第220話 夢想


「これって……」

 

 6畳ほどの床を見るなり、レンは顔をしかめた。

 

「これが使徒ですか?」

 

 隣でユキが呟いた。

 2人共、ナインの戦闘服姿で肩から自動小銃を吊るし、手には山刀のような形をした刃物を握っていた。

 

「アイミッタを……」

 

 ユキが動こうとした時、

 

「大丈夫よ」

 

 声と共に、"マーニャが姿を現した。その腕にアイミッタを抱えている。

 アイミッタは眠っているようだった。

 

「プロテクトは破られていないわ」

 

 微笑を浮かべつつ、"マーニャ"がアイミッタをユキに預ける。

 

「"使徒ちゃん"……とは違う?」

 

 粘着シートの上に捕らわれている幼い少女を観察しながら、レンは刀を収納して小銃に持ち替えた。

 

 アイミッタを保護する部屋を中心に仕掛けた対思念体用の罠=|粘着シートに、紫色の髪をした少女と金色の髪をした少女が俯せになって貼り付いていた。

 

 形からして、踏み出した足がシートに粘着し、つんのめって顔面から倒れ込んだようだ。

 

(呼吸……必要無いのかな?)

 

 少女達の顔が粘着シートに埋まっている。

 

「逃げられないように気をつけなさい。形は子供のようだけれど、それなりの時間を生きている思念体よ」

 

 両手を前に差し伸ばした"マーニャ"がレンに声を掛ける。

 

 元より、レンに油断は無い。

 手にした自動小銃の弾倉は、対思念体用の銃弾に取り替えてある。

 

 捕獲の必要が無ければ、シザーズで寸断すれば済むのだが……。

 

(何か考えがあるみたいだから)

 

 "マーニャ"からは、最低一体は生かして捕まえるようにと言われている。

 

「ここは、断絶させてあるわ。管理者……"ナンシー"でも、この場所を覗き見ることは不可能よ」

 

 "マーニャ"がふわりと飛んで捕獲された使徒の上へと移動した。

 

「もう"ナンシー"は引き上げたわ。何も言わなかったけれど、私がアイミッタを隠した意味を理解したはずよ」

 

(……でも、距離は関係無いんだよな)

 

 ナンシーとの話し合いは終わり、船から去った形ではあったが、いつ"ナンシー"が現れても不思議ではない。

 

 肉体を持つレン達とは違って、"マーニャ"や"ナンシー"は一瞬で膨大な距離を移動することができる。

 

「恐らく、大丈夫でしょう」

 

 使徒の頭に小瓶から何かの液体を振りかけながら、"マーニャ"が言った。

 

「大丈夫ですか? 僕はともかく……アイミッタに怖い思いをさせたくないのですが」

 

「眠っていて何も覚えていないし……もちろん、これからも怖い出来事は起こらないわ」

 

「……なら良いんですが」

 

 レンは、ユキが抱いているアイミッタを見た。

 

「このお使い達は、彼女とは別口……別の命令系統で動いている。私はそう考えているわ」

 

「……"ナンシー"さんとは別?」

 

「そうよ。彼女の存在格はお使い達よりも上なのだけれど、だからと言って全てを支配下に置いているわけではない……はずよ」

 

 空になった小瓶をどこかへ放り捨てて、"マーニャ"がレンの隣へ戻ってきた。

 

「何を掛けたんですか?」

 

「記憶を開く薬よ」

 

「……自白剤のような?」

 

「忘れてしまった記憶を再構築して表層に浮かび上がらせるものよ。これなら、何かの罠が仕掛けてあっても安全よ」

 

「罠……」

 

 レンは、俯せで弱々しく足掻いている使徒を見た。

 

「私のような識りたがりが覗こうとすると発動する罠……そういうものが仕掛けてある可能性があるわ」

 

 自分なら仕掛けると、"マーニャ"が笑みを浮かべた。

 

「もしかして、また新しい敵ですか?」

 

 レンの眉根が寄る。

 

「それを調べるのよ」

 

「"マーニャ"さん、前からアイミッタの能力を気にしていましたよね?」

 

「前にも言ったかしら? 未来を見るという能力は、何て言うの? 異分子? 系譜の繋がりの先には存在しない……異常な能力なのよ」

 

 "マーニャ"が腕組みをして言った。

 その視線の先で、使徒の頭部から薄く光る何かが湧き出ようとしている。

 

「あれが?」

 

 レンは、銃口を向けた。

 

「う~ん……予想していたものとは違うかもしれないわね」

 

 何が見えているのか、"マーニャ"が首を傾げた。

 

「"マーニャ"さん?」

 

「創造主の痕跡を期待していたのだけれど……」

 

 腕組みをしたまま"マーニャ"が唸っている。

 

「何かおかしいんですか?」

 

「なんだか……これは参ったわね」

 

 難しい表情のまま、"マーニャ"が動かなくなった。

 

「"マーニャ"さん?」

 

「錯覚じゃないわ。これは全くの別口ね」

 

「別?」

 

 レンは、"マーニャ"の顔を見つめた。

 

 嫌な予感……というより確信が頭痛を引き起こす。

 

「ナンシーの……ゾーンダルクに感じるものと、このお使いの記憶は……う~ん、これは色々と組み立て直しになるわ」

 

 思考を声に出しながら頭の整理をしているらしい。初めて目にする姿だった。

 

「安定期というの? これからしばらくは、地球の状況を整える作業になると思っていたのだけれど……ゾーンダルク……汚染された思念体の方ね? 過去に……相当昔に入り込んでいるわね」

 

「……地球に?」

 

「そうね。う~ん、創造主との関わりが見えてこないわ。"ナンシー"が色々噴き飛ばした時に紛れ込んだ? あり得るけれど……それでも痕跡くらいは残っているはずなのよ」

 

 "マーニャ"がぶつぶつと呟いている。

 

 レンは、ユキを見た。

 

「大丈夫です」

 

 ユキの表情が柔らかい。アイミッタの方は問題なさそうだ。

 

「マイチャイルド」

 

「はい?」

 

 どうやら、思考が落ち着いたらしい。

 

「このお使い達、私が預かっても良いかしら?」

 

 "マーニャ"が使徒達を指差した。

 

「いいけど、どうするんですか?」

 

「"ナンシー"の意見を聞くわ。もう、私が欲しい情報は収集できたから……」

 

「逃がしたり……しませんよね?」

 

 レン自身は、この場で使徒達を仕留めるつもりだった。

 

「もちろんよ。そこは、ナンシーにしっかり裁いてもらうわ」

 

「お任せします」

 

「それに、もう印を刻んだから隠れることはできないわ。その時はマイチャイルドがやるしかないわね」

 

 "ナンシー"が曖昧に処理を済ませたら、こちらで処分するということだ。

 

「分かりました」

 

 元々、そのつもりだった。

 レンは、粘着シートの上で弱々しく痙攣している使徒へ眼を向けた。

 

「両方、必要ですか?」

 

「今は……そうね。どちらと決めることは難しいわ」

 

「アイミッタは、もう大丈夫ですか?」

 

 "ナンシー"が何らかの接触を狙っているという話だったが……。

 

「"ナンシー"じゃなくて、お使いの方だったのね」

 

「使徒が"ナンシー"さんの指示で動いていたということは?」

 

 可能性は一番高いはずだ。

 

「一応訊いてみるけれど……恐らく、違うでしょう」

 

 少し考えて、"マーニャ"が首を振った。

 

「"ナンシー"さんの指示じゃなくても、その……別口?というのが居るんなら、他の使徒が襲って来る可能性がありますよね?」

 

「無いとは言えないわね」

 

「でも、だからといって、アイミッタをずうっと罠領域トラップゾーンに置いておくわけにはいきません。あの子に詳しい説明はしていませんが……多分、危険があることは察していると思います」

 

 そうでなくても視えるのだ。今は"マーニャ"が目隠しをしているそうだが……。

 

「難しいところね。アイミッタ自身……あの子の意識とは別のところで干渉を受けている可能性が高いことに変わりはないから、マイチャイルドや恋人さんの近くに置いておきたいのだけれど」

 

 いつまでも、母親から離して連れ回すわけにはいかない。

 そもそも、今回ミルゼッタから引き離して連れてきたこと自体が異常なのだ。

 

「それの性能テストは問題無いから、お使い対策は大丈夫かな?」

 

 "マーニャ"が粘着シートを指差した。

 

「でも、こんなのでアイミッタを囲い続けるわけには……」

 

「ちゃんと見えないように隠すわよ。お使いにも見えないようにね」

 

 微笑しながら"マーニャ"が手を振ると、粘着シートごと使徒が消えて見えなくなった。

 

「見えないだけですか?」

 

「見えないというか……マイチャイルドでも、認知できないでしょう?」

 

「……はい」

 

 どれだけ意識を凝らしても、レンには存在が知覚できない。

 

「少し手を加えてアップグレードした物を用意するわ」

 

「お願いします」

 

「だけど、もう狙って来ることはないと思うわ」

 

「どうしてですか?」

 

「私が眼を付けたからよ。嗅ぎ回っている? 見張っているという方が正しい?」

 

「相手も、"マーニャ"さんを警戒しているんですね」

 

「そうでないと困るわ」

 

「えっ?」

 

「こちらを警戒してくれる存在なら、私が対応できるということよ」

 

「なるほど」

 

「私という存在を歯牙にもかけないような奴が出てくるようだと……ちょっと困ったことになるわね」

 

「そんなの居ますか?」

 

「居ると思うわ。宇宙は広いもの」

 

 "マーニャ"が微笑する。

 

「……宇宙かぁ」

 

 レンは溜息交じりに苦笑を漏らした。

 

 宇宙というものが広いことは分かる。ただ、落ち着いて観察をする余裕は無かった。

 

 往路は、機人化して最高速で移動し続け、何も見えない空間で戦闘をやり、復路は高速艦に拾われて格納庫に吊され……。

 

「色々片付けたら……ゆっくり宇宙観光とかしてみたいですね」

 

 それが、いつになるのか分からないが……。

 

「今すれば良いじゃない。ここは、宇宙なのよ?」

 

 "マーニャ"が呆れたようにレンを見る。

 

「いえ……ですから、戦闘じゃなくて、観光です。平和になってから、ゆっくり落ち着いて……」

 

「ちょっと、言っていることが理解できないわ」

 

「えっと……?」

 

「マイチャイルドが考える平和って何かしら?」

 

 "マーニャ"が腕組みをしたまま首を傾げた。

 

「……戦争とかなくて……穏やかに暮らせる状態のことでしょう?」

 

「アクセスレベルが低くて、関与する領域が狭い間なら、その平和というものが存在するのかもしれないわ。でも、マイチャイルドのアクセスレベルは高位なのよ? 関与する領域は地球人が宇宙の果てと称する空間にまで及ぶわ」

 

「いや、さすがに宇宙の果ては……」

 

「マイチャイルドは勇者なのでしょう? 地球とゾーンダルクを護るのでしょう?」

 

「ええ……まあ、そんな感じですね」

 

「地球とゾーンダルクを護るためには、これからも宇宙の果てまで出張しないといけないわ」

 

「……まだ、あんなのがいるんですか?」

 

「他所の宇宙から、似たような存在が入ってくる可能性があるでしょう?」

 

「それは……」

 

「惑星内の出来事にも対応しないと駄目でしょう?」

 

「あの……」

 

「マイチャイルドが関与できる領域全てが、平和である瞬間は生み出せないと思うわ」

 

「ええぇ……」

 

「"落ち着いた"という期間にもよるのだけれど……数日でも厳しいと思うわよ? だって、地球人って、いつもどこかで戦争をしているでしょう? マイチャイルドは地球全体にアクセスできるのだから……平和を願う気持ちは素晴らしいと思うわ。でも……現実問題として、望みを高く設定し過ぎている気がするのだけれど?」

 

 と、そこまで言ってから"マーニャ"が口を噤んだ。

 

 視線の先で、レンが項垂れるようにして立っている。

 

「御免なさい。過去の類例や確率だけで可能性を論じるべきではないわね。私の悪いところだわ」

 

「……夢のようなことを言ってるなって、自分でも分かっているんです。でも、全部は無理でも、少しだけでも平和な場所が増えるようにしたいと思います。ナインのやり方が良いか悪いかは分かりません。だけど……」

 

「本当に悪かったわ。私は、長く生き過ぎているのね。過去の事象に慣れすぎて、未来の可能性を懐疑的に見てしまうのだわ。これが年を取るということなのかしら」

 

「"マーニャ"さん」

 

 レンは、顔を上げて"マーニャ"を見た。

 

「はい?」

 

「……敵というか、厄介な存在が沢山いることは理解しました。多分、他にも出てくるんだと思います。それに対処する覚悟はできました。ですから……お願いです。平和を作るために……平和な時間を生み出すための、その手助けをして下さい」

 

「それが、マイチャイルドの夢?」

 

「夢というか……希望です」

 

「厳しいことを言うけれど……自然発生的には存在しない時間よ? 人間の文明そのものが自然ではないのだから。維持を目指すのなら、自然ではない方法が必要になる。私はそう考えているわ」

 

「作り物の……誰かに管理された平和でも、それが短いものでも良いんです。本当は、僕じゃなくて他の誰かにやってもらいたい。誰かが作ってくれる平和な時間を楽しむ側でいたい。でも……」

 

 レンは、まだ形もおぼろげな、夢想でしかない平和について語り始めた。

 

 その様子を、"マーニャ"が穏やかに見守っていた。

 

 

 

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使徒が、ホイホイに引っ掛かった!

 

レンが、"マーニャ"を口説いている!

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