第15話
事故からもうすぐ一か月が過ぎようとした頃、ユリが弁護士と一緒に帰宅した。久しぶりに見る妻の正気を失った顔はとても四十代とは思えない程に老け込んでしまっていた。
「おかえり。」俺の言葉に顔を上げた。
「…ただいま。貴方…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」と玄関で繰り返し謝ってきた。ユリの肩にそっと手を置きながら
「これから誠意を持って償っていこう。」と優しく声を掛けた。溢れる涙を拭きながら何度も頷いていた。
「今後の予定は随時、携帯の方に連絡を差し上げますので、宜しくお願いいたします。」そう言って弁護士は帰って行った。以前よりは少なくなったが外にはまだ数人の記者がいた。弁護士と記者のやり取りが玄関の扉の向こうから聞こえてきた。俺は扉を見つめ耳を傾けていたが、ユリはしゃがみ込み耳を塞ぎ、小刻みに震えていた。
「中に入ろう。」とユリの両肩を掴み、リビングに誘導しソファに座らせた。俺はキッチンに行き、温かいコーヒーを入れてユリに持たせる。
「飲んだら落ち着くと思うよ。」
「…貴方、有り難う。」ゆっくりとコーヒーを飲み始める。半分程度飲み進めた時には落ち着いてきたのかユリが事故の事を話し始めた。
「今回の事故なんだけど、私、余り記憶が無くて…。気が付いたら酷い事になってて。警察でも色々聞かれたけど…きちんと答えられなかったの。」
「そうか…今後の事は弁護士の岡部さんに任せよう。」今の俺にはそれしか言えなかった。本当であれば玲子の事もさりげなく聞きたいと思っていたが、こんなに老け込んで別人のようになってしまった妻に聞けるはずもなく、まして玲子の事がきっかけであれば事故を責める事など俺には出来なかった。
だが、世間は容赦なく俺達を責めてきた。
朝のニュース番組や昼のワイドショー、思い出すのも辛い事故現場がテレビに映し出され、リポーターが事故を細かく説明している。それが毎日のように流れていた。その映像によってユリが情緒不安定になるので、ユリが帰宅してからはテレビは付けていない。
龍之介に至っては、あの虐め以来、部屋に籠って出て来ない。ユリが帰ってきた時に部屋のドアをノックして
「母さんが帰ってきたぞ。」とドア越しに言うと
「煩い。お母さんの顔なんか見たくない。お母さんのせいで学校も行けなくなったんだから。」と怒鳴っていた。今まで親に向かって怒鳴る事など無かった息子の言葉に驚き、何も言えずにいると、怒鳴る声があまりに大きかったのか一階に居たユリにも聞こえたらしく、泣き声と一緒に
「ごめんなさい…ごめんなさい…」と謝る声が聞こえた。これ以上龍之介を刺激したら益々、心を閉ざしてしまうと思い、俺はその場を離れ一階に下りた。リビングでは、まだユリが泣いていた。
「今は無理でも何時かは分かってくれる時期が来るから待とう。」と背中を擦りながら言った。
ユリが帰って来たので俺もそろそろ仕事に復帰しようかと考えていた。
「明日から仕事に戻ろうと思うんだけど…大丈夫か?」
「私のために休ませてしまってごめんなさい。」
「龍之介の食事は部屋の前に置いておくと食べるから…」
「はい。分かりました。」母親を軽蔑している息子と二人にするのは不安だが、俺も何時までも休んでいる訳にはいかないので、ここはユリに歩み寄る努力をしてもらおうと思った。ユリが不安な表情を見せていた。
「大丈夫、龍之介だって分かってくれる。今はまだ理解するのに時間が足りないだけだと思うよ。」そう言って励ました。時間が解決してくれる時が必ず来ると俺は思っていた。
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