第28話
「い、いや、不可能だ。不可能な、はずだ」
グリッズはもう動揺が表に溢れ出している。
あと一歩と言ったところか?
「テレサ様に被り物を外されて、負けて、もうメンタルもボロボロ……貴方も言ってたじゃないですか、魔法戦で精神攻撃は基本だって」
さらに腕に力を込めると異音はどんどんと大きくなり、それと共にグリッズの表情も、滝のように流れる汗と共に、どんどんと崩れていく。
僕はトドメとばかりに大きく床を踏みしめ、ドンっと音を鳴らす。
「ヒッ……」
そんな子供騙しのような脅かしに、グリッズは本気でビビっていた。
文字通りあと一歩だったというわけか。
『ビビっちまいましたね』
「ビビっちゃいましたね」
その瞬間、鎖はまるで絹のような軽い感触に姿を変えた。
魔法戦は精神戦。
そう、最初からずっと言っているように、グリッズは戦う前から負けていたのだ。
僕のご主人様の手によって。
「ふん!」
両腕に力を込めると、今度は簡単に砕け散り、鎖の残骸は周囲に散らばった。
「そんな馬鹿な……お前は、何なんだ」
ついにグリッズの心は、この鎖のように、完全に砕け散った。
その顔は深い深い絶望の色に染まっている。
「ですから、メイドです。すいませんね。イジメちゃって。貴方のことは、嫌いじゃありせんが、貴方の目的は大嫌いなんです」
彼の自信満々なところや、兎の被り物で現れたところ、祭りの会場を誉めてくれたり気遣ってもらったことは全て好感が持てた。
しかし、一人の女性の覚悟を踏み躙って誘拐しようという態度だけで、マイナス百兆点だ。
「何故……何故だ! 何故あんな女にこだわる! 突然現れた、ただ厄介なだけな存在だろ!」
「まあ、それはそうですね」
確かにエルパカはいきなり現れて、屋敷に騒がしさを振り撒く、厄介な存在かもしれない。
でも、それは別に欠点ではない。
「その厄介さが、騒がしさが、私のご主人様には必要なんです。そして、私にとっても、必要なものです」
孤独にこの世界にやってきてしまったあの頃を思えば、騒がしいくらいで丁度いいとさえ思う。
騒がしさが今の僕の日常の象徴であり、そして僕のご主人様は、面白いものがお好きだ。
「さて、貴方にはお帰り頂きたいものですが、どうしたものですかね……」
殺すわけにもいかないが、その辺に放置するわけにもいかない。
さらに痛めつけて、二度とエルパカの前に姿を表さないようにしないといけないだろうか……。
嫌だなぁ……。
「ご主人様、ゴミはゴミ箱へ!ですわ!!!!」
力なく項垂れるグリッズを前に悩んでいると、エルパカが大きな声で僕にそう言う。
その頭上には巨大な門が創り出されていた。
彼女の頭上にそびえるその巨大な門の、巨大な扉の向こう側では、混沌を詰め込んだような色の空間が、ドロリドロリと渦巻いていて、大変に気色が悪い。
あれは……まさか大扉魔法!?
もう使えないという話だったはずでは!
「実は、大扉魔法は行き帰りでワンセットですの!!! 帰還用の魔法はまだ使ってないから、残ってましたわ!!!!!」
「そんな大事なことなんで今まで言わなかったんですか!」
「もう帰る気はなかったので、完全に忘れてたんですわ!!!!!!」
このおバカ!
覚悟も決まりすぎだ!
だけれど、今、その貴重な大扉魔法を使うということは、グリッズを魔界に帰そうということか。
「いいんですか? このまま完全にエルパカに手を出させないようにも出来ますけど」
「もうわたくしに手を出す余裕なんてありませんわ!! それに、ご主人様がそんなことをする必要なんて、まるで、ほんのちょびっとも、一欠片も、ありませんの!!!!!!」
エルパカは自分を攫おうとしたい相手にも、優しく、明るい。
僕もこれ以上の執拗な攻撃は好きじゃない……彼女の提案は願ったり叶ったりだ。
「では、そのように」
グリッズを両腕で持ち上げると、大扉に向かって投げるように構える。
無言でされるがままなグリッズに、僕は最後に一つ、呟いた。
「懲りずにまたこちらに来る時は……他の女を目的に来るんじゃなくて、私だけを狙ってくださいね。浮気な男に靡くほど、お安い女じゃないんです!」
その言葉を聞いて、心底驚いた様子のグリッズを、僕は全力で大扉へとぶん投げた。
そおぉい!
「でも、出来れば二度と来ないでくださいねー!」
大扉には引き寄せる力あるのか、グリッズは加速するように、扉の向こうの混沌へと引きずり込まれていく。
まるでブラックホールにでも飲み込まれているような奇妙な光景だ。
「今度来るときは、貴様に勝って! 必ず、嫁にしてみせるぞクロフィーよ!!!!!」
二度と来ないでと言ったのに、グリッズは最後の最後まで、最低なことを叫びながら、扉の向こうへと姿を消した。
『なんで最後にちょっと口説いたんですか? ホモですか?』
ホモじゃないよ!
こう言っておけば、また復活して戻って来ても、僕だけを狙うかなって思っただけだ。
『逆に復活させちゃった感もありましたよ? ご褒美みたいな……でも、まあ、お疲れ様でした。クロ』
うん、結構疲れたよ。
こうして、魔王は屋敷から、いやこの世界から去っていき、再び、あたりは静寂に包まれる。
グリッズそのものと相対したのは、ほんの短い出来事だったが、僕は彼を歓迎するのに一ヶ月の準備もした為、結構、やりきった感と疲労感がある。
いや、でも、なんだろう。
何か忘れているような……。
「グリッズ様の嫁になるなら、お前は私の主様ということになるのか?」
いつのまにか僕の横に来ていたのはベム子さんだった。
彼女もとんでも運動性能の持ち主なので、これくらいはお手の物か。
「いや、別に嫁になるわけでは……あっ、ベム子さんも魔界に帰さないとじゃないですか! え、エルパカー!!!!」
「も、もう閉じちゃいましたわ〜」
大扉魔法を維持するだけでも、相当に大変だったのか、エルパカは地面に座り込んでいる。
そして、その大扉は今まさに巨大な音をたてながら、ガチャンと閉じてしまうところだった。
「あー!」
「気にするな。私は魔界から出てきた時点で中界に骨を埋める覚悟だったし、そもそも地元だ。それに、将来のグリッズ様の嫁の世話もしないとならんしな」
「えええええええええ」
グリッズはとんでもないものを、中界に残して帰っていった。
その名はベム子……。
いや、僕が帰したんだけどさ!
こうして、巨大なしこりを残したままに魔王騒動は一応の終わりをみせた。
いつかベム子を魔界に返しに行く必要があるかもしれないな……。
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