第191話 パートナー



「解約して退去したんだ」

 

 レンは見覚えのあるカーテンを開けながら言った。

 

「この部屋ですか?」

 

 ユキが鈍く光る大型拳銃を手に薄汚れた襖へ目を向ける。

 

「だから、ここが元通りのはずがないんだけど」

 

 退去時に荷物は全て運び出してある。

 

(……あるはずがない)

 

 祖母が大切にしていた桐箪笥の上に、小さな位牌が置かれていた。

 

「幻影ですか?」

 

「別の空間に閉じ込められたかも」

 

 ここは、以前"使徒ちゃん"の試練で飛ばされた世界に酷似している。

 

(いつから?)

 

 新宿駅の近くに自転車を置いて、瓦礫が散乱した中を歩いてきたが、異変らしきものは感じなかった。

 

「空間の境界を感じませんでした」

 

 ユキが首を傾げる。

 

「……だよね」

 

 レンは、窓の外を確かめてから、押し入れや箪笥、流し台の下など開いてみた。

 ここが"よく似た別の世界"だったとしても、今のレンにとっては脅威ではない。仮に、使徒ちゃんの試練で遭遇したモンスターが居たとしても……。

 

(そういえば……)

 

 レンは、携帯端末を取り出してみた。

 

(こっちじゃないか)

 

 【アイテムボックス】から、かつて使用していたスマートフォンを取り出す。

 

(……何も無いな)

 

 あの時は、"使徒ちゃん"から電話が掛かってきたのだが……。

 

「何も無いですね」

 

 冷蔵庫を開いたユキが呟いた。

 

「まあ……ね」

 

 レンは桐箪笥の上の位牌に目を向けた。

 

(ちょっと前までなら、抜け出せなかったかもしれないけど)

 

 つい先ほど、こうした空間を抜け出すことができるようになった。

 

(なんか、他にも作られた空間がありそう)

 

 レンはゆっくりと視線を巡らせた。

 

『創造された異空間がいくつか存在します』

 

 視界中央に、補助脳のメッセージが浮かぶ。

 たきも荘を中心にした異空間がいくつか存在しているようだった。

 

("使徒ちゃん"の作品か。廃棄したなら消去しておけよな)

 

 レンは苦笑を浮かべた。

 色々と思い出深いアパートだが、あまり長居をするような場所ではない。

 シザーズで空間を切り裂こうかと、レンが考えた時、

 

「レンさん、せっかくなので、ここでご飯を食べませんか?」

 

 不意に、ユキが提案をしてきた。

 

「えっ? ここで?」

 

 寒々しいほどに何もない部屋だ。家具と言えば、壁際の箪笥と色あせた畳に置かれた炬燵くらい。

 

「ここから出るのは難しくないでしょう?」

 

 ユキが炬燵の天板の上をアルコールティッシュで拭く。

 

「まあ、そうだね」

 

「それに、座って食事ができる場所は少ないです」

 

「……確かに」

 

 かなり広範囲の建物が火災で倒壊し、都内は完全にゴーストタウン化している。

 その点、ここは閉じた異空間とはいえ、屋根と床板、壁がある。

 

「そういうことなら、靴を脱ぐんだった」

 

「そうですね」

 

 レンとユキは、戦闘靴を脱ぐと扉の前に揃えて置いた。

 

「ここで長く暮らしていたのですか?」

 

 畳の上に座り、お茶の入ったポットと湯飲みを取り出しながら、ユキが話しかけてくる。

 

「うん、お婆ちゃ……祖母に育ててもらったんだ」

 

 レンは、箪笥の位牌を振り返った。

 

「2人で暮らすのなら十分な広さです」

 

 ユキが微笑する。

 

「炬燵を退かさないと布団も敷けないけど……まあ、別に気にならなかった。少し、うるさかったけどね」

 

「うるさい?」

 

 ユキが小首を傾げる。

 

「壁が……ね」

 

 レンは拳で壁を小突いた。

 

「お隣の音が?」

 

「お隣どころか、下の階の音まで聞こえるよ。押し入れのベニヤ板を破ったら隣の部屋なんだから」

 

 軽く笑いながら、レンは仰向けになって天井板を見上げた。

 

「音は困りますね」

 

「ははは……まあ、慣れるけどね」

 

「今は、どうなっているのでしょう?」

 

「ここ?」

 

「はい」

 

「焼けたんじゃない? 木造だったし、よく燃えそうだもん」

 

 ゴキブリ退治のために、地下という地下を灼き払ったのだ。地上にも大損害が出ている。"たきも荘"が無事で済むはずがない。

 

「魔王とゼインダは、この異空間で何がやりたかったのでしょう?」

 

「たぶん……気持ちが揺れる瞬間を狙ったんじゃないかな」

 

 天井を見つめたままレンは答えた。

 

「気持ちの……思念体らしい考え方です」 

 

「全然違う狙いだったかもしれないけど」

 

 レンは起き上がった。

 卓上コンロが置かれ、2人用の小さな土鍋が火にかけられていた。

 周りに、肉と野菜を乗せた皿が並べられている。

 

「うわぁ……豪華だ」

 

 レンは、軽く目を見張った。

 

「しゃぶしゃぶです。ゴマだれとポン酢、どちらが好きですか?」

 

「うちは、塩とレモンだった」

 

「美味しそうですね」

 

 小さく頷いて、ユキが塩とレモン汁の小瓶を取り出す。

 

「異空間にあるアパートで、しゃぶしゃぶ……って」

 

 箸を受け取りながら、レンは不意に押し寄せてきた笑いの衝動を抑えきれず、声をたてて笑い始めた。

 つっかえていた何かがこぼれ出てきたように、レンは笑って笑って……そして大きく肩で息をした。

 その様子を、ユキがほのかな笑みを浮かべて見つめている。

 

「なんか、戦ってばかりだったけど……こういうのも良いね」

 

 レンは、素直な感想を口にした。

 

「はい」

 

 穏やかに微笑みながらユキが首肯する。

 

「……いや、そうか」

 

 こういう日常を護るために戦っているんだ。

 こういう日常を取り戻すために銃を撃っているんだ。

 こういう日常を手に入れるために危険を承知でモンスターに挑んでいるんだ。

 

「こういうのを助けるのが、勇者なのかな?」

 

「勇者というのは架空ゲーム世界の生き物でしょう?」

 

 ゴマだれに湯がいた肉を浸しながらユキが言う。

 

「架空……そうだね」

 

 レンも肉を摘まんで鍋の湯に浸した。

 

「だから、レンさんが考える勇者でいいと思います」

 

「僕が考える勇者……」

 

 肉にレモン汁を付けて頬張りつつ、以前誰かに同じようなことを言われた気がして考え込んだ。

 

「魔王は倒しました。ゼインダは……まだ分体がいるかもしれません。でも、もう大きな厄災を引き起こすだけの力はないと思います。創造装置による人類滅亡を回避するという大目標は達成しました」

 

「うん」

 

 ユキの言葉に、レンは頷いた。

 

「"鏡"や"ダンジョン"のモンスター、海から来るモデウス……そういうものと付き合いながら生活ができる環境を整えた……と思います。まだ、完全ではありませんけど……ここからは、地球の……生き延びたいと思っている皆さんが頑張ってくれるはずです」

 

「そうだね。人が生きていけるだけの仕組みはできたと思う」

 

「だから、勇者の仕事も変わっていいと思います」

 

「世界がどうとかじゃなく?」

 

「はい。疎開地やキャンプに食料を届けることだって勇者の仕事です。炊き出しをしてもいいと思います。温かくて美味しいご飯があれば、気持ちが落ち着きます。心が強くなります」

 

 ユキが温かい白米を盛った茶碗を差し出した。

 

「……ありがとう」

 

 レンは、顔を赤くしながらご飯を受け取った。

 

「勇者は心が強くないと駄目です」

 

「うん?」

 

「だから、沢山食べて下さい」

 

 ユキが微笑んだ。

 

 

 

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異空間の[たきも荘]で、しゃぶしゃぶだ!

 

ユキの"勇者論"に、レンはタジタジだ!

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