第189話 海が見える丘


「この辺りに港があったそうです」

 

 倒壊したビルの残骸に腰掛けたユキが言った。

 移動してきたレンに気が付いて待ってくれていたらしい。

 

「地図と合わない。地形が変わったのかも?」

 

 レンは鉄筋が剥き出しのコンクリート塊を蹴って、ユキが座っている少し高い場所まで上がった。

 

 かつて、アメリカ合衆国バージニア州と呼ばれていた土地だ。

 レンとユキが眺めているのは、バージニア州の南東部にあった軍事基地のなれの果てである。

 州内のサフォークとロアノークという街に"鏡"がある。さらに隣接している州のダラム、グリーンビルの上空……そして、アナポリス近くの海中にも"鏡"が存在していた。

 つい一年前までは、大氾濫スタンピードが起きているのは、グリーンビル上空とアナポリス海中の"鏡"だけだったが、今は東部を放棄して戦力の大半を西海岸側に集めている。

 

「この辺の"鏡"は全て大氾濫スタンピード中みたいです」

 

「ワニみたいなのが多いね。海が近いからかな?」

 

 先日まで降り注いでいた弾道ミサイルが止み、レンとユキが眺めている旧軍港周辺には、巨大なモンスターが戻ってきていた。

 

「昨日から、AIが監視をしているそうです」

 

「うん。マイマイさんの作った人工知能らしいね。この辺のモンスターは放置でいいのかな?」

 

 見渡す限り、異形のモンスターがうろついているのだが……。

 

「保護下に入った人が5億人を越えたそうです」

 

「目標は、3億7千万人だったよね?」

 

「はい」

 

 頷いたユキが、ポットと紙コップを取り出して、中身を注いだ。

 

「ここからは、AIのコントロール下で監視体制を維持し続けるから、自由にしていいらしい」

 

 ユキが差し出す飲み物を受け取りつつ、レンは水平線に目を凝らした。

 

『大型のサメに似た個体です』

 

(……96メートルか。結構大きいね)

 

 視界に表示されたモンスター情報を見ながらレンは紙コップに口をつけた。

 

「ほうじ茶?」

 

「はい」

 

 わずかに目を細めたユキが軽く手を振る。直後、かなり離れた場所で重たい衝撃音が鳴った。

 

『大型の走竜です』

 

(なんか、体高3メートルくらいじゃ大型だと感じなくなったよ)

 

 レンは苦笑を浮かべつつ、紙コップのほうじ茶を口に含んだ。

 お茶を飲みつつ、ユキが手首を返すようにしてコンクリートの破片を投げている。

 囲むようにして迫っていた走竜の群れが、コンクリート片に貫かれて次々に崩れ落ちていた。

 

「ここは、食料なんか無いですね」

 

 ユキが呟いた。

 

「まあ……ここは"鏡"だらけだから」

 

 レンは上空を見上げた。

 海や陸だけでなく、空も警戒して暮らさないといけない。

 敷地が頑強な防壁に囲まれていたとしても、安全とは言えないから気が休まらないだろう。

 

「向こうに、地下で暮らすための施設がありました」

 

 ユキがレンから紙コップを受け取りながら海とは逆の方を指差した。

 独立型の地下シェルターを並べて埋め繋ぎ合わせ、共同の避難所にしてあったらしい。

 

「記録では、1年以上前に放棄された……となっているね」

 

 レンはユキの横顔を見た。

 

「小さな子供がいました」

 

 逃げ遅れたのか、あえて残る選択をしたのか。数家族が地下施設に残っていたらしい。

 

「場所は?」

 

「かなり傷んでいたので……施設ごと埋葬しました」

 

「……そう」

 

「餓死だと思います」

 

 地下施設で遺体の死因を調べたらしい。

 

「知っていれば、助けることができました」

 

「うん」

 

「私達"ナイン"は力をつけました。世界中のどこの国が相手でも、どんな軍隊が敵になっても負けることはないと思います」

 

「うん」

 

「だから……力に余裕があるから、もっと助けることができるはずです。国同士の約束事に関係無く、飢えている人を助けることができます」

 

 ユキがレンを見た。

 

「そうだね」

 

 レンは頷いた。

 

「そうするつもり……だったのですか?」

 

「もう自由にして良いって言うから……食べ物とか服とかを届けて回っても良いよね」

 

 "ナイン"の統制下で保護された人々の他に、国の事情によって"ナイン"の保護下に入れない人々がいる。

 

(ここまでは、時間との闘いだったけど……)

 

 ここからは、同盟がどうこう関係ない。"ナイン"としての目的は達成できたのだ。国家なんか無視し、個人として助けたいと思った人間を助けて回っていい。

 

「ここを見ていると世界の終わりって感じだけど……まだ普通に人が暮らせる場所はあるし、ここを底にして世界が少しずつ回復してゆく……そういう計画だったんだから」

 

 レンは、雲間から覗く太陽に目を向けた。

 

「……はい」

 

 ユキがレンの横顔を見つめた。

 

「人助けって、勇者の仕事でしょ?」

 

「はい」

 

 頷くユキの双眸が微かに和む。

 

「もう、【アイテムボックス】に弾薬を詰めなくて良い」

 

「私達の【アイテムボックス】なら、水や食料がいっぱい入ります」

 

「たぶん、医療カプセルなんかも入るよね」

 

 レンは、白波が立つ海を眺めた。

 

 ゲームを題材にして創世を重ねられたデタラメな世界に、ゲームのような生活様式を強引に捻じ込み、文字通り力尽くで世界を管理して、60年後の創造神との邂逅を迎えようとしている。

 

(その創造神だって、本当に60年後に来るとは限らない)

 

 分の悪い賭けだということを承知の上で、"ナイン"の面々は"世界救済プロジェクト"を立ち上げた。

 そして、プロジェクトで掲げた目標値を達成することができた。

 

(魔王とか残ってるけど……)

 

 今のレンにとっては、魔王も大きなゴキブリも大差がない。

 

「"ナイン"の管理システムの保全はタチバナさん達に任せて、一度、ゾーンダルクへ行ってこようと思う」

 

「九号島へ?」

 

「うん。ナンシーさんに会って話がしたい」

 

 "マーニャ"からのリクエストだった。

 もうじき、レンの体を構成するマテリアルの入れ替えが完了するらしい。そのことを、前もって"ナンシー"に伝えておきたいそうだ。

 

「一緒に行っても良いですか?」

 

「もちろん」

 

 レンは、立ち上がって大きく伸びをした。

 

「アイミスはどうしました?」

 

「南鳥島ステーション経由で、第九号島送り」

 

 機体が悲鳴を上げるほど飛び回り、モンスターを相手に暴虐の限りを尽くして満足したらしい。無人機で回収されて南鳥島に到着する頃には、マノントリが眠りに落ちていた。

 

「モーリさんから……ダンジョンに入ったシーカーの中に、カナさんの名前があったそうです」

 

 不意に、ユキが言った。

 

「うん、知ってる」

 

 叔母が無事でいることも確認している。

 

「魔王が狙ってくるんじゃないかと思ってたんだけど、何も無かったな」

 

「そういえば、魔王に動きがありませんね」

 

「米軍の転送でエネルギーを消耗したから、また忘れた頃に何かやってくるのかも」

 

「……居場所を?」

 

「4つに分裂しているみたい」

 

「4つに? 分裂すると弱くなりますよね?」

 

「1つのままでも、もうたいした強さじゃないから」

 

「そうですね」

 

 ユキが頷いた。

 

「ただの生存戦略だったら残念過ぎるって、マーニャさんが言ってたよ」

 

 "マーニャ"は、何か逆転の一手を狙っているはずだから……と、警戒を続けている。

 だが、それもレンのマテリアル換装率が100%に達するまでのことらしい。

 

(……どうなるんだろう?)

 

 今更ながら、不安が過った。

 今のままでも、人間という枠を大きく逸脱している。

 

「大丈夫です」

 

「えっ?」

 

「私が一緒です」

 

 座って海を眺めたまま、ユキが言った。

 

「……あれ? 声に出てた?」

 

「いいえ。でも、そういう顔をしていました」

 

 そう言って、ユキが淡く笑った。

 

 

 

 

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レンとユキは、ノーフォークで落ち合った!

レンとユキは、自由行動を開始することにした!

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