第211話 宇宙の羽虫
(暗い……)
視界が存在しなかった。
自分の目が開いているのかどうかすら分からない。
(指は……)
あると思う。そんな感じがする。
(でも……)
いや、体はある。
どこか冷たく鈍い痛みを感じている。
(……どうなった?)
記憶が蘇ってきた。
"シザーズ"でヌメッとした軟体を切断した……はずだ。
そこで、対思念体用の最大火砲を放射した。
避ける間は与えなかった。
(当たったはず……だけど?)
ゆっくりとした鼓動が響くたびに、体のどこかが痛む。
(……ん?)
何か聞こえた気がした。
耳というより頭の中に大きな声が響いている。
そんな気がした。
(声……だれ?)
意識がぼんやりとしていて定まらない。
反応してくれない自分に苛々としてくる。
(だれ……ですか?)
酔ったように気怠く揺らぐ意識をなんとか繋ぎとめながら、レンは声の主を求めた。
その時……。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ!
煩い金属音が耳元で響いた。
(うっ!? なに……なんだ?)
思わず顔をしかめ、レンは音源に顔を向けた。
そこに、2頭身の"マーニャ"が浮かんでいた。
手に、中華鍋とお玉を握っている。先ほどから、中華鍋を打ち鳴らしていたらしい。
『おはよう! マイチャイルド!』
瞬きをするレンを見て、"マーニャ"が破顔した。
料理でもしていたのか、紺のビジネススーツの上から白いエプロンを着けている。
『早く起きないと遅刻するわよ!』
「えっ……と?」
まだ頭が働いてくれない。
レンは、視線を巡らせながら、状況を理解しようとした。
『何も見えないでしょ?』
「……はい」
中華鍋を持った"マーニャ"しか見えない。
真っ暗だった。
『そういう場所だから気にしないでいいわ』
2頭身の"マーニャ"が中華鍋とお玉を放り捨てた。
すぐに、どちらも暗闇に吸われて見えなくなる。
(歪んだ?)
闇に消える寸前、中華鍋が捻れて圧壊したように見えた。
『あら? そう見えたの?』
「はい」
『まあ、物質が存在しない空間なのだから……形ある物は形を許されずに、形があるべき空間へ吐き出されるのよ。軸が歪むから、物質は形状を維持できないわ』
「……えっと?」
何を言っているのかよく分からない。
『マイチャイルドの世界では、まだ認識できない場所に居るということよ』
"マーニャ"が笑みを浮かべた。
「認識できない場所ですか?」
レンは、自分の体を見回した。
何かに引っ張られているような感覚がある。気を抜けば、自分の体があることすら分からなくなりそうな怖い感じがした。
『ちゃんと存在を保つことができているわね』
"マーニャ"が満足そうに頷いた。
「……存在を? なんだか、凄く頼りないような……気持ち悪い感じがします」
『本当だったら、感覚どころか、意識だって保っていられないわ。物質文明にとっては、ここは存在しない空間なのだから』
闇の中を、光を纏った"マーニャ"がふわりと移動する。
「存在しない空間……」
レンには分からない。
『宇宙の果てに行くと言ったでしょう?』
「……はい」
すると、ここが宇宙の果てなのだろうか?
『マイチャイルドが考える"果て"とは少し違うのだけれど……今は、"果て"に居るという理解で良いわ』
微笑を浮かべた"マーニャ"が、ふわりふわりとレンの周囲を舞う。
なんだか、機嫌が良さそうだ。
『うふふ……とても気分が良いわよ』
レンの思考を読んだ"マーニャ"が笑う。
「何かありました?」
レンは訊ねた。
『あらあら?』
"マーニャ"が目を大きく見開いて、まじまじとレンの顔を見る。
『自分が何をしたのか覚えていないの? もしかして、記憶が欠損してしまった?』
「えっ? いえ……」
"迷惑ちゃん"を"シザーズ"で切断して、アブソリュート・バスターを最大出力で撃ち込んだ。
その結果、この状態に陥ったのだ。
それは覚えている。
『覚えているじゃない』
安心したように、2頭身の"マーニャ"が息を吐いた。
「……その"迷惑ちゃん"はどうなりました?」
『"迷惑ちゃん"……コンヴィクタという名称なのだけれど、あいつはまだ存在を保っているわ』
ニッと白い歯を見せた"マーニャ"の手に、虫取り網と虫籠が現れる。
"マーニャ"がその場でくるりと回ると、白いランニングシャツに、色あせた黒い短パン、素足にゴム草履という格好になった。
「なんです、その格好?」
『マイチャイルドは、不勉強ね。これは虫取りの正装よ!』
笑みを浮かべる"マーニャ"の頭に、大きな麦わら帽子が現れた。
「虫取りって……」
レンは、何もない暗中を見回した。
『ここは、本来なら思念体であっても存在することが許されない空間なのよ』
呟いて、2頭身の"マーニャ"が中腰になって虫取り網を構えた。
そこには何もない。
闇しか無い場所だったが……。
『そこっ!』
"マーニャ"が気合いと共に網を振り抜いた。
(とれた?)
『そこかっ!』
"マーニャ"が振り向きざまに虫取り網を振り回す。
(……とった?)
『むぅ……』
2頭身の"マーニャ"が悔しげに顔を歪めている。
どうやら虫に逃げられたらしい。
「何がいるんです?」
マーニャの顔が向く方を目で追いながら訊ねるが、
『ここっ!』
"マーニャ"が躍起になって網を振り回している。
「そこに、何かいますか?」
『虫よ!』
肩で息をしながら、"マーニャ"が答えた。
「虫……ですか?」
レンには何も見えないが……。
『音がするのよ! すっごく嫌な音!』
「音?」
『プ~ン……って、耳元で聞こえるのよ!』
"マーニャ"が癇癪を起こしている。
「……ああ、ああいうやつですか」
確かに嫌な音だ。
「あれを叩きたいなら、道具が違いますよ」
『えっ?』
「別に捕まえなくても退治できれば良いんでしょう?」
『そうね。取りあえず、叩き落とせれば……』
小さく頷きつつ、"マーニャ"がふわりと飛んでレンの顔の前に来ると、手を伸ばして額に触れる。
『……あら、良い武器ね』
2頭身の"マーニャ"が不敵な笑みを浮かべた。
持っていた虫取り網を放り捨て軽く手を振ると、マーニャの右手にラケットのような形をした物、左手にはスプレー缶が現れる、
『ふっふっふ……』
"マーニャ"が殺意を漲らせた視線を巡らせた。
なおしばらく、噴霧が続いた。
ラケットを振り回していたが、一向に電撃音が聞こえてこない。
(……何分くらい経ったかな?)
沈黙を保ったまま、レンはぼんやりと眺めていた。
『こっ、ここに……時間はないっ!』
気合いの入った声と共に、マーニャがラケットを振り抜いた。
その時、
バチッ……
待望の閃光が爆ぜた。
「あ……」
『やっ……やったぁ!』
"マーニャ"が歓喜の表情で、ラケットを頭上に突き上げる。
(ん?)
ほんの一瞬だったが、レンの目が、落ちてゆく"何か"を捉えていた。
『ふふふ……いいざまだわ!』
"マーニャ"が火バサミを取り出して何かを摘まむと、腰に吊していた虫籠に押し込んだ。
『マイチャイルドの周囲だけを隔絶させてあるのだから……逃げ込む場所は、ここしかなかったのよ』
"マーニャ"が虫籠の小窓から中を覗き込みながら言った。
「えっと……それって、もしかして?」
"
『その通りよ!』
"マーニャ"が、満面の笑顔で虫籠を差し出した。
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レンは、暗所恐怖症には厳しい場所を漂っていた!
宇宙の果てで、虫取りだ!
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