第52話
美那の死をユリの中では受け入れられないのか、未だに生きていると思っている。入院先ではユリの記憶は一番楽しかった時の時代に遡っていた。先生からは娘さんの死によって記憶障害になってしまっているとの事だった。脳が強い拒否反応をおこし辛い時の記憶が全て無くなり、楽しかった時の記憶が蘇り、その時の自分に戻っていると言っていた。今を受け入れて記憶が戻るかは分からないと。
「ユリ、調子はどうだ?」俺は病室に入り、ユリのベッドの隣に行き、声を掛けた。
「貴方、ごめんなさい。今日は寝坊しちゃって、朝ごはん作れなかったわ。美那と龍之介は小学校に行ったかしら?」先生に言われた通り、ユリの記憶に合わせるようにした。無理に戻そうとしたり、ユリの言葉に否定的な声掛けは更なる脳への刺激が加わるかもしれないと言っていたから。
「心配しなくても二人共、元気に学校行ったよ。」
「そう、良かった。貴方、ありがとう。」
「いいんだよ。二人の子ども達なんだから。お互いに助け合って育てていこう。」
「私、貴方と結婚して本当に良かったって思ってるの。」
「何だよ、今頃、気が付いたのか?」
「あらっ、ごめんなさい。もっと早く気が付くべきだったわよね。うふふっ。」
「そうだよ。」そう言いながら二人で笑った。久しぶりに笑った。ユリの笑顔を見るのは本当に久しぶりだ。記憶が無くても笑顔がいい。俺はもうこのままでもいいんじゃないかと思っていた。
ユリが起こした事故は、ユリの記憶障害により責任能力が無いと判断された。精神鑑定も行った。ユリの中でも事故の記憶が無いので裁判をする状態ではないと、診断書が下りた。ユリに責任能力が無くなっても、俺が誠意を持って償っていくと、相手のご家族には話をした。ご家族はユリに責任を取って欲しいと言っていた。だが、今のユリの状態では何も思い出せないのが現実だった。俺は弁護士に立ち会ってもらい、ご家族にユリを見てもらおうと面会を希望した。本来、被害者家族と加害者の面会など、あり得ないと弁護士に激怒された。被害者家族が加害者への憎しみで何をするか分からないと。それなら直接ではなく診察を行っている所を映像で見てもらう事はどうかと提案し納得してくれた。検察、被害者家族、弁護士の立ち合いの元で診察しているユリの状態を見てもらった。ユリの記憶が数十年前に遡っていた事、事故の記憶が無い事がカメラで流れた。被害者家族も検察側も何とか理解してくれた。損害賠償については俺がなんとしてでも払っていく事で渋々、和解に応じてくれた。
こうして、ユリが起こした事故はユリの記憶障害によって幕を閉じた。
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