゃ」
「あれは確かに不幸ではあった!彼にも悪いとは思っている!しかし、だからと言ってそんな―――」
佐竹氏はとてつもなく動揺しながら山口さんに詰め寄る。山口さんはそれにどうしていいのか分からないような表情でパニックに陥っているようだった。
「山口さん。ひとつお聞きしたいのです。件の細身悠斗さんが自殺した原因―――それは、パワハラではありませんね?」
僕がそう問うと、今度は山口さんが表情を凍らせた。
佐竹氏はと言うと「パワハラ?何の話だ?」と困惑した表情を見せている。
「調べてみたんです。ここ数年の間にこの周辺で起きた死亡事件、あるいは事故について。もしパワハラが原因とされているのなら―――それは社会的な問題になるはずでしょう」
新聞やネットニュース、テレビのメディアに取り上げられなければおかしい。特に昨今はインターネットメディアがある。人のうわさに戸口は立てられない。
隠蔽、と言う可能性もあるか。いずれにせよ、ここまで問題になっていないのは少し違和感があったのだ。
対して、山口さんが言うところのパワハラの張本人である佐竹氏。彼は細身氏の自殺の原因、というワードには反応しているが、パワハラには困惑を示している。ここに至って演技をしているというのなら凄いが、さすがにいきなり現れた僕に対してそんな演技をする意味は無いだろう。
―――ただまぁ。僕たちが依頼を受けているのは山口さんだ。
山口さんを悩ませているこのビルに彷徨う怪異を取り除ければそれでいい。
それが果たせれば、原因がパワハラだろうが、あるいは他の―――失恋とか浮気とか―――そういうものだろうと関係が無い。
「ちょっと実験をします。お二人はそこから動かないでください」
僕がそういうと、そのまま立ち尽くした。僕の言うことを真に受けた、と言うより、意味が分からなくて困惑している、ということだろう。
いずれにせよ、それもどちらでも構わない。
この場に、この事件のキーマン二人がいるならば―――
僕はこれまで、ずっとフェンスの外側を視ていた。昨日の13時30分からここに張り続け、一睡もすることなく、ビルから飛び降りようとする男の霊の姿を観想し続けた。
何とかここまで起きていることができてよかった。九頭鬼は簡単に夢に出すことが出来るが、あの霊をピンポイントで夢に出す自信は僕にはない。
その、一晩の間見続けた霊から、意識を外す。
僕の視界からそれは消え去り、僕の意識はこれまで封印し続けた宿敵・九頭鬼の観想へと移る。
さて、どうなるか。
あれはそのまま、生前の再現を行い彼らに気が付かずに飛び降りるのか。
それともあの二人のどちらかを見とめて、何らかの無念を晴らそうとするのか。
―――そしてそれは、生者に危害を加えるものなのか。それともささやかに、果たせなかった願いを叶えるような性質のものなのか。
果たして、その影法師は後ろを振り向いた。
ビルの下から僕が視た時と同じように、振り向いて―――それはニタリ、と。
哂った。
向かう先は立ち尽くす二名。影法師は生前の再現を忘れて、フェンスをすり抜け、こちらへと向かってくる。飛びかかる先は―――二名に向けて。
「―――え」
「な、なんで」
二人はふらふら、とフェンスに向けて歩き出す。
体の自由が効かないことに困惑している様子だった。
駄目か。胸中を失望が満たす。
―――やはり。あれは生者に害をなす存在だ。
確信した僕は、もう一度、その男の影法師を視た。
はっきりと、その霊の存在を悪をなすものとして認識する。
あ、と。二人は再び困惑している。急に体の自由が戻ったからだろう。
「藤子さん。ダメです。切ってください」
「承知にございまする」
藤子さんは手に黒い棒を持っている。
いや、棒では無く、それは刀だった。鞘を抜き、白刃がきらめく。
あれこそ、藤子さんが楽器ケースに入れていたものの正体だった。
鶴姫一文字、という名刀の写しであるという。本物は米沢博物館に展示されているが、拵えを似せ、名前を同じくすることにより―――その霊験の一端を、レプリカに与える。そういう呪術理論によって生み出された剣なのだという。
つまり、霊験あらたかな剣ということである。
とは言え、どう見ても刃物だ。山口さんと佐竹氏はぎょっとした表情で彼女の手にある得物を見つめた。
「危ないですので、すこし後ろに」
そう言うと、今度は素直に僕の言うことを聞く。
「藤子さん。二人が先ほどまでたっていた当たりです。匂いはするとおもいますので、そこに向けて」
「切るのでありまするな。では」
藤子さんは刀を構え、瞳を閉じた。
彼女にとって、霊と相対するにあたって視覚情報は邪魔なだけなのだろう。
瞠目し、嗅覚を研ぎ澄まし、そして―――
刀を振るう。
じょきん、と。
紙でも切るかのようにそれは切り取られる。
そうして、影法師はこの世界から切り離され、消滅した。
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