第178話 紛争調停


「ダンジョン産の水や食料が持ち込まれたみたいね」

 

 キララがタチバナに声を掛ける。

 

「はい。鹿児島の吹上浜です。持ち込んだのは、"金のモグラ"というクランですね」

 

 タチバナがタブレット端末を見ながら答えた。

 

 シーカーズギルドが運営するシーカー専用のマーケットが機能し始めている。

 当初は、第一線を退いた中高年の渡界者を中心にした利用が多かったが、少しずつだが十代、二十代の若者達による参加が増えている。

 使用できる通貨は"ウィル"である。

 地球の通貨との両替ができない、シーカーズマーケットとステーション内でしか使用できない通貨だったが、今の世界では最も価値があると言って良いだろう。

 物流が壊滅状態になり、原材料の流通が滞り、生産もままならず、些末な日用品が数百万米ドルという値になっている国や地域もある。

 

 白いゴキブリ型のモンスターが地下を徘徊している都市部では、水道水が汚染され、調理や飲み水に使う水はおろか、洗濯に使うことができる水すら満足に手に入らない。都市に集中していた人々は、否応なしに都市部を離れて地方へ散ることになった。

 強力な浄水システムで安全な飲料水を生産しようとする動きはあるが、そのシステムを実用化し、大々的に稼働させるための設備を造るための材料が手に入らない。

 各国それぞれが様々な研究チームを立ち上げて対策を練っているようだが、飲食がままならず、衣料は手に入りにくくなり、紙類も急速に数を減らしてゆき、安全に居住可能な場所は目に見えて減っている。

 

「日本も、東京や名古屋、大阪は廃墟だらけだし、福岡も博多周辺は空っぽ……アメリカさんは城壁で囲んだ町を生存適性モデルとして展開しようとしているみたいだけど、結局のところ水や食べ物が不足するから厳しいわね」

 

「EUも……事実上、崩壊してしまいました」

 

「マーケットの利用者を各国の政府が管理しているみたいね」

 

「うちの借地の周囲に空壕を造成して検問所を造っています。日本でも似たような規制を作ろうとしているようですが……そういえば、まだ同盟国にはなっていないんですか?」

 

「日本? 同盟どころか、通商条約もまだよ?」

 

「……呆れます」

 

 タチバナが溜息を吐いた。

 

「"金のモグラ"だっけ? 同じようなクランは他にも?」

 

「把握しているだけで42団体あります」

 

「日本よね?」

 

「はい。民間36、政府系が6団体ですね」

 

「他の国は?」

 

「どこの国も、政府による統制後は10団体以下に抑えられていますね。暴動も起きていますが……例の"騎士"が徹底した鎮圧を行っています」

 

「ふうん……あれを使うってことは、抜き取った脳は政府が保管? "ヒトデ"内のどこか? "ナイトメア"系の改変結果がいまいち把握できていないのよね」

 

 腕組みをしたキララが天井を見上げた。

 

「フィンランドとオーストラリアは、上手に"ナイン"を利用して生き残りを図っていますね。マーケットも積極的に活用して……水源をゴキブリに汚染されなかったことが大きいです」

 

「そうね。これからも、うちを利用してしぶとく生き残って貰いたいわ。そのための"ナイン"なんだから」

 

「ヒトデ内のダンジョンを利用して飲料や食料、生活必需品を手に入れることができることが伝わったのでしょう。登録クラン数が一気に増えました。新規の渡界者も増加傾向にあるようです」

 

「"ヒトデ"間の転移マップが複雑過ぎて……でも、遠隔地への移動手段に使っている渡界者も現れたんでしょ?」

 

「そのクランは、郵便業を始めたようです」

 

 タチバナが微笑を浮かべた。

 

「面白いわね。そういうの、どんどんやっちゃって欲しいわ」

 

「例によって、日本政府から行政指導を受けたようですが、無視して活動しているようです」

 

 

 リリリン……

 

 

 二人っきりの情報管理センターに、鈴の音が響いた。端末の操作をしていたキララの前に、ユキのピクシーが現れた。 

 

「……"ナンシー"さんの許可を貰えたみたい。さすがというか……これ、レン君がいなかったら通してもらえなかったでしょうね」

 

 キララが安堵笑みを浮かべる。

 

「ナイトの派遣ですか?」

 

「"ヒトデ"内は異空間。地球ではないから……って、かなり無理矢理な理屈で申請したんだけど」

 

 "ヒトデ"内ダンジョンに、一定の治安維持システムが必要だと考えていたのだが、どうやっても"ナイン"だけでは人手が足りない。そこで、タルミンが製作する警護人形の活用を思い付いたのだが……。

 

「ダンジョン内だからって、殺人だの強盗だの……そういうのを放置するわけにはいかないから。警護人形なら破壊されても替えが効くし、ある程度の幅を持たせた命令も実行できる。あの人形でも手に負えないような暴れん坊が現れたら……うちのお姫様か、勇者様の出番ね」

 

 キララが警護人形を導入した場合の起案書を展開し、机上に立体図面を表示する。

 

「ダンジョン内の犯罪をゼロにはできないでしょうが、かなり抑制できるでしょう」

 

 タチバナが頷いた。

 

「そういえば、その姫と勇者はどこかしら?」

 

 キララが時計を見た。

 

「ステーションでは?」

 

「アイミッタちゃんと一緒みたいなんだけど?」

 

 首を傾げたキララの前で、ユキのピクシーが一礼をして消えていった。

 

「第九号島なら、マイマイさんがいますね」

 

「……う~ん、第九号島には見当たらないのよね。もしかして、姿を眩ますスキルとか、そういうのを手に入れたのかしら?」

 

「先日の覗きが影響しているんじゃないですか?」

 

 タチバナが揶揄する。

 

「それはもう……ユキちゃんに、ヒンヤリと怒られたから勘弁してよ。生きた心地がしなかったわ」

 

「マイマイさんから、圧縮魔素弾の試験をやりたいから候補地を選ぶように……と連絡が入りました」

 

「魔素の増加が目立たないし……"大氾濫"を繰り返しているところが良いわ。半島の双子"鏡"がある辺りにしましょう」

 

「了解しました」

 

「当面、ダンジョンルートの確立とダンジョン内の犯罪抑止を主軸に動くわ」

 

「私は、引き続きシーカーズギルドの運営とマーケットの管理……同盟国からの支援要請の対応と帰化や亡命申請の審査、救援物資の配給量の管理……ですね」

 

 掛けていた眼鏡を外し、タチバナが眉間を指で揉みほぐす。

 

「"ナイン"国民は増えたけど、信頼できる人って少ないから……ごめんね」

 

「ケイ先輩に呼ばれた時に覚悟していましたから。死ぬほど疲れるけど、やり甲斐はある。一生を捧げる価値があるぜ! なんて言っていました」

 

 タチバナが苦笑を浮かべる。

 

「そうね。想定外のことばかりで頭を抱えていたけど……うちの国王さんのおかげで成功の確率が上がったわ」

 

 キララも笑みを浮かべながら席を立った。

 

「人類救済にやり甲斐があるかって訊かれると微妙だけど……まあ、それが我らが国王陛下の御意志だからね」

 

「あのくらいの年齢で、こんな問題を背負うのは辛すぎます」

 

「独りなら……ね」

 

「ユキさん、上手くいって良かったですね」

 

「バロット君は真っ白な灰になっちゃったけど。彼、立ち直れるかな?」

 

「大丈夫でしょう。元気な妹さんがいますし、クロイヌさんも面倒見が良さそうです」

 

「そういえば、クロイヌ君達も"ナイン"国民になったのよね?」

 

「はい。日本政府から依頼されていた要人警護の仕事が終わったそうです。彼らは、日本の渡界者達と交流がありますから、続いて帰化を希望する人間が増えるでしょう」

 

 タチバナが言った時、扉を開けてモーリが入って来た。

 続いてタガミも入ってくる。

 

「キララさん、救援部隊の運用について相談があるんだが、少し時間を作れないかな?」

 

 タガミがキララに声を掛けた。

 

「あら、いつでも……これから食事に行くから一緒にどうかしら?」

 

 ヘッドセットをモーリに渡し、キララが大きく伸びをする。

 

「良かった。救援部隊の他にも報告事項がいくつかあるんだ」

 

「ダンジョン内の治安維持については解決しそうよ。ちょっと治安の悪い裏通りくらいにはなるはずよ」

 

「ほう? この短期間でそんな妙案が?」

 

「あれよ」

 

 キララが机上に浮かんでいる立体表示の図案を指差した。

 

「ふむ……?」

 

「"ヒトデ"内のダンジョンは地球では無い。そういう裁定が下ったのよ」

 

 キララが簡単に説明をしようとした時、

 

 

 リリリン……

 

 

 涼しげな鈴の音が鳴った。口を噤んだキララの前に、ユキのピクシーが現れた。

 

「……ありがとう」

 

 手紙を受け取ったキララがメッセージを目にして眉をひそめた。

 

「ゴールド・カントリーの"鏡"から繋がる島で、渡界者とゾーンダルク人が争って死傷者が出たみたい」

 

「……渡界者は、アメリカ人ですね」

 

「でしょうね」

 

 キララが溜息を吐いた。

 

「米軍か?」

 

「不明みたい。イーズ……って教えたわよね?」

 

「幼い姿をした商人、そういう人種だったな」

 

「イーズ人が仲裁に入って双方を無力化させたそうだけど……現地人に死者が出た後だったらしいわ」

 

「そこは、その現地人が暮らす場所だったのか?」

 

「いいえ。向こうの人が"神の大地"と呼んでいる海上の陸地よ。土や水、植物なんかを採取するために降りていたんでしょう」

 

「アメリカ側の被害は?」

 

「負傷者はステーションに送られたようだから、死人は出なかったんじゃない?」

 

「そうか。そうだな……レン君は……国王は?」

 

「現地へ向かっているそうよ」

 

「……アメリカさんと開戦という可能性もあるな」

 

 タガミが頷いた。

 

「現地人は報復を考えるでしょう。アメさんも簡単には引き下がらないわね」

 

「その島は、米国の"鏡"から入った先にあるんだな?」

 

「以前の富士と一緒よ。タガミさんや私達が初めて渡界した時の、"始まりの島"ができる前にあった島」

 

「なら、なおのことアメリカさんは引き下がらないだろう。イーズの人達は大丈夫なのか?」

 

「今は、大丈夫なんじゃない? その後は、レン君がどういう裁きをするのかによるけど……ユキちゃんの報告からすると、イーズ人の対応は悪くなかったと思うわ」

 

「そうだな。むしろ、現地人をよく守ったと褒めるべきだろう。こちらから渡界した者は銃で武装している。対して、現地人は……魔導銃だったか? ゴブリンより強いとは思えないからな」

 

 タガミが小さく頷いた。

 

「米軍とドンパチやるの?」

 

 モーリが眠たげな双眸を向ける。

 

「やるにしても、弾道ミサイルの撃ち合いくらいだ。マイマイさんは大喜びしそうだが……日本はどう動くかな?」

 

「事後に、米国政府が機能していたら良いけど……」

 

「まだ、開戦と決まったわけではありません。キララさん、ケイ先輩はどこですか?」

 

 タチバナがキララに声を掛ける。

 

「第九号島で、タルミンさんと打ち合わせ中……そろそろ終わった頃かしら?」

 

「レン君がこういう状況を想定していなかったとは考えられないな。彼は、かなり早くから、ゾーンダルク各地の島を巡っていた。当然、こういう事態を予想していたはずだ。何か聞いていないかな?」

 

「レン君、何か言ってたっけ?」

 

 キララがタチバナに訊ねた。

 

「特に言及は無かったと思いますが……」

 

 タチバナがモーリを見た。

 モーリはユキと親しくしている。ユキ経由で何か聞いているのではないかと思ったのだが……。

 

「ユキからは何も聞いていません。ただ、あの王様がやりそうなことなら分かる気がします」

 

 答えるモーリの目尻がわずかに下がっていた。

 

 

 

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"ヒトデ"内ダンジョンの治安改善に目処が立った!

 

ゾーンダルクで、米国の渡界者と現地人が戦闘を行ったようだ!

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