第226話 婚姻届
穏やかな……と言うには少々物騒ではあったが、世の中が"日常"を受け入れた。
"鏡"からの渡界者は維持できているため、大氾濫の脅威は去った。
領海、領空の境界には、大型のモンスターが鎮座していて、諸外国との物流再開は難しい。
白いゴキブリの総数は掴めないまま、各地で金属が食い荒らされている。
定期的に海から化け物が上陸してくる。
死人の自爆テロが途絶えたため、政治集会が開かれるようになった。
"ナイン"による支援が打ち切られたため、衣食に困窮する地域が散見される。
"ヒトデ"内部のダンジョンは、ウィルを稼ぎ、生活物資を手に入れる場所として、連日大勢の探索者が詰めかけている。
"ナイン"が運営しているギルドの登録者数は激増した。
"ナイン"が表舞台から消え、他国に干渉しなくなった。
なお、日本国は揉めに揉めた。
政治家が銃撃される事件が相次ぎ、無政府状態に陥った後、有志による国民投票が行われて、国政を"ナイン"が受託することになった。
「これ、日本の回線?」
レンは、タブレットを手に振り返った。
「海底ケーブルは止めて、衛星ネットを繋いだとケインさんが仰っていました」
台所にいたユキが、急須と湯飲みを載せたお盆を手に近づいてくる。
「衛星経由? ふうん……」
タブレットには、『ゴビ砂漠の"鏡"』だという動画が流れていた。
設置型のカメラによる映像らしい。
"大氾濫"は無くても、迷い出てくるモンスターはいる。それらを監視するためのカメラのようだった。
「どこの人かな? 中東とか?」
擦り切れて砂まみれになった軍服姿の男女が、カメラに向かって笑顔で手を振っていた。
「インドの方達かもしれません」
ユキが炬燵の上にお盆を置いて隣に座った。
「ああ……そうかも」
レンは、あまり変化の無い動画を眺めながら大きな伸びをした。
『シーカー登録者です』
補助脳のメッセージが浮かび、画面に映っている男女全員の詳細な経歴が表示された。
リリリン……
涼しげな音が鳴って、水着姿のピクシーが現れた。
「ケインさんですね。宇宙ステーションからでしょうか?」
ユキが湯飲みにお茶を注ぐ。
「……完成したのかも」
レンは、壁に吊した日めくりカレンダーに目を向けた。
ケイン達が宇宙に上がってから3年と8ヶ月が過ぎている。
そろそろ、レン達に声が掛かる頃合いだった。
『あ、あのぅ、これを……』
ケインのピクシーが、俯き加減に小さな封書を差し出した。
指で摘まむようにして封書を受け取ると、みるみる大きくなって封が消え、中の紙が大きくなって目の前に拡がる。
会議をやりたい。主要メンバーに声を掛けたから、第九号島に集まって欲しいと書いてある。
会議の議題は、
・惑星改造の進捗状況説明
・宇宙旅行計画
・その他
となっていた。
とても大雑把な項目だが、実際のところ、互いに会って話がしたいだけだ。
特に、レンとユキは、"ナイン"の公務を離れて、隠遁と言っても良いような生活を送っていた。
もちろん、音信不通というわけではない。
ただ、どこへ行くとも告げず、2人で転々と各地を渡り歩いていた。
日本へ着いたのは、1ヶ月前のことだ。
レンとユキは、荒廃した新宿にある【たきも荘】で暮らしている。
高層ビル群が倒壊し、ずいぶんと見晴らしが良くなった新宿の町を散策し、野盗まがいの連中を適当にあしらいつつ、穏やかな日々を送っていた。
ケインのピクシーに返事を持たせて見送ったところで、
『車両が接近中』
補助脳が視界に映像を表示した。
(装甲車だな)
灰褐色に塗装された装甲車両が、朽ちた木造住宅を破砕しながら進んでいた。
「来客ですか?」
ユキがお茶を飲みながら訊ねる。
「うん……ああ、タガミさんだ」
装甲車両には、タガミが乗っていた。
「ケインさんの会議とは別でしょうか?」
「たぶんね」
受託している日本国の国政について、何かあったのかもしれない。
「……揺れますね」
ユキがちらと天井を見上げた。
大型の装甲車両が近づいてくるだけで、【たきも荘】が微かに揺れている。
「ここ、古いからなぁ」
この木造アパートは築何年だか分からない。建っていることが不思議なくらい傷んでいる。
(実際、少し手を入れたから……)
外見よりは補強されていている。
「タガミさん、階段登れるかなぁ?」
「どうでしょう」
ユキが仄かに笑みを浮かべた。
アパートの外階段は腐食が進み、錆びだらけの手すりは外れ、踏み板は強く踏むと抜け落ちる。
階段を使わず、ジャンプをして2階へ上がることが正解なのだが……。
(あっ……)
果たして、外から賑やかな破砕音が聞こえてきた。
「階段、取れたかも」
「直します?」
「いや……まあ、あれは飾りだから」
レンは、笑いながらお茶を啜った。
その時、ひどく慎重な足音が内廊下を進んできて、控え目に扉が叩かれた。
ノースリーブのTシャツに短パンという格好のユキが、無造作に扉を引き開ける。
そこに、タガミが立っていた。
「何か、ご用でしょうか?」
ユキがタガミの後ろに目を向け、他に人がいないことを確かめた。
「突然すまない。レン国王に相談があって来たんだが……」
背広姿のタガミが頭に手をやりながら部屋を覗いた。
「お久しぶりです。何かありました?」
レンは、机代わりの炬燵に入ったまま振り返った。
「ある……というか、あった」
渋い顔をしているタガミをユキが招き入れた。
「話には聞いていたが、えらく古いアパートだな」
どこか懐かしそうに部屋を見回し、タガミが座布団に座る。
「タガミさん一人でも平気でしょう?」
「まあ、要人警護の訓練を兼ねている」
タガミが笑った。護衛の男は扉の外に立っていた。
「それで?」
「なに、いつもの……政治愛好家達がごちゃごちゃやってな。焚き付けられた奴らが暴れたところだ」
「ふうん……」
「それで、首謀者達を捕らえたんだが、まともに相手をするのが面倒なので、何か労役につかせようと思ってな」
「魚の餌にしたらどうですか?」
レンは、湯飲みの底に残ったお茶を回しながら言った。
「ふむ。まあ、それでもいいかもしれんな」
「巡り巡って地球に還りますから……」
レンの視界に、テロを行った者達が表示された。
経歴を見ても、これといって対応に迷うような人物は見当たらない。
「……何か別件が?」
レンは、日焼けしたタガミの顔を見た。
「む……ああ、まあ……」
タガミが短く刈った白髪頭に手をやる。
(あれ?)
レンは、タガミの顔が赤らんでいることに気が付いた。
「いや、この歳になって、あれなんだが……」
「どうしたんですか?」
「実はな。その……キラ君と入籍することになった」
タガミが照れくさそうに言った。
「……えっ?」
レンは耳を疑った。
「おめでとうございます」
隣で、ユキが微笑する。
「えっ? 何か知ってたの?」
「キララさん、ずうっと前からタガミさん一筋ですよ?」
「嘘でしょ? あのキララさんが?」
「初めて渡界した時からです」
「……知らなかった」
レンは呆然と呟いた。
「何というか……揶揄われているんだと思っていたんだが、どうも本気だったらしくてな」
どこか困ったような顔のタガミの前に、ユキがお茶を置く。
「いきなりで……びっくりしました」
レンは、補助脳を使ってそれらしい痕跡を探そうとした。
「駄目です」
それを察したユキが制止する。
「……そう?」
「駄目です」
ユキがじっと見つめてくる。
「……分かった」
レンは素直に引き下がった。
意外過ぎて驚きはしたが、嫌な気分ではない。
たた、あれだけ忙しくしていたキララが、いつどうやってアプローチをしたのか気になっただけだ。
「キララさんだけではなく、お付き合いを始めた人達が沢山います。その人達のことも調べたら駄目です」
「分かったよ」
先回りをするようなユキの言葉に、レンは苦笑気味に頷いた。
「そこで問題がある」
タガミが言った。
「問題ですか?」
「籍を入れるとは言ったが、"ナイン"には戸籍というものが無いだろう?」
戸籍が無ければ、入籍は成り立たない。
「……確かに」
「婚姻届けを提出しようにも、どこに出せばいいのか……用紙すらないからな。とはいえ、何かケジメは必要だと思うんだが……いや、彼女は形には拘らないと言ってくれているんだが、どうもな」
なあなあにせず、きちんと届け出ないと落ち着かないのだとタガミが言う。
「いえ、うかつでした」
「仮とはいえ、日本国の総理大臣をやっている手前、あまり長期間、渡界をしているわけにはいかない。キラ……彼女の方も、宇宙で忙しくやっているし、こんなことを相談するのもな」
総理大臣がプライベートの問題を相談するために装甲車を走らせてくるのはどうかと思うが……。
「僕達も困ります。すぐに対策を考えましょう」
レンは立ち上がった。
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レンが、平和ボケしている!
キララとタガミが付き合っていたらしい!
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