第216話 管理責任者
「もどった!」
アイミッタが笑顔で断言した。
つい先ほどまで、泣きそうな顔で床に蹲っていたのだが……。
何が見えたのか、はしゃぎ気味にユキの肩を揺すっていた。
「レンさん?」
長椅子で仮眠をとっていたユキが、飛び起きて格納庫の小窓を覗く。
「もう、だいじょぶ! こわくない!」
ユキの上着の裾を握ったまま、アイミッタが嬉しそうに跳ねる。
レンの中に渦巻いていた"こわい"感情がようやく鎮まってきたらしい。
「大丈夫だと言ったでしょう?」
等身大の"マーニャ"が現れた。
「はい」
小窓からレンを見つめたままユキが頷いた。
「まあ、予想よりも時間が掛かったわね」
"マーニャ"もレンを見た。
格納庫に収容された時よりも、体表の損傷がやわらいでいる。左腕もほぼ元通りに再生していた。
「体は時間で再生するから問題無かったのだけれど……思念体の傷は、マイチャイルドの復元力によるものよ」
「……心のことでしょうか?」
ユキが訊ねる。
「そうね。まだ、地球人の"心"というものを完全には理解していないのだけれど……とても近いものだと思うわ」
「心は……思念体は、もう大丈夫なのですか?」
「外形は元に戻ったわね。内包エネルギー量は前より増えているわ。これは、耐性がついたからでしょう。エネルギーの巡りは少し滞っているのだけれど……今は、自らの意思で眠っているわね」
"マーニャ"が穏やかな口調で説明する。
「ねてる?」
アイミッタが"マーニャ"を見た。
「そうね。眠ることで体が回復……怪我が治るわ。そして、体の怪我が治ると、心も元気になるのよ」
そう言って、"マーニャ"がふと視線を巡らせて壁にある通信パネルを見た。
途端、通話パネルが赤く点滅を始めて呼び出し音が鳴った。
「ゾーンダルクの領域内に到着したわ。予定時間を7分過ぎてしまったけれど……ナンシーのお使いが近づいて来ているわね」
「ナンシーさんの……使徒ですか?」
ユキが通信パネルに触れる。
『ユキちゃ~ん、お迎えっぽいのが近づいて来ているよぉ』
スピーカーからマイマイの声が響く。
「使徒ですね?」
『いかにも、天使ですぅ~って姿をしているよぉ。やっぱり、地球で何かの資料を拾ってモデリングに使ったのかもねぇ』
「念のため、警戒態勢に移行しましょう」
『おっけぇ~』
「操艦室へ向かいます」
レンが吊されている格納庫を振り返りつつ、ユキはアイミッタを抱え上げた。
「ここをお願いします」
"マーニャ"に頭を下げて、ユキが部屋から駆け出て行った。
にこやかに手を振って見送った"マーニャ"だったが、
「こらっ、マイチャイルド! さっさと復活しなさい!」
腕組みをして、格納庫に吊されているレンに声をかける。
「……まだ無理なのは分かっているのだけれど」
"マーニャ"が隔壁をすり抜けて格納庫へ入った。
ふわりと宙を舞って、機人化したレンの頭部に近づいて浮遊しつつ、背後を振り返った。
「コンヴィクタと戦って無事で済むはずがないもの」
「本当に、アレを斃したのね」
静かな声と共に、宙空から湧き出るようにして"ナンシー"が現れた。
額中央に黄金色の眼が開き、全身に黄金色の甲冑らしきものを着ている。
「あら? ずいぶんと勇ましい格好ね?」
「戦いの場に赴いたのです。白衣では場違いでしょう」
"ナンシー"が苦笑を浮かべる。
「マイチャイルドを信じていなかった?」
「勇者レンが……というより、アレを完全に消滅させる手法が信じられなかったわ」
「ふふふ……貴女は物質文明寄りの存在だもの。コンヴィクタとは相性が悪かったのよ」
"マーニャ"が"ナンシー"の正面に移動する。
「創造主は、何も規定していないないわ」
「そうだと良いのだけれど……」
微笑を浮かべた"マーニャ"の全身が"ナンシー"の甲冑を模したものに包まれる。
具現化させた甲冑は、機人化したレンと同様、白銀色に輝いていた。
「私は、勇者レンを害するつもりはないわ。治療を手伝うために来たのよ?」
"ナンシー"が"マーニャ"を見つめる。
「かもしれないわね」
正面に立ち塞がった"マーニャ"が微笑を浮かべる。
「……貴女も、アレとの戦いで消耗しているでしょう?」
「マイチャイルドを護るだけのリソースは残しておいたわ」
"マーニャ"が淡い笑みを浮かべた。
「……彼のような存在は管理されるべきです」
「私は、生物が自由に生きる様子を見たいの。管理するのも、されるのも大嫌いなのよ」
「星を……惑星そのものを破壊できるほどの存在を野放しにするというのですか?」
"ナンシー"の黄金瞳が光を宿した。
「ええ、そのつもりよ」
"マーニャ"が微笑で応じる。
「……極めて危険な判断です」
「あら、どうして?」
「感情が大きく振れる年齢です。その感情に任せて、過ぎた力を振るう可能性が高いと判断します」
「そうかしら?」
"マーニャ"が小首を傾げた。
「私は地球人の歴史を見てきました」
「私も記録を見たわ」
「地球人は、過ぎた力を持つべきではありません」
「どこの何方が何を基準に、"過ぎた"と規定しているの?」
"マーニャ"と"ナンシー"が対話を続けながら、互いに動かずに見つめ合う。
甲冑から舞い散る黄金と白銀の光粒子が量を増やし、格納庫の中を明るく輝かせる。
「誤解をしているのであれば……私は、勇者レンを傷つけようというのではありません。その過ぎた力を封印するべきだと言っています」
「何もかも全てマイチャイルドのものよ。第三者の都合で封じることなど私が許さないわ」
揺るぎない意思を宿して、"マーニャ"の双眸が"ナンシー"を捉える。
「地球人……いいえ、ゾーンダルク人であってもほとんどが私の考えを理解するでしょう」
「ふふん……世界が敵になっても、私はマイチャイルドの味方よ!」
鼻で笑った"マーニャ"が、両手を腰に当てて胸を張る。
「……勇者レンが暴走した時、その矛先は貴女に向けられないとでも? いくら貴女でも、今の勇者レンに害意を向けられて無事でいられるますか?」
"ナンシー"が問いながら距離を詰める。
「マイチャイルドが私を? 笑止千万! 寝言は寝て言いなさい!」
両手を腰に当てたまま"マーニャ"は微動だにしない。
「何を根拠に、彼を……勇者レンの善良さを信じるのですか?」
「愛よ!」
"マーニャ"が笑う。
「……愛? そのような曖昧で移ろいやすい感情など、根拠たり得ません」
顔をしかめて"ナンシー"が首を振る。
「お馬鹿さんね。私がマイチャイルドを愛しているのよ。この感情は普遍なのだわ!」
「貴女が……高位次元体の貴女という存在が、どうして……」
理解に苦しむといった顔で"ナンシー"が呟く。
「こういうの何て言うの? ノーリーズン? 問答無用? う~ん……とにかく、愛に理屈なんてないよの! そんなことが分からないなんて、にわかね! 管理者失格よ!」
"マーニャ"が、"ナンシー"を指差して言い放った。
"ナンシー"が口を噤み、双眸を厳しくする。
その時、
『あのぅ……』
金銀の粒子が乱れ散る格納庫に、遠慮がちなレンの声が響き渡った。
「あら? マイチャイルド、起きたのね!」
"ナンシー"を見つめたまま、"マーニャ"が声をかける。
『賑やかだったもので……なんか、揉めてます?』
「ちょっと
『喧嘩は良くないです。どちらも長く生きているんですから、ちゃんと話し合って解決しましょう?』
「……あら、それは素敵な意見だわ。さすがは、マイチャイルドね」
"マーニャ"が軽く瞬きをして、レンを振り返る。
『駄目ですよ。ナンシーさん』
視線を外した"マーニャ"めがけて詰め寄ろうとした"ナンシー"が、レンの声で動きを止めた。
『マーニャさんに何かあれば、僕、キレますよ?』
「……勇者レン」
"ナンシー"が呻くように声を漏らした。
『僕は、ナンシーさんとの約束を守ったでしょう? 地球とゾーンダルク、両方を護りましたよ?』
機人化したレンの全身から燐光が放たれ始め、体表に残っていた傷が消えていった。
「しかし……それでも、貴方の力は危険過ぎるのです。管理者として看過できる限度を大きく超えています」
『いや、僕なんかより……ナンシーさん達が設置した"鏡"の方が危険ですから。地球人が絶滅しかけたんですからね?』
「それは……それについては……だからこそ、私に任せられた権限の範囲において、貴方達の要求事項を受け入れてきたのです」
『おかげで、地球人は滅ぶことを回避したと思いますけど……原因は、"鏡"を設置した創造主ですからね?』
「創造主については……」
『ぶっちゃけ、今の僕って、ナンシーさんの手に負えますか? 僕は、コンヴィクタにも勝ちましたよ?』
吊されたまま頭を動かし、レンがナンシーを見る。
「……無理ですね」
"ナンシー"が、ゆっくりと首を振った。
『創造主なら?』
「全てを超越する存在です」
『なら、僕のことは創造主さんに任せませんか?』
「うふふ……それは素敵な意見ね! マイチャイルド! 素晴らしい提案だわ!」
喜色を浮かべた"マーニャ"が軽く手を振った。
全身を覆っていた白銀の甲冑が消え去り、いつものビジネススーツに白衣という格好に戻った。
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超人類による戦いが始まる寸前だった!
勇者レンが、世界を救ったようだ!
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